メンフィス・ベル (1990年の映画)
メンフィス・ベル | |
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Memphis Belle | |
監督 | マイケル・ケイトン=ジョーンズ |
脚本 | モンテ・メリック |
製作 |
デヴィッド・パットナム キャサリン・ワイラー |
出演者 |
マシュー・モディーン エリック・ストルツ テイト・ドノヴァン D・B・スウィーニー ビリー・ゼイン ショーン・アスティン ハリー・コニック・ジュニア |
音楽 | ジョージ・フェントン |
撮影 | デイヴィッド・ワトキン |
編集 | ジム・クラーク |
配給 | ワーナー・ブラザース |
公開 |
1990年10月12日 1991年2月8日 |
上映時間 | 107分 |
製作国 | イギリス |
言語 | 英語 |
興行収入 | $27,441,977[1] |
『メンフィス・ベル』(原題:Memphis Belle)は、1990年制作のイギリス映画。マイケル・ケイトン=ジョーンズ監督。
第二次世界大戦中、イギリスに駐留し、ドイツに対する昼間爆撃を任務としていたアメリカ第8空軍所属の爆撃機B-17F、愛称“メンフィス・ベル”の若き乗組員たちを描いた作品。
あらすじ
1943年、イギリスのアメリカ軍基地。メンフィス・ベルはB-17の中で24回出撃して唯一無傷だった。25回目の飛行が終われば、みな英雄として故郷に帰れる。
出撃前、アイルランド出身の無線士ダニーがウィリアム・バトラー・イェイツの詩を朗読する[2]。
広報大佐はクルー10人を戦意昂揚に使おうと画策。目的はブレーメンの飛行機工場の爆撃だ。容赦ない攻撃で友軍機が墜ちていく。上空に達したが、煙幕で目標が見えない。操縦士のデニスは見えるまで危険な白昼の旋回を続けることを決意。ようやく煙幕が晴れ、任務は完了した。
しかし基地への帰途、ダニーが敵機の銃弾を受け、重傷を負う。落下傘で落とすことを主張する爆撃手のヴァルに対して、みんなは一緒に帰還することを選ぶ。エンジン損傷等、様々な困難を乗り越えたメンフィス・ベルが基地に姿を現すが、片輪しか出ていない…。
スタッフ
- 監督:マイケル・ケイトン=ジョーンズ
- 制作:デヴィッド・パットナム、キャサリン・ワイラー
- 脚本:モンテ・メリック
- 撮影:デヴィッド・ワトキン
- 音楽:ジョージ・フェントン
- 編集:ジム・クラーク
※プロデューサーのキャサリン・ワイラーは、同じくメンフィス・ベルをテーマとした1944年のドキュメンタリー映画の監督ウィリアム・ワイラーの娘である。
キャスト
役名 | 俳優 | 日本語吹き替え | ||
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VHS版 | WOWOW版 | |||
操縦士・デニス | マシュー・モディーン | 山寺宏一 | 大塚芳忠 | |
無線士・ダニー | エリック・ストルツ | 関俊彦 | 堀内賢雄 | |
副操縦士・ルーク | テイト・ドノヴァン | 堀内賢雄 | 喜多川拓郎 | |
航空士・フィル | D・B・スウィーニー | 竹村拓 | 古田信幸 | |
爆撃手・ヴァル | ビリー・ゼイン | 堀之紀 | 荒川太郎 | |
旋回銃座・ラスカル | ショーン・アスティン | 古谷徹 | 中原茂 | |
後尾銃座・クレイ | ハリー・コニック・ジュニア | 藤原啓治 | 二又一成 | |
機関士兼上部銃座・バージ | リード・ダイアモンド | 水島裕允 | ||
側面・ユージーン | コートニー・ゲインズ | 柴本浩行 | ||
側面・ジャック | ニール・ジントリ | 長島雄一 | ||
クレイグ・ハリマン大佐 | デヴィッド・ストラザーン | 小川真司 | ||
ブルース・デリンジャー大佐 | ジョン・リスゴー | 富田耕生 | 秋元羊介 |
飛行機について
本映画でメンフィス・ベルとして使用されたB-17は、イギリスのダックスフォード帝国戦争博物館に展示されているB-17G「サリーB」であった。
そのため、本来のB-17F型(上記写真参考)には装備されない機首下部の機銃座を取り外して撮影している。撮影には他に2機のB-17Gが使用された。
その他
- 石田達郎は、1971年の映画『小さな恋のメロディ』の大ファンだったことから、同作のプロデューサーであるデヴィッド・パットナムと親交を持っていた。1990年7月19日に石田が亡くなった際、パットナムは最後に「亡き石田達郎氏に捧ぐ」とクレジットした[3]。
脚注
- ^ “Memphis Belle (1990)” (英語). Box Office Mojo. 2010年10月22日閲覧。
- ^ 「アイルランドの飛行士、死を予見する」(An Irish Airman Foresees His Death)。
- ^ 品田雄吉『シネマの記憶から 名優・名監督と映画評論家の五十年』角川SSコミュニケーションズ、2008年、pp.161-162。