ミャンマーの大統領

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ミャンマーの大統領(ミャンマーのだいとうりょう)は、ミャンマー(ビルマ)の元首である大統領について述べる。

概要

1947年憲法

1947年制定の初代憲法では、大統領は民族代表院(上院)と地域代表院(下院)の議員によって選出され、行政権を所有していた。助言を与える補助機関として、首相国務大臣からなる連邦政府(内閣の名称)が存在し、首相は下院の指名に基づいて大統領が任命し、国務大臣は首相の指名に基づいて大統領が任命した[1]。任期は5年で、各主要民族から順次選出される不文律があった。

第一軍政 (1962-1974)

1962年から1974年までの間、ミャンマーでは軍事政権の最高決定機関である革命評議会[2]の議長が、大統領の代わりに国家元首職を務めていた。

1974年憲法

また、1974年制定の第二代憲法では、大統領は国家を代表する存在で、国家評議会[3]の議長が大統領に就任することとなっていた。

第二軍政 (1988-2008)

1988年以降は、軍事政権の最高決定機関である国家平和発展評議会(SPDC)の議長が、大統領の代わりに国家元首職を務めている。

2008年憲法

2008年に行われた憲法改正により、大統領と二人の副大統領が議会によって選出されることとなった。

歴代大統領

1948年の独立以来のビルマおよびミャンマーの大統領、或いは国家元首は以下の通り。

氏名 所属政党 在任期間
1 サオ・シュエ・タイク 反ファシスト人民自由連盟(AFPFL) 1 1948年1月4日
- 1952年3月16日
2 バー・ウ 反ファシスト人民自由連盟(AFPFL) 2 1952年3月16日
- 1957年3月13日
3 ウィン・モン 反ファシスト人民自由連盟(AFPFL) 3 1957年3月13日
- 1962年3月2日
-[4] ネ・ウィン 軍人[5]→)
ビルマ社会主義計画党(BSPP)
- 1962年3月2日
- 1974年3月4日
4 ビルマ社会主義計画党(BSPP) 4 1974年3月4日
- 1981年11月9日
5 サン・ユ ビルマ社会主義計画党(BSPP) 5 1981年11月9日
- 1988年7月25日
6 セイン・ルイン ビルマ社会主義計画党(BSPP) 6 1988年7月25日
- 1988年8月12日
-[6] エー・コ ビルマ社会主義計画党(BSPP) 1988年7月25日
- 1988年8月12日
7 マウン・マウン ビルマ社会主義計画党(BSPP) 7 1988年8月19日
- 1988年9月18日
-[7] ソウ・マウン 軍人 - 1988年9月18日
- 1992年4月23日
-[7] タン・シュエ 軍人 - 1992年4月23日
- 1997年11月15日
-[8] (軍人→)
国民統一党
- 1997年11月15日
- 2011年3月30日
8 テイン・セイン 連邦団結発展党 8 2011年3月30日
- (現職)

脚注

  1. ^ 首相と国務大臣は共に地域代表院の議員でなければならず、連邦政府は下院に対して連帯責任を負った(議院内閣制)。
  2. ^ ビルマ軍の高級将校16名によって構成された。
  3. ^ 国家評議会:人民議会(国会の名称)閉会中に法的拘束力を持つ命令を出す権限が与えられた組織。地方行政区分を基準に選出された国会議員28人と、大臣17名で構成される閣僚組織(内閣)の間で選出された首相によって構成された。非常事態宣言条約の締結・批准・脱退など高度な政治的権限が付与されていた。
  4. ^ 革命評議会議長。
  5. ^ 1972年まで。
  6. ^ 大統領代行。
  7. ^ a b 国家法秩序回復評議会議長。
  8. ^ 国家平和発展評議会議長

関連項目