オリヴァー・ヘヴィサイド
オリヴァー・ヘヴィサイド | |
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Portrait by IET Archive | |
生誕 |
1850年5月18日 イギリス, ロンドン, Camden |
死没 |
1925年2月3日 (74歳没) イギリス, デボン, Torquay |
居住 | イギリス |
国籍 | イギリス |
研究分野 | 電気技師, 数学者, 物理学者 |
研究機関 | 大北電信会社 |
出身校 | ゲッティンゲン大学名誉博士 |
主な業績 |
電離層 インピーダンスの概念 ヘヴィサイドの階段関数 微分演算子 ベクトル解析 同軸ケーブルの発明 ラプラス変換の基礎 |
補足 | |
Why should I refuse a good dinner simply because I don't understand the digestive processes involved? (消化のプロセスを知らないからといって、私は美味しい夕食を断らなければならないのか。) | |
プロジェクト:人物伝 |
オリヴァー・ヘヴィサイド(Oliver Heaviside, 1850年5月18日[1] - 1925年2月3日[2])はイギリスの電気技師、物理学者、数学者である。幼時に猩紅熱に罹患した[3]ことにより難聴となった。正規の大学教育を受けず研究機関にも所属せず、独学で研究を行った。電気回路におけるインピーダンスの概念の導入、複素数の導入や「ヘヴィサイドの演算子法」といった物理数学の方法を開発するなど、大きな功績を残した。また、インダクタンスやコンダクタンスなど、回路理論用語のいくつかを提唱した[4]。
経歴
[編集]幼少期
[編集]1850年ロンドンに生まれる。幼いころに猩紅熱にかかり[3]、耳が不自由になった。彼の伯父であったチャールズ・ホイートストンはヘヴィサイドの教育に多大な関心を示した[※ 1][5][6]。
16歳の頃、彼は学校を辞め[7]、その後18歳まで独学で電信技術と電磁気学を学んだ。その後彼は大北電信会社の通信士の職を得、すぐに主任通信士となった[8]。仕事の傍らで研究を続け、22歳、23歳の時に電気回路と電信に関する研究を発表した[9]。24歳の頃、仕事を辞め[10]、ロンドンの両親のもとで研究に専念した[11]。
1873年にヘヴィサイドは、マクスウェルの著作、"Treatise on Electricity and Magnetism"に遭遇する[10]。
ヘヴィサイドは、自宅で研究に打ち込み、伝送線路の理論を発展させた。伝送路中の均質なインダクタンス成分が信号の歪みと減衰を減少させることを数学的に説明した[12]。
中年期
[編集]1880年、伝送線路の表皮効果に関する研究を行う[13][14]。同年、同軸ケーブルの発明によりイギリスで特許を取得。
1884年、ヘヴィサイドは、当時は20の式から構成されていたマクスウェル方程式を、今日知られる4つのベクトル形式の式に直した[15][16]。
1880年から1887年の間に、ヘヴィサイドは演算子法を発見した[17]。しかし、その解法の導出過程は理論的厳密さを欠いていたため、当初は論議の的となった。ヘヴィサイドはこの問題について、「数学は実験的科学であり、定義が先にくるわけではない」[18]、「私は消化のプロセスを知らないからといって食事をしないわけではない」[19]という有名な言葉を残している。
1887年、伝送線路上を伝播する信号から歪みを除去するために、伝送線路に装荷コイルを付加する(日本ではそのようなケーブルを指して装荷ケーブルと呼んでいる)ことを提案するが、政治的な理由からすぐには実行されなかった。ヘヴィサイドのこの研究に関する重要性は、The Electrician 誌に掲載されるまで注目されず、この発明に関する権利は認められなかった[20]。AT&TはGeorge A. Campbellを雇用し、また外部の研究者ミカエル・ピューピンにより、ヘヴィサイドの研究に関する調査が行われた。CampbellとPupinはヘヴィサイドの研究成果を拡張し、AT&Tはその成果とコイルの設計方法に関する特許を取得した。AT&Tはヘヴィサイドの研究成果は不完全なものであった、という扱いをした[21]。AT&Tは後に、ヘヴィサイドに対し、彼の権利に対する対価を支払う提案を行ったが、ヘヴィサイドは、その特許が完全に彼の業績であると認めないかぎり、その金銭的対価を受けとらない、として提案を拒否した。ヘヴィサイドは慢性的資金難に悩んでいたが、この提案の拒否により、資金難はさらにひどいものになった。
1888年、1889年の論文において、チェレンコフ放射に関する研究を行う[22][23]。この研究を元にジョージ・フィッツジェラルドはローレンツ収縮を予想した[24]。
1880年代後半から1890年初頭にかけて、電磁気的質量に関する研究を行う[25][26]。後に、ヴィルヘルム・ヴィーンが、ヘヴィサイドの式を証明した。
1891年、英国学士院は、電磁現象の数学的記述に関するヘヴィサイドの業績を称え、学士院のフェローの称号を与えた。また王立協会フェローにも選出された[27]。
1905年、ゲッティンゲン大学より名誉博士号を授与された[28]。1922年ファラデー・メダル受賞。
晩年
[編集]晩年、ヘヴィサイドは非常に不可解な行動をとるようになる。"W.O.R.M"という意味をなさない文字をサインのあとにつけるようになった[※ 2][29][30]。また、指の爪をピンクに塗ったり、御影石を家に持ち込んで家具として使ったりもした。
ヘヴィサイドの業績のほとんどは、彼の死後に認められた[31]。
発明・発見
[編集]- 電離層の存在を予想した(この分野では「ケネリ-ヘヴィサイド層」(en:Kennelly–Heaviside layer、地球の電離層のE層)の語に名を残している)。
- 電信方程式として知られている伝送線路に関する理論を構築した。
- ポインティングベクトルを独立に発見した。
- マクスウェルの方程式を見通しよくかつ使いやすい形式に変形した。
- 電気回路中の電流をモデル化するために、ヘヴィサイドの階段関数を発明した。
- ベクトル解析とベクトル演算を発明した。
- 線型微分方程式の演算子法を発明した。「ヘヴィサイドの演算子法」とも言われる。後に、Thomas John I'Anson Bromwichが厳密な数学的証明を与えた。ヘヴィサイドの演算子法は今日我々が知るところのラプラス変換とほとんど等価なものである。
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ ナーイン 2012, p. 56.
- ^ ナーイン 2012, p. 512.
- ^ a b ナーイン 2012, p. 64.
- ^ en:Oliver_Heaviside#Electromagnetic_terms
- ^ ナーイン 2012, p. 66.
- ^ ナーイン 2012, pp. 68–69.
- ^ ナーイン 2012, p. 70.
- ^ ナーイン 2012, pp. 70–71.
- ^ ナーイン 2012, p. 72.
- ^ a b ナーイン 2012, p. 73.
- ^ ナーイン 2012, p. 105.
- ^ ナーイン 2012, pp. 106–117.
- ^ ナーイン 2012, pp. 259–262.
- ^ ナーイン 2012, pp. 311–313.
- ^ ナーイン 2012, pp. 206–209.
- ^ ナーイン 2012, pp. 234–236.
- ^ ナーイン 2012, pp. 383–387.
- ^ ナーイン 2012, p. 405.
- ^ ナーイン 2012, p. 392.
- ^ ナーイン 2012, pp. 476–480.
- ^ ナーイン 2012, pp. 478–479.
- ^ ナーイン 2012, p. 231.
- ^ ナーイン 2012, pp. 252–253.
- ^ ナーイン 2012, pp. 252–475.
- ^ ナーイン 2012, pp. 227–228.
- ^ ナーイン 2012, p. 250.
- ^ ナーイン 2012, p. 232.
- ^ ナーイン 2012, pp. 233–234.
- ^ ナーイン 2012, pp. 507–508.
- ^ ナーイン 2012, p. 524.
- ^ ナーイン 2012, pp. 525–534.
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 小暮陽三『なっとくするフーリエ変換』講談社〈なっとくシリーズ〉、1999年6月10日。ISBN 4-06-154520-5 。
- ナーイン, ポール・J.『オリヴァー・ヘヴィサイド ヴィクトリア朝における電気の天才 ― その時代と業績と生涯』高野善永、海鳴社、2012年4月10日(原著2002年10月9日)、559頁。ISBN 978-4-87525-288-7 。
- ミクシンスキー『演算子法』 上巻、松村英之・松浦重武訳(新版)、裳華房、1985年3月。ISBN 4-7853-1044-8。
- ミクシンスキー『演算子法』 下巻、松村英之・松浦重武訳(新版)、裳華房、1985年3月。ISBN 4-7853-1045-6。
外部リンク
[編集]- 藤村淳『ヘビサイド』 - コトバンク
- 『ヘビサイド』 - コトバンク
- 『オリヴァー ヘヴィサイド』 - コトバンク
- O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “Oliver Heaviside”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews.