フラタニティ (バンド)
フラタニティ Fraternity | |
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出身地 | オーストラリア 南オーストラリア州アデレード |
ジャンル | プログレッシブ・ロック、サイケデリック・ロック、ブルースロック、ブギー・ロック |
活動期間 |
1970年 - 1973年 1973年 - 1974年 ファング(Fang)として 1974年 - 1975年 フラタニティの再編成 1975年 - 1978年 サム・ドリーム(Some Dream)として 1978年-1981年 ミッキー・フィン(Mickey Finn)として |
レーベル | Sweet Peach、Raven、RCA |
共同作業者 | ザ・ヴァレンタインズ、AC/DC、コールド・チゼル |
公式サイト |
fraternityofficial |
旧メンバー |
ボン・スコット ミック・ジュード ジョン・フリーマン ジョン・ビゼット ブルース・ハウ "アンクル"・ジョン・イヤーズ サム・シー トニ・ビュッテル ジミー・バーンズ ジョン・スワン ピーター・ベルゼ モーリ・バーグ |
フラタニティ(Fraternity)は、1970年代初期に活動したオーストラリアのロック・バンド。後にAC/DCに参加したリード・ボーカリストのボン・スコットが在籍したことで有名なバンドである。1973年にボン・スコットがAC/DCに合流するために脱退後、後任としてジミー・バーンズが参加。バーンズはその後、コールド・チゼルに参加し、ソロのキャリアで大きく成功した。
概要
[編集]フラタニティは、南オーストラリア州のアデレードで1970年、この間に分裂したレビ・スミス・クレフス(Levi Smith Clefs)のメンバーによって結成された。フラタニティのベーシストのブルース・ハウが、ちょうど解散したザ・ヴァレンタインズ(The Valentines)のボン・スコットを呼ぶことに決めるまで、彼らにはレギュラーのボーカリストがいなかった。ニュージーランド・ミュージシャンのジョン・ビゼットは、この初期編成の中でキーボードを演奏した。
フラタニティは、2枚のアルバムと、数枚のシングルをリリースし、彼らの地元オーストラリアで一定の成功を収めた。しかし、イギリスで成功するという夢をもって入国した彼らだが、成果を残すことができず、バンド名を1973年初期にファング(Fang)と変えたがやはりまったく成果をあげることはできなかった。彼らは完全にやる気をなくし、失意の中、オーストラリアに戻っていった。そんな中メンバーのある者は、ゆるやかな編成のマウント・ロフティ・レンジャーズ(Mount Lofty Rangers)を結成した。ところがこのバンドも、ボーカルのスコットが1974年初めにオートバイ事故により重傷を負ったことで活動停止を余儀なくされた。その後、スコットは事故から回復したが、事故前に彼らと2曲のレコーディングをしていたにもかかわらずバンドに戻ることはなく、AC/DCに参加することになりそのままバンドを脱退。こうしてフラタニティはのちに違う編成で再始動、それは1975年頃まで続き、同年の終わり頃までにはサム・ドリーム(Some Dream)と再び名前を変えた。その後の1978年、バンドはミッキー・フィン(Mickey Finn)という名前に再び変えており、メンバーにはブルース・ハウ、アンクル・ジョン・イヤーズ、モーリ・バーグ、ジョン・ベートマンが含まれていた。1980年までに、ジョン・フリーマンが再び参加し、セカンド・ギタリストのスタン・コリティーニが参加している。その編成はエウレカ・レーベル(Eureka label)で、セルフタイトルのアルバムを製作した。ミッキー・フィンは、音楽シーンから後退する前の1980年と1981年に、2枚のシングルをリリースした。
メンバー
[編集]- ブルース・ハウ(Bruce Howe) - エレクトリックベース、ボーカル (1970年–1973年、1974年–1975年)
- ミック・ジュード(Mick Jurd) - ギター (1970年–1973年)
- ジョン・ビゼット(John Bisset) - キーボード、ボーカル (1970年–1973年)
- トニー・ビュッテル(Tony Buettel) - ドラムス (1970年-1971年)
- ボン・スコット(Bon Scott) - ボーカル、リコーダー、パーカッション (1971年–1973年)
- ジョン・フリーマン(John Freeman) - ドラムス (1971年–1973年、1974年)
- "アンクル"・ジョン・イヤーズ("Uncle" John Eyers) - ハーモニカ、リコーダー、ボーカル (1971年–1973年、1974年–1975年)
- サム・シー(Sam See) - スライドギター、ピアノ (1971年–1973年)
- モーリ・バーグ(Mauri Berg) - ギター (1974年–1975年)
- ジョン・スワン(John Swan) - ドラムス、ボーカル (1974年–1975年)
- ピーター・ベルゼ(Peter Bersee) - ヴァイオリン (1974年–1975年)
- ジミー・バーンズ(Jimmy Barnes) - ボーカル (1975年)
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- Livestock (1971年、Sweet Peach)
- Flaming Galah (1972年、RCA Victor)
コンピレーション・アルバム
[編集]- Complete Sessions 1971–72 (1996年、Raven)
- Seasons of Change (2003年、Delta)
- 『シーズンズ・オブ・チェンジ〜コンプリート・レコーディングス1970-1974』 - Seasons of Change - The Complete Recordings 1970-1974 (2021年、Cherry Red)
- The Bon Scott Sessions 1971-72 (2021年、Bonfire)
シングル
[編集]- "Why Did It Have to Be Me" / "Question" (1970年、Sweet Peach) ※ボン・スコット加入前の録音。「Question」はムーディー・ブルースのカバー
- "Seasons of Change" / "Summerville" (1971年、Sweet Peach)
- "The Race (pt 1)" / "The Race (pt 2)" (1971年、Sweet Peach)
- "If You Got It" / "Raglan's Folly" / "You Have a God" (1971年、Raven)
- "Livestock" /" Why Did It Have to Be Me" / "Cool Spot" (1971年)
- "Welfare Boogie" / "Getting Off" (1972年、RCA Victor)
参考文献
[編集]- クリントン・ウォーカー 『ハイウェイ・トゥ・ヘル』 1994年。
外部リンク
[編集]- ジョン・ビゼット独占インタビュー(英語)