フジサワ中央
フジサワ中央 Fujisawa Chu-oh Theater | |
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2007年(平成19年)5月の写真。神奈川県道306号藤沢停車場線沿い・写真左の金井旅館[注 1]向かいの看板がフジサワ中央ビルである。 | |
情報 | |
正式名称 | フジサワ中央 |
旧名称 | 藤沢中央映画劇場、藤沢東映 |
完成 | 1950年 |
開館 | 1950年4月 |
閉館 | 2010年8月31日 |
最終公演 |
借りぐらしのアリエッティ(中央1) ねこタクシー(中央2)[2] |
収容人員 | (2館合計)333人 |
設備 |
DOLBY SR 35mm映写機 |
用途 | 映画上映 |
運営 | 藤沢映画興行株式会社 |
所在地 |
〒251-0052 神奈川県藤沢市藤沢93 フジサワ中央ビル |
位置 | 北緯35度20分28.8秒 東経139度29分20.4秒 / 北緯35.341333度 東経139.489000度座標: 北緯35度20分28.8秒 東経139度29分20.4秒 / 北緯35.341333度 東経139.489000度 |
最寄駅 | 藤沢駅北口より徒歩4分 |
最寄バス停 | 神奈中バス「遊行通り4丁目」停留所(国道467号沿い) |
フジサワ中央(フジサワちゅうおう)は、かつて神奈川県藤沢市に存在した映画館。藤沢映画興行が経営していた。
概要
1950年(昭和25年)4月、藤沢市南口で「藤沢中央映画劇場」の館名で開業。当時の座席数は396席あった[3]。
開業まもない1953年(昭和28年)から1955年(昭和30年)の時点では、藤沢市の映画館は当館と藤沢オデヲン座、藤沢映画劇場、湘南映画劇場の4館があった[注 2][3]。
その後、「フジサワ中央」と名前を変え、1972年(昭和42年)に小田急百貨店の建設の為一旦閉館したが、5年後の1977年(昭和52年) に当時北口に存在していた「藤沢東映」を改称し、再び「フジサワ中央」の名前が復活する。
1986年(昭和61年)4月に地上5階地下1階のビルを建築。3階と4階に「フジサワ中央1」(207席)、地下1階に「フジサワ中央2」(126席)を構える2スクリーン体制となり[5]、5階に藤沢映画興行の事務所を置いた。
1993年(平成5年)、海老名市に日本で事実上初となるシネマコンプレックス「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名」(現:イオンシネマ海老名)が開館。その後も近隣の茅ヶ崎市や平塚市、大和市[注 3]にもこのような施設が開業し、徐々に客足を奪われていった[5]。
2007年(平成19年)3月31日に藤沢オデヲン座が閉館して以降は市内唯一の映画館となっていたが、毎年約2割ずつ観客が減少し[5]、リーマン・ショックの影響で所有ビルのテナント収入が激減した[6]ことが劇場の衰退に追い打ちをかけ、2010年(平成22年)8月31日に閉館[2][5]。
当館閉館後、藤沢市内の映画館は2011年(平成23年)11月11日に湘南C-Xの商業施設「テラスモール湘南」にオープンしたシネマコンプレックス「109シネマズ湘南」まで約1年強存在しなかった。
フジサワ中央の跡地は学校法人国際新堀芸術学院に売却され、2011年(平成23年)10月31日「新堀ライブ館」がオープンし、現在に至る[7]。
特色
館内は赤色の絨毯が敷かれ、天井にシャンデリアがかかっていた。
変わった上映として、2005年(平成18年)7月に『電車男』を上映する際、窓口で自己申告すると割引になる「ヲタク割引」を実施したことが挙げられる[6]。これは、封切から1ヶ月以上遅れての上映を挽回すべく講じた策だったが功を奏し、公開期日の延長が行われた[8]。
歴史
- 1950年(昭和25年)4月 - 藤沢市南口にて「藤沢中央映画劇場」として開業。
- 1972年(昭和42年) - 「フジサワ中央」を一時閉館。このとき北口には「藤沢東映」を有していた。
- 1977年(昭和52年) - 北口で営業していた「藤沢東映」を館名変更して、「フジサワ中央」として再スタート。
- 1986年(昭和61年)4月 - 現存するビルをオープンし、2スクリーン体制となる[5]。
- 2001年(平成13年)7月20日 - 『千と千尋の神隠し』封切。45週間で48,500人を動員し、同館史上最大のヒット作となる[9]
- 2008年(平成20年)5月17日 - 『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が上映され、監督の若松孝二がトークイベントを行う[10]。
- 2010年(平成22年)5月23日 - 『聖家族〜大和路』が上映され、同作に出演した藤沢市出身の女優・末永遥が舞台挨拶を行う[11]。
- 2010年(平成22年)8月31日 - 60年の映画館の歴史に幕を下ろす[2][5]。
脚注
注釈
- ^ 現存せず。跡地はマンション「ブリアン・ドォール湘南藤沢」(2011年竣工)[1]。
- ^ 1953年の映画館(関東地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[4]。
- ^ 「フジサワ中央」閉館当時、大和市には「ワーナー・マイカル・シネマズつきみ野」が存在していた。その後、「イオンシネマつきみ野」に改称した後に閉館しており、2021年現在では同市内に映画館は存在しない。
出典
- ^ “ブリアン・ドォール湘南藤沢”. SUUMO物件ライブラリー. リクルート住まいカンパニー. 2020年11月10日閲覧。
- ^ a b c "大ヒット映画「ねこタクシー」藤沢での公開決定!" (PDF) (Press release). テレビ神奈川. 30 July 2010. 2020年11月10日閲覧。
- ^ a b 「関東地方 - 神奈川県」『全国映画館総覧 1955年版』、時事通信社、1955年、23頁、2020年11月10日閲覧“藤沢中央映画劇場”
- ^ 『全国映画館総覧 1953年版』時事通信社、1953年。
- ^ a b c d e f “60年の歴史持つ映画館「フジサワ中央」が8月末閉館、シネコン急増に対抗できず/藤沢”. カナロコ by 神奈川新聞. (2010年7月27日) 2020年11月10日閲覧。
- ^ a b “藤沢唯一の映画館「フジサワ中央」、8月末で閉館へ-60年の歴史に幕”. 湘南経済新聞. (2010年8月19日) 2020年6月20日閲覧。
- ^ “映画館改装し市民の集いの場に、藤沢駅北口の商店街/神奈川”. カナロコ by 神奈川新聞. (2011年11月2日) 2020年11月10日閲覧。
- ^ 日刊スポーツ 2005年8月27日付[要ページ番号]
- ^ 「湘南で60年 『フジサワ中央』閉館 独立系映画 シネコンに押され 神奈川」『読売新聞』2010年8月30日
- ^ “5月17日はフジサワ中央で監督のトークイベント開催!”. 若松孝二公式ブログ (2008年5月14日). 2020年11月10日閲覧。
- ^ “無事挨拶in藤沢”. 末永遥のHappy-go-LuckyなHR. サイバーエージェント (2010年5月24日). 2020年11月10日閲覧。