ファビアン・ガルティエ
生年月日 | 1969年3月20日(55歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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出身地 | カオール、フランス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 1,80 m | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 84kg | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラグビーユニオンでの経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ファビアン・ガルティエ(Fabien Galthié、1969年3月20日-)はフランス、カオール出身の元ラグビー選手。ポジションはスクラムハーフ。1m80cm、80kg。初セレクションの日から2003年のまでフランス代表のキャプテン。現在、フランス一部リーグ、Top14のスタッド・フランセ・パリ[1]の監督。
経歴
南西部の町、コロミエでトレーニングを受け、USコロミエでのタイトルは1999年のハイネケンカップ準優勝と2000年のTop14準優勝のみ。USコロミエとスタッド・フランセ・パリが戦った後者では、膝の負傷のため観客席から涙ながらに観戦。
2001年、スタッド・フランセ・パリに移籍。2003年、ガルティエにとってクラブにおける最後の試合でフランスのチャンピオンに輝く。
ラグビーフランス代表におけるキャリアは、ラグビーワールドカップ1991には出場したがラグビーワールドカップ1995では代表を外れた。しかし、Guy Accoceberry の負傷により招集され、準決勝で南アフリカに敗れた。
1999年に再びワールドカップ開催中に招集され、準々決勝に出場。準決勝でオールブラックスをやぶって決勝に進出。オーストラリアに敗北。
1999年に代表監督がベルナール・ラポルトに変わり、2002年、ガルティエはキャプテンとしてシックス・ネイションズでグランドスラム(全勝優勝)を達成。IRBが選ぶ、この年の最優秀選手となる。
イングランドに敗れたラグビーワールドカップ2003準決勝を最後に現役を引退。
フランスのラグビー専門紙ミディ・オランピックのオスカー(国内リーグ最優秀選手)に2001年、2003年と二回選ばれた。
引退後、短期間 Havas Sports で働いたのち、2004年にスタッド・フランセ・パリの監督に就任。同年、Top14準優勝とハイネケンカップ準優勝を飾る。
キャリア
現役時代
- USコロミエ 2001年まで。
- ウェスタン・プロヴァンス(Western Province) 1995年の夏。
- スタッド・フランセ・パリ 2001-2003
監督
- スタッド・フランセ・パリ 2004年から2008年まで監督。
タイトル
現役時代
クラブ
- 1998年、ヨーロピアン・チャレンジ・カップ優勝。
- 1999年、ハイネケンカップ準優勝。
- 2003年、Top14優勝。
フランス代表
- 1991年から2003年まで、64セレクション(うち24セレクションがキャプテン)。
- ワールドカップに4回出場。フランスで最多記録。世界中でもこの記録を持つのは他に6人しかいない。(ラグビーワールドカップ2007開催前の時点で。)
- ハイネケンカップのグランドスラム、1997、1998、2002年。
- 1997年、ラテンカップ優勝。
- ニュージーランド遠征(1999、2001、2003年)、南アフリカ遠征(2001年)、アルゼンチン遠征(2003年)に参加。
監督
クラブ
- Top14優勝:2007
受賞 | ||
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先代 キース・ウッド |
IRB年間最優秀選手賞 2002 |
次代 ジョニー・ウィルキンソン |