バラハヌ
バラハヌ Balaxanı | |
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町 | |
北緯40度27分42秒 東経49度55分12秒 / 北緯40.46167度 東経49.92000度 | |
国 | アゼルバイジャン |
市 | バクー |
地区 | サブンチュ地区 |
人口 (2015年初め)[1] | |
• 合計 | 14,100人 |
等時帯 | UTC+4 (AZT) |
• 夏時間 | UTC+5 |
郵便番号 |
AZ1038 |
バラハヌ(アゼルバイジャン語: Balaxanı)は、アゼルバイジャンの首都バクー内サブンチュ地区に位置する町。
歴史
[編集]町名は、ムスリム・タート語で「高い」を意味する "bala" と「家」を意味する "xane" に由来し、アブシェロンにキャラバンサライが置かれていたことを示す[2]。1427年には、この地にシルヴァンの宰相イブラヒム1世の息子シャキル=アガの霊廟が置かれた[3]。1538年からバラハヌはサファヴィー朝の支配を受けるようになり、対ロシア貿易の拠点として栄えた。1623年にはキャラバンサライが置かれ、18世紀には駐ペルシャ・ロシア大使によって要塞が築かれた[3]。
バラハヌにおける石油生産の歴史は中世にまで遡り、油井の中には1594年に掘られたものもあることが分かっている[4]。油井の数は、1735年には52か所[5]、1816年には77か所[4]、1825年には82か所と増加した[6]。1813年のバラハヌの油井は、セリムハノフ兄弟が所有する2か所を除いたすべてが、バクーのグセイン=ハーンの所有であった。しかし、1825年にはすべてが徴税人マルク・タルモフの手に渡り[4]、次いで1863年にはヌハの絹商人イヴァン・ミルゾエフに渡った[7]。
1837年には、鉱山技師のニコライ・ヴォスコボイニコフ (ru) がバラハヌに製油所を設立し、天然ガスによる加熱式製油が初めて導入された[8] 。1871年には、ロシア帝国で2番目の機械式油井(64メートル)が掘削された[7]。1873年4月1日には最初の噴出油井が発見された。1878年にはノーベル兄弟社により、ロシア最初の石油パイプライン (ru) が敷設された[9]。
1982年からは、バラハヌは製機工場の建設地としても利用されている[10]。
人口
[編集]バラハヌの人口は、1816年には792人[4]、1830年には992人[11]、1842年には1219人[12]、1897年には約3000人[13]、1912年には6578人[14]、1968年には1万1300人と変遷している[15]。
今日のバラハヌは、アブシェロン半島で唯一タート人がコミュニティを形成し、さらにタート語も保持している場所として重要である[16]。ロシア革命以前には、カフカース最大のバハイ教徒コミュニティの存在した場所でもあった[17]。19世紀末から20世紀初頭にかけて出版されたブロックハウス・エフロン百科事典によれば、バラハヌの2276人の人口は皆シーア派のアゼルバイジャン人であるとされている[18]。
文化
[編集]1898年にアレクサンドル・ミションが撮影したドキュメンタリー映画『バラハヌの石油噴出』は、アゼルバイジャン史上最初の映画とされ、パリ万国博覧会でも上映され多くの反響を呼んだ[19]。また、バラハヌはセルゲイ・エセーニンの1925年の詩「さらば、バクー!」«Прощай, Баку!» と「5月1日」«1 мая»[20] にも登場する。ミハイル・シヴァチェフは1926年に、帝政期のバクーの労働者を描いた革命小説『バラハヌ』を書いた[21]。
脚注
[編集]- ^ “Population by sex, economic and administrative regions, urban settlements of the Republic of Azerbaijan at the beginning of the 2015” (Excel). The State Statistical Committee of the Republic of Azerbaijan. 2015年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月13日閲覧。
- ^ “Древняя история Бакинских деревень”. OPEN.AZ (2011年3月4日). 2016年3月13日閲覧。
- ^ a b Арзу Абдулла. Balaxanıdakı tarixi abidələr vəhşicəsinə dağıdılır. «Бизим Йол», 25 августа 2007.[リンク切れ]
- ^ a b c d Сапронов Н. (2011年5月11日). “Нефтяные колодцы — провозвестники промышленной нефти”. Вышка (Б.) (18)
- ^ Мамед-заде О. (2002年2月24日). “Бакинская нефтяная промышленность до и после отмены откупной системы”. МОО «Наука и техника». 2016年3月13日閲覧。
- ^ Алиев А. (2003年8月15日). “Забытые страницы истории нефтедобычи в Азербайджане”. Вышка (Б.) (31)
- ^ a b Тамара Гумбатова. Баку и немцы: Глава III. Archived 2008年5月17日, at the Wayback Machine.
- ^ “Воскобойников Николай Иванович (1803-?)”. Энциклопедия Каспийского морского научно-исследовательского центра. 2016年3月13日閲覧。
- ^ Краснов А. (2008年7月). “Сормовская сестра шаболовской телебашни”. Красный Сормович (Нижний Новгород) (30)
- ^ “Государственное предприятие «Балаханский машиностроительный завод»”. Energyland.info. 2016年3月13日閲覧。
- ^ Măʼruzălăr — Google Books
- ^ Азербайджанская ССР: экономико-географическая характеристика. М.: Географгиз. ред., М. А. Кашкай, П. М. Алампиев. 1957. p. 213.
- ^ "Россия/Население/Статистика населения/Население городов, посадов и других важнейших населенных мест". ブロックハウス・エフロン百科事典: 全86巻(本編82巻と追加4巻) (ロシア語). サンクトペテルブルク. 1890–1907.
- ^ “Кавказский календарь 1912 года - Население”. irakly.org (2009年11月9日). 2012年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月13日閲覧。
- ^ А. М. Прохоров, ed. (1970). "Касьян Саркис Иванович". Большая советская энциклопедия. Vol. 2 (3 ed.). М.: Советская энциклопедия. 2016年3月13日閲覧。
- ^ Гейбуллаев Г. А. (1986). Топонимия Азербайджана: историко-этнографическое исследование. Б.: Элм. p. 108.
- ^ Вера бахаи в Азербайджане Archived 2012年3月3日, at the Wayback Machine.
- ^ "Балаханы". ブロックハウス・エフロン百科事典: 全86巻(本編82巻と追加4巻) (ロシア語). サンクトペテルブルク. 1890–1907.
- ^ Kazimzade, Aydin (Autumn 1997). “Celebrating 100 years in film, not 80: Cinem in Azerbaijan: The Pre-Soviet era”. Azerbaijan International (Azerbaijan International) 5 (3): 30-35 .
- ^ “1 мая - Стихотворения - Есенин Сергей Александрович”. Великие Люди. 2016年3月13日閲覧。
- ^ А. В. (1937). "Сивачев". In А. В. Луначарский (ed.). Лит. энциклопедия. — 1929-1939. Vol. 10. М.: Художественная литература. 2016年3月13日閲覧。