ハロー・メリー・ルー
「Hello Mary Lou」 | ||||
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リッキー・ネルソン の シングル | ||||
初出アルバム『Rick Is 21』 | ||||
A面 | トラベリン・マン | |||
リリース | ||||
時間 | ||||
レーベル | Imperial Records #5741 | |||
作詞・作曲 |
ジーン・ピットニー カエット・マンジャラシーナ | |||
作曲 | ジーン・ピットニー | |||
リッキー・ネルソン シングル 年表 | ||||
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「ハロー・メリー・ルー」(Hello Mary Lou)は、アメリカ合衆国の歌手ジーン・ピットニーとケイエット・マンジアシーナ (Cayet Mangiaracina) によって書かれたとされる楽曲。1961年のリッキー・ネルソンによるバージョンが、代表的な歌唱として広く知られている。
概要
メリー、メリー・ルー
後にドミニコ会の神父となったケイエット・マンジアシーナが書いた「メリー、メリー・ルー (Merry, Merry Lou)」という曲が、彼がピアニストをしていたスパークス (The Sparks) というグループによって1957年にデッカ・レコードで吹き込まれ、ニューオーリンズ一帯でローカルなヒットとなった[1][2]。また、ビル・ヘイリーやサム・クックも、この曲を取り上げた[1][2]。
後に、リッキー・ネルソンの「ハロー・メリー・ルー」が広く知られるようになると、「メリー、メリー・ルー」との類似が指摘され、程なくして、マンジアシーナの名は「ハロー・メリー・ルー」の共作者としてクレジットされるようになり、著作権使用料も支払われるようになった[1]。
ハロー・メリー・ルー
ハロー・メリー・ルーは、当初はジーン・ピットニーの作品とされ、1960年にジョニー・ダンカン (カントリー歌手)が最初に歌い[3]、翌1961年にはリッキー・ネルソンも取り上げた[4]。
ネルソンのバージョンは、チャートの首位に立つヒットとなった「トラベリン・マン」(Imperial 5741) のB面に収められ、1961年5月28日付『ビルボード』誌のチャートで9位まで上昇した。イギリスでは。この曲はA面としてリリースされ(B面はドーシー・バーネットの「It's Late」)、2位まで上昇した。ヨーロッパにおいても、多くの国でヒット曲となり、特にノルウェイでは、14週間にわたってチャートの首位に居座った。こうした経緯から、ネルソンはこの曲の代表的な歌手となっている。
ネルソンのバージョンがヒットした後に、「メリー、メリー・ルー」との類似性が指摘され、以降この曲は、ピットニーとマンジャラシーナの共作として扱われるようになった[1][5]。
ネルソンのバージョンには、後進に大きな影響を与えたジェームズ・バートンのギター・ソロが盛り込まれており、ブライアン・メイなど、後のギタリストたちによってしばしば引用されている。ピアノは、1959年11月に、それまでネルソンの常連セッション・ピアニストだったジーン・ガーフ (Gene Garf) の後任となったレイ・ジョンソン (Ray Johnson)[6]、さらに、ベースはジョー・オズボーン (Joe Osborne)、ドラムはリッチー・フロスト (Ritchie Frost) であった[7]。
この曲は、ネルソンの6枚目のアルバム『Rick Is 21』に収録されている。
カバー
- ザ・シーカーズ - 1968年のライブ・アルバム『The Seekers Live at the Talk of the Town』に収録。
- レッド・ツェッペリン - 2003年に発表された3枚組アルバム『伝説のライヴ』に収録。録音は1972年6月。「胸いっぱいの愛を」メドレーの中で。
- クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル - 1972年の最後のスタジオ・アルバム『Mardi Gras』に収録。
- Fumble - 1972年のデビュー・アルバム『Fumble』に収録。
- ニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セイジ - 1972年のアルバム『Powerglide』に収録。
- ロギンス&メッシーナ - 1975年のアルバム『So Fine』に収録。
- The Statler Brothers - 1985年のアルバム『Pardners in Rhyme』に収録。
- クイーン - 1986年のマジック・ツアーでこの曲を演奏。1992年のライブ・アルバム『クイーン・ライヴ!!ウェンブリー1986』に収録。
- ボビー・ルイス (カントリー歌手) - 1970年にこの曲を取り上げ、全米カントリー・トップ15入りを果たした。(このボビー・ルイスは、「Tossin' And Turnin'」のヒットで知られる同名の歌手とは別人)
この曲は、ペトゥラ・クラークによってフランス語でカバーされ(「Bye Bye Mon Amour」)、さらに(アメリカ合衆国のバンド)La Musique Populaireのアルバム『A Century of Song』では、1961年の音楽を代表する曲として取り上げられた。
日本語による歌唱
ザ・ピーナッツは、1961年に、音羽たかしの日本語詞により「ヘロー・メリー・ルー」として、シングル「ペピト」のB面にこの曲を収録した[8]。
脚注
- ^ a b c d “Rock and Roll 101: Ricky Nelson “Hello Mary Lou”… and the Priest Who Wrote It”. Altsounds Ltd. 2015年3月24日閲覧。
- ^ a b “THE SPARKS ■ MERRY,MERRY LOU / OL' MAN RIVER”. NIGHT BEAT RECORDS. 2015年3月24日閲覧。:記事中「ドミニカ人」とあるのは、マンジアシーナが「ドミニコ会修道士」であることの誤釈。
- ^ Second Hand Songs
- ^ “Hello Mary Lou Goodbye Heart (Legal Title)”. Repertoire.bmi.com. 2012年8月5日閲覧。
- ^ こうした経緯のため、作者としてピットニーの名だけが挙げられる場合もある。:デジタル大辞泉プラス『ハロー・メリー・ルー』 - コトバンク
- ^ “Ray Johnson”. rockabilly.nl. 2013年3月2日閲覧。
- ^ Rick Is 21
- ^ “ペピト/ヘロー・メリー・ルー”. ピーナッツ・ホリデー. 2015年3月30日閲覧。
脚注
- Lyrics of Queen's cover of "Hello Mary Lou" from Live at Wembley '86, from Queen official website.