ジーン・ピットニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ジーン・ピットニー
Gene Pitney
基本情報
出生名 Gene Francis Alan Pitney
出生 1941年2月17日
アメリカ合衆国コネチカット州ハートフォード
死没 2006年4月5日(満65歳没)
ジャンル ロックンロール
ポップ
職業 歌手、作曲家
活動期間 1962年 - 2006年
レーベル Musicor label

ジーン・ピットニー (Gene Pitney)は、アメリカのシンガー・ソングライターである。

独特の張りのある歌声で人気を博し、「恋の痛手 (Only love can break a heart)」、「リバティ・バランスを撃った男 (The man who shot Liberty Valance)」、「非情の町 (Town without pity)」等、多数のヒットを持つ。

来歴[編集]

デビュー前[編集]

コネチカット州ハートフォードに生まれ、同州ロックヴィルで育つ。クライド・マクファタームーン・マリカンに影響を受ける。高校に進み、バンドを結成する。

1959年に「ビリー・ブライアン」の変名でデビューするも、チャート入りはしていない。

デビュー[編集]

1961年、アーロン・シュローダーが新設したミュージコア・レーベルと契約を交わす。同年、「恋なんておサラバ (I wanna) Love my life away」でデビュー、39位を記録する。

2枚目のシングル「ルイジアナ・ママ」が不発[1]するも、3枚目の「エヴリ・ブレス・アイ・テイク」が42位を記録する。

ヒットシンガーに[編集]

続く「非情の町 (Town without pity)」が13位を記録し、ピットニーの名は徐々に知られ始める。

5枚目のシングル「リバティ・バランスを撃った男 (The man who shot Liberty Valance)」が4位を記録し、一躍ヒットシンガーの仲間入りを果たす。その直後に同名の映画が作られる。

続く「恋の痛手 (Only love can break a heart)」も2位を記録する。しかし、その後のシングルはアメリカのチャートでは浮き沈みが大きく、安定してピットニーの曲はイギリスのチャートでヒットを出している。

また、作曲家としての一面も併せ持っており、ボビー・ヴィーの「ラバー・ボール」、ザ・クリスタルズの「ヒーズ・ア・レベル」、リッキー・ネルソンの「ハロー・メリー・ルー」といったヒット曲を生み出している事でも有名である。

1960年代後半以降[編集]

1966年の「バックステージ」を最後にアメリカでヒットが出なくなる。

ピットニーは、活動の拠点をイギリスやヨーロッパに移す。また、1970年代オーストラリアでもヒットを出す。

1989年マーク・アーモンドがピットニーの「サムシングス・ガットン・ホールド・オブ・マイ・ハート」をカバーした事で、再び注目を集める。

1993年ワールド・トレード・センターが爆破被害を受けた日、ピットニーはニューヨークカーネギーホールでコンサートを開いていた。

2002年に、ピットニーはロックの殿堂のパフォーマー部門に認定された。

死去[編集]

2006年4月5日、イギリスでのツアー中にホテルの部屋で動脈硬化による心臓発作で死去した。65歳だった。

そのツアーの最後は、「非情の町」で締めくくられ、スタンディングオベーションを受けていた。

他アーティスト・グループに提供した楽曲 [2][編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 日本国内でもピットニーの曲は実際にシングル発売され、人気を出す。この曲は日本で爆発的ヒットを出し、飯田久彦がカバーする。
  2. ^ http://www.musicvf.com/songs.php?page=artist&artist=Gene+Pitney&tab=songaswriterchartstab

関連項目[編集]