トーメン
株式会社トーメン(TOMEN Corporation、1990年までは Toyo Menka-Kaisha Limited)は、かつて存在した日本の総合商社。2006年4月1日に、豊田通商と合併し消滅した。東京証券取引所、大阪証券取引所第1部に上場していた。
概要
1920年に三井物産棉花部長であった児玉一造が中心となり、部の業務を継承し東洋棉花株式會社[1]として創立。上海租界で莫大な利益を上げた企業の中心的な存在で、豊田紡織、日清製粉等の上海進出も支援した名門企業。正田貞一郎や黒田慶太郎もこの上海租界で稼いだ上海人脈の一員であった。
三井物産は、トヨタ紡織株式会社の創始者、豊田佐吉の紡績業進出を援助し、児玉一造も豊田家との親交を深めた。児玉一造の実弟の児玉利三郎は豊田佐吉の長女愛子の婿養子(豊田利三郎)となり、後にトヨタ自動車工業株式会社の初代社長に就任した。これら人脈やメインバンクが東海銀行であったことなどが、後に同社の筆頭株主となる豊田通商との合併に繋がった。なお、表面上は対等合併[2]の形を取ったが、合併直前の経営状況を鑑みれば豊田通商による救済合併色が強いものとなった。
主な子会社・関連会社
- トーメンデバイス(電子部品・半導体製品)- 日本サムスン(三星(SUMSUNG)グループ、前身の旧三星電子ジャパンが輸入商社・旧サムスンジャパンを合併)と提携関係にある(資本・業務での提携関係は豊通グループに異動するまで現在に至るまで)。
- サンポット(ストーブ・ボイラー等)- トーメン合併後にグループ離脱(外資傘下入り)、現在はボイラー業界において同業大手の長府製作所に買収され現在に至る。かつては関東ガス器具(→ガスター)の石油ストーブ(製販)部門が分離独立して設立した、元東京ガスの傍系会社。
- トーメンエレクトロニクス(電子部品)- かつて旧東海銀行グループ(→UFJグループ)も大株主に入っていた。
- 株式会社トーメンテクノソリューションズ - 同社の工作機械部門を移管して設立された株式会社トーメン・マシンツールスが前身。2010年に豊通エンジニアリング株式会社と経営統合し株式会社 TEMCOになった。
- 三洋化成工業(化学薬品等)- 同社が東レとともに設立、三井グループの化学製品メーカーとして発展させている。
沿革
- 1920年 東洋棉花株式會社として創立。
- 1950年 東京証券取引所・大阪証券取引所に上場。
- 1970年 社名を東洋棉花株式會社から、株式会社トーメンに変更(但し、英文表記の“Toyo Menka-Kaisya Limited”は変更せず)。
- 1990年 CI導入。従来の社章(井桁に、綿を表すCottonの“C”を配したマーク)を廃止し、新しいロゴマーク(TOMENの上に、アーク(弓)を配したもの)を制定、同時に英文表記も“TOMEN Corporation”に変更。
- 2000年 豊田通商と資本・業務提携をし、同社が75億円出資。
- 2004年 豊田通商とトヨタ自動車が100億円出資。
- 2006年4月1日 豊田通商に吸収合併され解散。
映画製作
- 『動天』(1991年、東映)
エピソード
- 小説「炎の商社マン」(小林真一著)は、著者が当社に勤務していた当時の体験を元に書かれている。
- 幸福の科学グループ創始者兼総裁・大川隆法がかつて勤務していた事でも知られる。
- 吉本興業所属のお笑いトリオ『ニブンノゴ!』は、過去に『トーメン団地』と名乗っていたが、当社からの要請により改名している[3]。
脚注
- ^ その後1990年にトーメンの棉花部門は「東洋棉花株式会社」として分社化、「トーメン」への改称後二十年の歳月を経て創業時の社名が復活した形となった。同社は現在も豊田通商の子会社として存続している。
- ^ 2005年10月28日に合併の基本合意がされた際の両社連名の「合併の基本合意に関するお知らせ」には、「対等の精神で本合併に臨み」とある。
- ^ ただし、メンバーの出身地である高知県には当社が開発に関与した「トーメン団地」という住宅地が実在しており、当該地名がトリオ名の由来でもあることから、全く無縁というわけではない。