テレーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン

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テレーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン

テレーゼ・シャルロッテ・ルイーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼンTherese Charotte Luise von Sachsen-Hildburghausen, 1792年7月8日 - 1854年10月26日)は、バイエルン国王ルートヴィヒ1世の王妃。

ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公(のちザクセン=アルテンブルク公)フリードリヒと妃シャルロッテメクレンブルク=シュトレーリッツ公カール2世の娘)の娘としてゼイディンクシュタット城(現在のテューリンゲン州ヒルトブルクハウゼン郡)で生まれた。

1810年、バイエルン王太子ルートヴィヒと結婚した。挙式はオクトーバーフェストの初めに行われた。

夫の絶え間ない女性関係に悩まされたものの、テレーゼは王を甘やかして好き放題にさせていた。しかし、彼女は王の愛妾らと交際することは断固拒絶した。ルートヴィヒは生涯を通じて何度も旅行に出かけてミュンヘンを不在にしたが、しばしば王の代理を務めたのはテレーゼだった。

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