コンテンツにスキップ

セオドア・アイスフェルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Dirtques (会話 | 投稿記録) による 2011年7月19日 (火) 01:54個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

セオドア・アイスフェルトTheodore Eisfeld, 1816年4月11日 - 1882年9月16日)は、ヴォルフェンビュッテルに生まれたドイツ人指揮者

ドレスデンで、カール・ゴットリープ・ライシガーより音楽を学ぶ。ヴィースバーデン宮廷歌劇場の音楽監督(1839-1843)をつとめたのち渡米、ニューヨーク・フィルハーモニックの初代常任指揮者となる。在任中、ヘンデルメサイア』コンサート、室内楽、四重奏団コンサートの創設など、楽団の拡充に尽力した。

1865年に職を辞して帰国。ヴィースバーデンで没した。

ちなみにアイスフェルトは、蒸気船オーストリア号(en:SS Austria)の悲劇に際し、辛くも遭難を免れた生存者のひとりである。