セオドア・アイスフェルト
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セオドア・アイスフェルト(Theodore Eisfeld, 1816年4月11日 - 1882年9月16日)は、ヴォルフェンビュッテルに生まれたドイツ人指揮者。
ドレスデンで、カール・ゴットリープ・ライシガーより音楽を学ぶ。ヴィースバーデン宮廷歌劇場の音楽監督(1839-1843)をつとめたのち渡米、ニューヨーク・フィルハーモニックの初代常任指揮者となる。在任中、ヘンデル『メサイア』コンサート、室内楽、四重奏団コンサートの創設など、楽団の拡充に尽力した。
1865年に職を辞して帰国。ヴィースバーデンで没した。
ちなみにアイスフェルトは、蒸気船オーストリア号(en:SS Austria)の悲劇に際し、辛くも遭難を免れた生存者のひとりである。