クリスチーナ・リンドバーグ

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クリスチーナ・リンドバーグ
Christina Lindberg
Christina Lindberg
2012年現在
本名 Britt Christina Marinette Lindberg
生年月日 (1950-12-06) 1950年12月6日(73歳)
出生地 スウェーデン
ヨーテボリ
活動期間 1970年 - 1982年
 
受賞
1970年6月、ペントハウスペットオブザマンス
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クリスチーナ・リンドバーグ Christina Lindbergスウェーデンヨーテボリの生まれ。1950年12月6日-)は、スウェーデンの女優、グラマーモデル、ジャーナリスト。スウェーデンで最も有名なセンターフォールド(中央折り込みページ)とエクスプロイテーション映画のスター。

生い立ち

リンドバーグは、姉妹と3人の兄弟と共にヨーテボリの労働者階級の家で育った[1]。彼女は学校でラテン語を学び、考古学の勉強を続ける予定だった。

モデル

高校時代(18歳頃)に新聞に掲載された彼女の水着姿が注目を集め[2]、男性誌(「FIB aktuellt」や「Lektyr」など)でヌードモデルを始めた。彼女は純真無垢な瞳、甘く可愛らしい容貌、そして均整のとれた身体によって人気のセンターフォールドモデルになり、ペントハウス誌(イギリス)、PLAYBOY誌(アメリカ)、Lui誌(フランス)、Mayfair誌(イギリス)に登場した。彼女は、1970年6月のペントハウスペットである(Britt Lindberg名義。[3])。

映画

クリスチーナは23本の映画に出演した。そのほとんどがエロティカエクスプロイテーションソフトコアの映画だった。最初の映画はスウェーデン人のキャストによりスウェーデンで撮影され、アメリカで製作された、『情欲 (Maid in Sweden) 』である。続いて1970年に公開されたJan Halldoffs監督のコメディ『 Rötmånad 』に出演した。この映画はスウェーデンで250,000人以上の観客を動員し、商業的な成功を収めた[4]。3本目の映画『露出 (Exponerad) 』は、1971年のカンヌ国際映画祭で評判となり、彼女を国際的な有名人にした[5]

その後は多数のエクスプロイテーション映画に出演、その多くはドイツと日本で撮影された。映画『露出 (Exponerad) 』の広告キャンペーンの一環として来日し、これが日本映画への出演要請に繋がる。日本では鈴木則文監督のピンク映画の古典的名作『不良姐御伝 猪の鹿お蝶』(1973年・東映)で重要な脇役を演じ、中島貞夫監督の『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』(1973年・東映)では主演している。1972年、Bo Arne Vibenius(別名アレックス・フリドリンスキー)監督の映画『ゼイ・コール・ハー・ワン・アイ〜血まみれの天使〜(Thriller - en grym film) 』で主役のフリッガを演じた。クエンティン・タランティーノ監督はこの映画とクリスチーナの演技を賞賛した[6]。そして、フリッガは後にタランティーノの映画『キル・ビル』でダリル・ハンナが演じた隻眼の女殺し屋、エル・ドライバーの着想の源となっている。キル・ビルの中には、『不良姐御伝 猪の鹿お蝶』へのオマージュもある[7]。アクションパロディコメディ『Sex, lögner & videovåld 』(2000年)でクリスチーナは、フリッガとしてカメオ出演をしている。

クリスチーナはジェラルド・ダミアーノ監督の映画『フロッシー (Flossie)[8]の西ドイツ(当時)での撮影中、ヌードシーンが露骨にエスカレートしていくのを嫌い、撮影を残したままスウェーデンに帰った。ダミアーノ(『ディープ・スロート』で名高い)は、この映画をハードコアにするつもりだったので、クリスチーナに去るよう説得した。ドイツの製作者は映画を完成させるため、数年間彼女を呼び戻そうとした。Videooze(1996年、No.8)によると、およそ1,000メートルのフィルムがダミアーノによって撮られていたが、製作は中断したまま二度と再開されなかった。

ジャーナリスト

1975年、オルガルド・ウエルトン (Öllegård Wellton) から個人授業を受けた後、シアタースクール「Scenskolan」を受験したが、2次試験まではパスしたものの、3次試験で失敗した。彼女はPoppiusでジャーナリズムを勉強しながら自ら被写体となり、男性誌に記事を寄稿し続け[9]、ついにはジャーナリストとしての名声を確立した。

1972年、彼女はボー・シールベリ (Bo Sehlberg) と恋に落ち、後に彼の航空誌「Flygrevyn」誌のために働き始めた。フィアンセが2004年に亡くなった時、彼女はスカンディナヴィアで最も大きな航空誌である、この雑誌のオーナー兼編集長になった。

豆知識

  • クリスチーナは熱心なキノコ採集者である。1993年に、彼女は『Christinas svampskola』という20分の教育ビデオを撮っている。(直訳:『クリスチーナのキノコ学校』)
  • クリスチーナは、環境問題、野生生物保護、環境保護の農業、動物の権利保護に没頭している。
  • 彼女は、女優としての絶頂期に2曲の歌を吹き込んでいる。
  • ボー・シールベリは1973年に『This is Christina(クリスチーナのすべて)』というフォトブックを出版した。
  • 映画『Rötmånad 』の後、クリスチーナは国王カール16世グスタフのガールフレンドの1人になった。「Videooze」のインタビュー[1]において、彼女は国王のボルボP1800でドライブし、宮殿でグスタフの姉妹、クリスチーナ王女が催したダンスパーティに招待された事を回想している。
  • 彼女は、2匹のシャム猫を飼っている。
  • 彼女は、菜食主義者である。
  • 2012年、カナザワ映画祭に招待され[10]、40年ぶりに「女優」として来日した[11]

出演作の一部

注:クリスチーナの日記に基づく、製作順のリスト[1]

  • 1969年 - 『情欲 (Maid in Sweden)
  • 1970年 - 『Rötmånad(What Are You Doing After the Orgy?)
  • 1971年 - 『露出 (Exponerad(Exposed))
  • 1971年 - 『クリスチーナ・リンドバーグ in スウェーデンSEX (Every Afternoon)
  • 1972年 - 『女子学生(秘)レポートNo.4/性感優等生 (Schulmädchen-Report 4. Teil - Was Eltern oft verzweifeln lässt)

脚注・出典

  1. ^ a b c Videooze, Number 8, 1996 (Cult-film magazine)
  2. ^ クリスチーナ・リンドバーグとキノコを探そう www.dvdtimes.co.uk
  3. ^ Penthouse Pets Penthousepets.net
  4. ^ スウェーデンフィルムデータベース(スウェーデン語のみ) Svenskfilmdatabas.se
  5. ^ Interviews with Lindberg and director on Swedish DVD-release of Exposed
  6. ^ Tarantino interview by Tomohiro Machiyama in Movie Treasures Magazine
  7. ^ IMDB Movie Connections IMDb.com
  8. ^ マリー・フォルサ主演の1974年の同名映画『Flossie』(日本公開時邦題『絶頂の女/フロッシー』)との混同を避けるため、『ナタリー (Natalie) 』とも呼ばれる。
  9. ^ Interviews with Lindberg on Swedish DVD-release of Wide Open
  10. ^ [1]カナザワ映画祭
  11. ^ 「カナザワ映画祭2012 XXX」9.14~9.17の記録

外部リンク

先代
ベネディクテ・アンデルセン
ペントハウス・ペット
1970年6月
次代
ポリー・アン・ペンドルトン