カタリナ・ルター

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カタリナ・ルター
生誕 1499年1月29日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領
リッペンドルフドイツ語版
死没 1552年12月20日(1552-12-20)(53歳)
神聖ローマ帝国の旗 ドイツ国民の神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領
トルガウ
職業 牧師夫人
配偶者 マルティン・ルター
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カタリナ・ルター(Katharina (Katherine) Luther, 旧姓:カタリナ・フォン・ボラ/Katharina von Bora, 1499年1月29日 - 1552年12月20日)は、宗教改革者のマルティン・ルターの妻。出身は貴族であり、ローマ教皇首長とするカトリック教会修道女であったが、26歳の時に修道院を脱出し、41歳のルターと結婚して牧師夫人となった。ルターの著書に「私の女王」として言及がある。

カタリナは結婚し夫の助け手としてルターに従った夫人であり、宗教改革の家庭観において重要な人物である。プロテスタント聖書に根拠がないとして聖職者独身制を否定し、そのため教役者は結婚するようになったが、カトリック教会側はこれを非難した。ルターは教皇の神学者らに対し、結婚して満ち足り、子供が与えられて幸せだと反論した[1]

ルターとの間には三男三女(ヨハネス、エリーザベト〈生後8か月で死去〉、マグダレーナ〈13歳で死去〉、マルティン、パウル、マルガレーテ)をもうけた。家庭は円満で、一家は以前ルターが暮らしていた修道院の建物に住んでいた。

脚注

  1. ^ 『著名人クリスチャンの結婚生活』

参考文献

  • 『著名人クリスチャンの結婚生活』中村敏 ファミリー・フォーラム・ジャパン