オマル・アブドッラフマーン (テロリスト)
オマル・アブドゥル=ラフマーン(Omar Abdel-Rahman、アラビア語: عمر عبد الرحمن)は、盲目のイスラム原理主義運動の指導者。1938年5月3日生まれ。エジプトのイスラム過激派組織のイスラム集団(アル・ガマーア・アル・イスラーミーヤ)の精神的指導者で、世界貿易センター爆破事件やルクソール事件の首謀者として逮捕、終身刑が宣告され、アメリカ合衆国・ノースカロライナ州・ローリーの北東70kmに位置するバトナーの連邦政府矯正複合施設(FCC)に収監されている。
経歴
オマル・アブドゥル=ラフマーンは、エジプトのダカリーヤ県に生まれ、幼くして糖尿病から盲目になった。幼児期からイブン・タイミーヤのサラフィー主義やサイイド・クトゥブのクトゥブ主義(Qutbism)に傾倒した。カイロのアル=アズハル大学入学後は注目されるようになり、反体制であるとして投獄を経験する。
1970年代にはエジプトの2つの主要なイスラム主義組織であるジハード団(EIJ)とイスラム集団(GI)の双方で頭角を表し、両者の接近が実現する。1980年代にはジハード団は、その後アル・カイーダをウサーマ・ビン=ラーディンとともに指導することになるアイマン・ザワーヒリーが率いていく。
オマル・アブドゥル=ラフマーンは3年間、エジプトの獄中で過ごすが、この間、酷い拷問を受ける。その報復が、1981年のジハード団によるサーダートエジプト大統領暗殺となった。アブドゥル=ラフマーンの関与は実証されなかったが、アブドゥル=ラフマーンは国外追放となり、アフガニスタンに向った。パキスタンのペシャワールでは師であるアブドゥッラー・アッザームがビン=ラーディンを従えて「マクタブ・アル=ヒダマト」(MAK)を組織していた。ここで、アブドゥル=ラフマーンはビン=ラーディンと緊密な関係を結んだ。MAKがアル・カイーダに改組され、アブドゥッラー・アッザームが暗殺されると、アブドゥル=ラフマーンはアル・カイーダの思想上の指導者となった。
1990年、アブドゥル=ラフマーンは、アル・カイーダのアメリカでの拠点構築と財政面での基盤作りのためにニューヨークに移った。アブドゥル=ラフマーンは旅行者用のビザでサウジアラビア、ペシャワールやスーダン経由でニューヨークに入り、アメリカ・カナダで精力的に活動、ニューヨークでは3つのモスクで説教を行った。アメリカのイスラエル人極右のメイル・カハネを暗殺したエル・サイード・ノサイルなどと交友を持った。エル・サイード・ノサイルらは、世界貿易センター爆破事件を引き起こす。ノサイルらにはビン=ラーディンから資金が提供されていた。この事件後、FBIは、アブドゥル=ラフマーンやノサイル周辺を捜査、アブドゥル=ラフマーンらが国連本部やリンカーン・トンネル、ジョージ・ワシントン・ブリッジなど5箇所を同時に爆破する「ニューヨーク・ランドマーク同時爆破計画」を進めていることが発覚した。1993年、アブドゥル=ラフマーンや9人のテロリストはFBIに逮捕された。1995年10月1日に有罪宣告がなされ、1996年に終身刑が確定した。
アブドゥル=ラフマーンには妻が2人おり子供を10人なした。そのうちの1人・アシム・アブドゥル=ラフマーンは2001年以降、ウサーマ・ビン=ラーディンの最側近といわれ、ビン=ラーディン同様にターリバーンからアフガニスタンの市民権を与えられた。アシムはユダヤ・十字軍に対する聖戦のための国際イスラム戦線の指導者の地位にいるとされる。