エチオピアのフルメンティ

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エチオピアのフルメンティ
大主教
他言語表記 ゲエズ語ラテン文字表記: frēmnāṭōs
英語表記例: Phrumentios, Frumentius
死没 383年
崇敬する教派 東西教会
記念日

8月1日エチオピア正教会
10月27日カトリック教会
11月30日正教会・グレゴリオ暦12月13日に相当)

12月18日コプト正教会
守護対象 アクスム帝国
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エチオピア大主教フルメンティ[1]ゲエズ語ラテン文字表記: frēmnāṭōs, 英語表記例: Phrumentios, Frumentius、383年頃永眠)は、キリスト教聖人東西教会のいずれにおいても、聖人の概念をもつ諸教派で崇敬されている。エチオピアへのキリスト教伝道で知られる。ギリシャ語からフルメンティオスΦρουμέντιος[2])、ラテン語からフルメンティウスFrumentius)とも転写出来る。

フルメンティはシロフェニキア・ギリシャ人(Syro-Phoenician Greek)としてティルスに生まれたが、幼少の頃に奴隷としてアクスム皇帝に売られ、アビシニアに移り住んだ。宮廷の近くで成長するとともにアクスム皇帝の知己となり、皇帝の子の教師となった。のちに皇帝の許可を得て一時帰郷した際にアレクサンドリアに立ち寄り、聖大アタナシオスに会う。その際、アタナシオスから主教叙聖されてアビシニアに戻った。以後、アクスム皇帝に洗礼を授けたのをはじめとして、多くのエチオピア人に伝道を行い、多くの聖堂を建てた。エチオピア人達からは「我らの父」「平和の父」と呼ばれた。エチオピアでは、新約聖書を現地の言葉に最初に翻訳したのはフルメンティであるとも伝えられている。

脚注

  1. ^ 表記出典:『正教会暦 2009年』日本ハリストス正教会教団
  2. ^ フルーメンティオスとも転写出来る。

出典・外部リンク