ウラジーミル・マケイ
ウラジーミル・マケイ Уладзі́мір Уладзі́міравіч Маке́й | |
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2014年 撮影 | |
生年月日 | 1958年8月5日 |
出生地 |
ソビエト連邦 白ロシア社会主義ソビエト共和国、ベロルシア、グロドノ州 |
没年月日 | 2022年11月26日(64歳没) |
死没地 | ベラルーシ、ミンスク郊外 |
出身校 | ミンスク国立言語大学 |
ベラルーシ共和国第7代外務大臣 | |
在任期間 | 2012年8月20日 - 2022年11月26日 |
大統領 | アレクサンドル・ルカシェンコ |
ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・マケイ(ベラルーシ語: Уладзі́мір Уладзі́міравіч Маке́й、ロシア語: Владимир Владимирович Маке́й、Vladimir Vladimirovich Makei、1958年8月5日[1] - 2022年11月26日)は、ベラルーシの政治家、外交官、軍人[2]。2012年より10年の間、外務大臣・特命全権大使を務めた[2]。
来歴・人物
1958年、旧ソビエト連邦構成国時代のベロルシア(ベラルーシ)グロドノ(フロドナ)州に生まれる[2]。1980年、ミンスク国立言語大学を卒業後、白ロシア軍管区において軍人としてのキャリアを開始し、その傍らで90年代に入るとウィーン外交学院で学び1993年に卒業、同年から外交官の道へ進みベラルーシ共和国軍移行後の退役大佐となる[2]。1996年から1999年まで在フランス大使館参事官、2000年まで汎ヨーロッパ協力局の局長などを経て、2008年まで大統領補佐官、2012年まで大統領府長官を歴任し、同年8月より外務大臣・特命全権大使に就任した[2]。
ルカシェンコ独裁体制の下で
ロシアにおけるウラジーミル・プーチンの台頭[3]に先駆けて、1994年の時点でベラルーシの初代大統領に就任し、その後は権力に執着を見せ続け「欧州最後の独裁者」とも称されるアレクサンドル・ルカシェンコ大統領[4]による独裁体制の下では、2000年から大統領補佐官を務めるなど同大統領から一貫して頼られ、西側諸国との間で長年の外交手腕を見せていた[5]。ルカシェンコは事あるごとに閣僚の交代を図ってきたが、外務大臣のマケイについては2012年に就任して以降、例外となっていた[6]。
マケイはロシアに対して西側諸国との連携において批判的な立場をとっていた[7]。しかし、2020年ベラルーシ大統領選挙の結果に反発する反政府デモが発生すると、「西側諜報員が誘発した」と態度を一変させ、2022年ロシアのウクライナ侵攻については、「西側が招いた戦争であり、ウクライナはロシアの和平条件を受け入れるべきだ」との見解を示した[7]。ロシアによるウクライナ侵攻開始から5日目の2月28日、ウクライナ、ロシア双方との国境に近いベラルーシのゴメリ(ホメリ)にて当事者間の会談が行われた際には、冒頭でマケイが立席挨拶を行った[8]。ベラルーシには侵攻開始前から多くのロシア軍が駐留し、ウクライナへの重要な攻撃拠点を提供した経緯があった[8]。
突然の死
在任中の2022年11月26日、ミンスク郊外の自宅で心筋梗塞を起こしたのち、受診をためらい放置していたと見られる状態で死亡したのが確認された[9]。死因などの詳細については当初は明らかにされていなかったこともあり、「ウクライナ巡り臆測も[注釈 1]」とも報じられていた[10]。SNSでは毒殺やロシア連邦保安庁の関与が疑われており[11]、英語圏の複数のタブロイドでは断定的に報じられている[12][13][14]。その中でデイリー・メールは、プーチンに追われイスラエルに亡命したロシア人実業家のレオニード・ネヴズリン (Leonid Nevzlin) がロシアの毒物学者の発言から引用し、ロシア連邦保安庁が開発した「誰もが自然死したと思う」毒物によって殺されたと主張し、マケイの死後にルカシェンコが「料理人、使用人、警備員の交代を命じた」のも根拠にしているのを挙げ、加えてロシアの野党政治家で人権活動家のレフ・シュロスベルグ (Lev Shlosberg) も「自然死と信じるには難しい側面がある」としているの触れた[12]。その一方でベラルーシの政治学者アレクセイ・ゼルマント (Alexei Dzermant) がマケイの身辺の安全は十分守られていたとし、暗殺はあり得ない名言していることや、親クレムリン派のアナリスト、セルゲイ・マルコフ (Sergei Markov) によれば、ベラルーシ当局が毒殺を否定しているとした上で、ルカシェンコのサービス要員の入れ替えについても、「時には必要なことであり、正当な理由になった」とコメントしたのを取り上げている[12]。
デイリー・ミラーによると、マケイはソ連時代のロシア連邦軍参謀本部情報総局で訓練を受けており、ソ連共産党から与えられた任務を遂行し、情報将校としてオーストリアとの関係改善に尽くしたため、同国の諜報機関やソ連国防省指導者からの信頼が厚い一方で、ソ連共産党を支持していたわけでもなく、KGBの指導者とは反りが合わず、その後のロシア連邦保安庁からも敵視されていたとしている[14]。また、アレクサンドル・ルカシェンコ大統領による独裁を推し進めながらロシア側の言いなりになるのを避け、国民、野党、諸外国、宗教界など各方面との落とし所を探り、「ルカシェンコの黒幕」とも目されていたという[14]。FNNプライムオンラインは、ロシアが主導するベラルーシとの軍事同盟に関する自国内で取りまとめた文書の中で、マケイは「ベラルーシがウクライナへの軍事侵攻に自動的に加わる内容を見つけ、ルカシェンコ大統領に署名しないよう進言していた」[注釈 2]とロシアの反体制メディアが報じたことに言及している[11]。
脚注
注釈
- ^ 日本経済新聞による。同紙は、ウクライナのゲラシチェンコ内相顧問がSNSで「彼は(次期大統領候補に名が挙がっている中で)ロシアの影響下にない数少ない人物の一人だった」などとコメントしている点に触れた[10]。
- ^ 太平洋戦争勃発の際のプリーディー・パノムヨン#自由タイの判断にも署名回避の前例がある。
出典
- ^ “Belarusian foreign minister Vladimir Makei dies” (英語). ノーヴァヤ・ガゼータ. (2022年11月26日) 2022年11月28日閲覧。
- ^ a b c d e “Minister and Deputy Ministers” (英語). ベラルーシ共和国外務省. 2022年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月28日閲覧。
- ^ ジェームズ・ブラウン (2021年1月6日). “日本人も知っておくべきプーチン大統領の黒い素顔”. 日経ビジネス電子版 2022年11月30日閲覧。
- ^ 喜田尚 (2021年7月26日). “「欧州最後の独裁者」が任期制限? ささやかれる逃げ道”. 朝日新聞デジタル 2022年11月30日閲覧。
- ^ “ベラルーシ外相の死因めぐり臆測広がる”. ANNニュース. (2022年11月29日) 2022年11月30日閲覧。
- ^ “ベラルーシのマケイ外相が急死、死因不明…「ロシアの影響下にない数少ない人物」”. 読売新聞オンライン. (2022年11月27日) 2022年11月30日閲覧。
- ^ a b “ベラルーシのマケイ外相急死、死因不明 ロ外相との会談控え”. 朝日新聞デジタル. (2022年11月27日) 2022年11月30日閲覧。
- ^ a b “ウクライナとロシアの交渉、ベラルーシ国境で開始”. BBCニュース. (2022年2月28日) 2022年11月30日閲覧。
- ^ “ベラルーシ外相は心臓発作 地元紙が死因報道”. 共同通信. (2022年11月28日) 2022年11月28日閲覧。
- ^ a b “ベラルーシのマケイ外相が急死 ウクライナ巡り臆測も”. 日本経済新聞. (2022年11月27日) 2022年11月28日閲覧。
- ^ a b “ベラルーシのマケイ外相、死因は心臓発作か 地元紙が報道”. FNNプライムオンライン. (2022年11月29日) 2022年11月29日閲覧。
- ^ a b c Will Stewart, David Averre (2022年11月29日). “Belarus minister who maintained ties with the West 'WAS killed by Kremlin assassins', reports claim” (英語). デイリー・メール 2022年11月29日閲覧。
- ^ Daniel Binns (2022年11月29日). “Alexander Lukashenko ‘in fear for life after Vladimir Makei murdered’” (英語). en:Metro (British newspaper) 2022年11月29日閲覧。
- ^ a b c Will Stewart (2022年11月26日). “Belarus foreign minister and Putin ally dies 'after secret talks to end war in Ukraine'” (英語). デイリー・ミラー 2022年11月29日閲覧。