ウズシオタロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。印度孔雀 (会話 | 投稿記録) による 2022年11月4日 (金) 14:22個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (画像提供依頼の取り下げ)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ウズシオタロー
品種 アングロアラブ(アラブ血量25.00%)
性別
毛色 栗毛
生誕 1974年2月21日
死没 2007年8月10日(33歳没)
サトウタイシ
マサヤング
母の父 フルブルーム
生国 日本の旗 日本
宮崎県東諸県郡綾町
生産者 長友実男
馬主 西迫嘉和
→福原勝美
→大内順子
調教師 岡崎康夫(益田
競走成績
生涯成績 250戦15勝
獲得賞金 432万6000円
テンプレートを表示

ウズシオタローとは日本アングロアラブ競走馬繁殖牝馬である。益田競馬場(2002年8月休止)所属であった。

概要

馬齢は原則として旧表記を用いる。

「タロー」という名前だが牝馬である[注 1]。当初は園田競馬場に入厩したもののデビューできず、益田競馬場に移籍して4歳となった1977年4月23日に競走馬としてデビュー(3着)。14歳となった1987年10月11日に現役を退くまでの11年間の間、実に250回にわたって競走に出走(15勝)し、同競馬場の誇るアイドル馬として親しまれた。その走破距離は326kmにもおよぶ。最終年は同年にデビューした吉岡牧子がおもに騎乗し、4月27日には4年4か月振りとなる勝利を挙げた[1]。引退レース(吉岡が騎乗し、8頭立ての7着)では「ウズシオタロー引退記念競走」という同馬の名前が冠されたほどであった[注 2]。レース直後に行われた[2]記念式典では、「鉄人」の愛称で知られたプロ野球選手衣笠祥雄からの祝電が紹介され[2]、その中で「うず潮の如く走りし鉄馬かな」というが贈られている。

出走回数250回は1962年以降の地方競馬平地競走としては長らく史上最多記録であったが[注 3]2007年8月11日高知競馬第4競走に出走したヒカルサザンクロスが251回の最多出走回数をマーク[3]して20年ぶりに記録が更新された。さらにその後、セニョールベストは通算409出走を記録した[4]。しかし、アングロアラブ競走馬の最多出走記録は現在もウズシオタローが保持している。

引退後は千葉県の湘南動物プロダクション(現:市原ぞうの国)で動物タレントとして活動し、また繁殖牝馬としてメジロムサシ産駒のアングロアラブのライトオスカーとの間に1989年に1頭の牝馬を産んだ。その後ファンの女性4人に引き取られ[6]北海道へ移動し、1991年から[6]は北海道白老郡白老町イーハトーヴ・オーシァンファームで余生を送っていたが、2007年8月10日に老衰で死亡した。33歳(現表記)だった[7]。唯一の産駒は、かつて在籍していた市原ぞうの国でタレント活動を行いながら、子孫を残している。

血統表

ウズシオタロー血統アラブ血量25.00% (血統表の出典)

アア サトウタイシ
1966 栗毛
父の父
サラ ヤマニンモアー
1957 黒鹿毛
サラ *ヒンドスタン サラ Bois Roussel
サラ Sonibai
サラ トキノタカラ サラ *プリメロ
サラ スターカツプ
父の母
アラ 弟詠
1945 鹿毛
アラ *イブンヂアド 不明
不明
アラ 太陽 アラ *エルワルド
アラ 師陽

サラ マサヤング
1965 栗毛
サラ *フルブルーム
1940 鹿毛
サラ Hyperion サラ Gainsborough
サラ Selene
サラ Ranai サラ Rabelais
サラ Dark Sedge
母の母
サラ サンフレーム
1958 栗毛
サラ マサムネ サラ *セフト
サラ 峰城
サラ ハツハナ サラ トシシロ
サラ リリアンユートピア C1族

父・サトウタイシがアラブ血量50%のアングロアラブ、母・マサヤングがサラブレッドというアラブ血量25%のアングロアラブであった。

脚注

注釈 

  1. ^ 現在はこのように紛らわしい馬名をつけることは禁止されている。
  2. ^ このレースでは、中央競馬のラジオ実況で知られた蜂谷薫(当時・毎日放送アナウンサー)が、『あどりぶランド』(MBSテレビが関西ローカルで放送していた同局アナウンサー総出演の番組)の企画を兼ねて仮設実況席から特別に実況を担当。レース3日後(1987年10月14日)の同番組では、ウズシオタローの通算出走記録にちなんだ「ウズシオタロー二百五十戦」というタイトルで、実況と現地取材の模様が放送された(シンコーミュージックから1987年に刊行された毎日放送編・著『まるのまんま あどりぶランド』に所収の資料「『あどりぶランド』二百回大年表」より)。
  3. ^ これは地方競馬全国協会が競走馬成績書を整備するようになった昭和44年以降の記録であり、参考記録として、中央競馬地方競馬を合わせた最多は1968年に廃止された繋駕速歩競走におけるビージーキングの271戦、地方競馬の春木競馬場所属であったコガネマルが平地競走障害競走で476戦[3][4]ばんえい競走ではコトブキライアンの488戦[5]がある。

出典 

  1. ^ 地方競馬』1987年6月号、p.46
  2. ^ a b 『地方競馬』1987年12月号、p.33
  3. ^ a b 高知競馬のヒカルサザンクロスが引退”. 地方競馬全国協会 (2008年3月26日). 2021年4月10日閲覧。
  4. ^ a b “競走馬セニョールベスト死す 国内最多出走記録409走 9月末に現役引退”. スポーツ報知: p. 18. (2014年10月14日) 
  5. ^ コトブキライアン 馬登録情報”. 地方競馬データ情報. 地方競馬全国協会. 2021年4月16日閲覧。
  6. ^ a b 『ハロン』1991年8月号、p.64
  7. ^ サンスポ.COM 2007年8月19日の記事。

参考文献

『地方競馬史 第4巻』地方競馬全国協会 1993年

外部リンク