ウィリアム・ターナー・シセルトン=ダイアー

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ウィリアム・ターナー・シセルトン=ダイアー

ウィリアム・ターナー・シセルトン=ダイアー(Sir William Turner Thiselton-Dyer KCMG FRS FLS、1843年7月28日1928年12月23日)は、イギリスの植物学者である。キューガーデンが王立植物園となった後の3代目の園長を務めた。

略歴[編集]

ロンドンに生まれた。父親は医師で母親は植物愛好家であった。キングス・カレッジ・ロンドンで学んだ後、1863年からオックスフォード大学クライストチャーチで数学、自然科学を学んで1867年に卒業した。

サイレンセスターの王立農業大学(Royal Agricultural College)の博物学の教授、ダブリンのアイルランド農業大学(Royal College of Science for Ireland )の植物学の教授を務め、1872年にキューガーデンの園長ジョセフ・ダルトン・フッカーの推薦で王立園芸協会の教授に任じられた。

1875年に、フッカーのもとでキューガーデンの副園長となり、その後30年間に渡ってキューガーデンで働いた。イギリスの植民地で栽培する有用植物の研究を行い、スリランカマレー半島にゴムノキの導入や、トリニダードとのカカオをスリランカのプランテーションに導入するのに功績があった。

1877年にキューガーデンに国際的な研究所を設立する資金を与えられ、自らの資金とともに研究所を設立し、ヨーロッパ有数の研究機関となった。1881年に高山植物のコレクションが寄贈されると新しいロックガーデンを設計した。

1880年にチャールズ・ダーウィンジョージ・ベンサムの推薦で王立協会のフェローに選ばれ、1885年にフッカーが引退した後、1905年までキューガーデンの園長を務めた。

1887年から1890年の間、キングス・カレッジ・ロンドンのフェローに任じられ、1900年のパリ万国博覧会、1904年のセントルイス万国博覧会のロイヤル・コミッショナーを務めた。主な編書、著作には『ケープ植民地、熱帯アフリカの植物』(Flora Capensis and of the Flora of Tropical Africa)や『キュー植物園植物目録』(Index Kewensis :1905)や[1] 、友人のヘンリー・トリメンHenry Trimen)と共著の 『ミドルセックスの植物』(Flora of Middlesex :1869)などがある。フッカーの娘と結婚し、一男一女をもうけた。

1899年に聖マイケル・聖ジョージ勲章(KCMG)を受勲し、1892年にニュー・サウス・ウェールズ王立協会(Royal Society of New South Wales )のクラーク・メダルを受賞した。

参考文献[編集]

  1. ^ Durand, Théophile; Benjamin Daydon Jackson, William Turner Thiselton-Dyer, David Prain, Arthur William Hill, Edward James Salisbury (1908). Index Kewensis plantarum phanerogamarum: Supplementum Tertium Nomina et Synonyma Omnium Generum et Specierum AB Initio Anni MDCCCCI Usque AD Finem Anni MDCCCCV Complectens (suppl.3 (1901-1905) ed.). Royal Botanic Gardens, Kew. https://books.google.co.jp/books?id=BRMDAAAAYAAJ&redir_esc=y&hl=ja 2008年5月27日閲覧。 

外部リンク[編集]