イタリア語版ウィキペディア

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イタリア語版ウィキペディア
Wikipedia in italiano
Wikipedia in italiano
イタリア語版ウィキペディアのロゴ画像
イタリア語版ウィキペディアのロゴ画像
イタリア語版ウィキペディアのロゴ
URL
http://it.wikipedia.org/wiki/
使用ウィキ Mediawiki
分野 限定なし
言語 イタリア語
ライセンス GFDL / CC-BY-SA 3.0 Unported
利用料 無料
設立日 2001年5月11日
管理人 101名(2011年10月1日)
テンプレートを表示

イタリア語版ウィキペディアWikipedia in italiano)は、イタリア語で編集されているウィキペディアの一つである。2001年5月11日に新設され[1]、翌月の6月11日に初めて編集が行われた。

概要

2011年10月1日現在、記事数は約84万5000項目、67万以上のアカウントが登録されており、管理者は101人。英語版ドイツ語版フランス語版に次いで4番目に記事数の多いウィキペディアとなっている[2]

他言語版と比べて小惑星の記事が充実している。なお他に小惑星記事が充実している言語版として、ポーランド語版ポルトガル語版スロバキア語版などがある。

歴史

2001年5月に新設。

2005年8月に、イタリア語版ウィキペディアの記事数が64000を超え、スペイン語版ポルトガル語版を抜いて、当時8番目に大きなウィキペディアとなった。これは、ボットによってスペインムニシピオ基礎自治体)に関するスタブを約8000記事作成した、通称 Comuni spagnoli 作戦(スペインコムーネの意)が大きな要因として挙げられる[3][4]

2005年9月には10万記事を達成し、同時期にオランダ語版の記事数を抜いた。また同年9月には記事数でスウェーデン語版を抜いた。この時期の記事数の増加にもボットが大きく貢献しており、例えばフランスコミューン基礎自治体)の記事をボットが約35000ページ作成するなどしていた[5]。しかし2005年9月23日には、ポーランド語版に記事数で抜かれた。

その後も記事数は増加を続け、2007年5月に30万項目を達成、2008年10月3日には50万項目を達成、2009年12月末には日本語版を抜いて、5番目に大きなウィキペディアとなった。

2009年、イタリア語版ウィキペディアは、イタリアのジャーナリズムの賞として最も歴史が古く権威のある Premiolino英語版 の新メディア部門を受賞した。

2010年6月22日に70万記事を突破(70万番目の記事はロビーハウス英語版であった)同年9月28日には、一度記事数で抜かれていたポーランド語版を抜き返し、4番目に大きなウィキペディアとなった。しかしその後も記事数はポーランド語版とほぼ横並びになっており、2010年10月にはポーランド語版の記事数がやや上回っていた[6]2011年5月12日には80万記事を突破し、同時に再びポーランド語版を抜き返した。

2011年の大規模な抗議

2011年10月4日から、イタリア語版ウィキペディアのすべてのページは、このマニフェストのページへ転送されるようになった。

2011年10月4日イタリア議会内の代議院で審議されている、通称 DDL intercettazioni (通信傍受法案、Wiretrapping Bill)[7]への抗議のために、コミュニティの合意を経て、イタリア語版ウィキペディアの全ページが閲覧不可となり、管理者によってサイトがブロックされた。この法案は ammazzablog[8](イタリア語でブログキラーの意)などといった名称で報道されており、この法案が成立した場合、ウェブ上に掲載されたコンテンツに個人のイメージを傷つけるという訴えが寄せられた際には、48時間以内に内容を修正することが義務付けられる[9]。また修正した際に、その旨を記すコメント等は記入できない。中傷の有無についてを判断する中立的な第三者を置くことは検討されていないため、法案が可決されれば、情報が真実であるか否かにかかわらず、訴えが起こされた場合には情報を修正する義務が生じる[9]。そのため、ウィキペディアの方針の一つである「中立性」を保つことができないものと考えられており、編集に大きな制限がかかるものと予想されている。またそれにとどまらず、サイト自体を削除しなければならない事態に陥る可能性も懸念されている[9]

ウィキペディアのコンテンツ全てが抗議のために空白状態となったのは、全言語版を通して初めてのことである[10][11][12]ウィキメディア財団は、イタリア語版での抗議決定後、同日中に声明を発表し、公式にこの決定を支持した[13]。トップページに表示されたマニフェストは1日で約800万回以上閲覧された[14]

10月6日にイタリア語版ウィキペディアは再開されたが、引き続き上部のバナーに今回の声明が表示されている。

脚注

  1. ^ New language wikis, Wikipedia-l mailing list.
  2. ^ List of Wikipedias
  3. ^ Italian Wikipedia. “Wikipedia:Ultime_notizie”. 2008年2月23日閲覧。
  4. ^ Italian Wikipedia. “Progetto:Geografia/Antropica/Comuni_spagnoli” (italian). 2008年2月23日閲覧。
  5. ^ Italian Wikipedia. “Progetto:Comuni_della_Francia” (italian). 2008年2月23日閲覧。
  6. ^ On October 12, 2010: 735 444 (pl) vs 735.375 (it)
  7. ^ Camera dei Deputati: disegno di legge N. 1415-B” (Italian). Camera dei Deputati. 2011年10月4日閲覧。
  8. ^ da Mirella Castigli (2011年9月30日). “Il caso Nonciclopedia e il DDL ammazza-blog scuotono la Rete”. ITespresso.it. 2011年10月5日閲覧。
  9. ^ a b c イタリア版Wikipedia、閉鎖の可能性 (スラッシュドットジャパン) (2011年10月6日閲覧)
  10. ^ Official announcement (English version); permanent link: http://it.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia:Comunicato_4_ottobre_2011&oldid=43934170.
  11. ^ Intercettazioni, Wikipedia protesta – Homepage in bianco: "Inaccettabile ddl"” (Italian). la Repubblica (2011年10月4日). 2011年10月4日閲覧。 (アーカイブ - WebCite)
  12. ^ Wikipedia Hides Italian Language Edition to Protest New Law | PCWorld Business Center”. Pcworld.com. 2011年10月5日閲覧。
  13. ^ Wikimedia blog » Blog Archive » Regarding recent events on Italian Wikipedia”. Blog.wikimedia.org. 2011年10月5日閲覧。
  14. ^ Wikipedia article traffic statistics”. Stats.grok.se. 2011年10月5日閲覧。 (アーカイブ - WebCite)

外部リンク