アラン・ガードナー (初代ガードナー男爵)

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アラン・ガードナー
Alan Gardner
海軍中将アラン・ガードナー卿 ウィリアム・ビーチー
生誕 1742年2月12日
イングランドユートセクター英語版
死没 1809年1月1日
所属組織 イギリス海軍
軍歴 1755年-1800年
最終階級 海軍大将英語版
除隊後 プリマス選挙区英語版及びウエストミンスター選挙区英語版選出・国会議員
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アラン・ガードナー(Alan Gardner、1742年2月12日 - 1809年1月1日)は、イギリス海軍の軍人で貴族である。ジョージ王朝時代英語版の、最も勇み肌のフリゲート艦長であり、つまるところ、最も敬意に値する提督であるともみなされている。

海軍での経歴[編集]

ガードナーは1755年にイギリス海軍に入隊した。1766年に艦長に昇格し、初めて指揮を執った艦は、火船レイヴン (火船)英語版であった[1]。フリゲートの艦長を幾度にもわたり務めた後は、戦列艦の艦長に昇進した。1782年にはセインツの海戦で指揮を執り、1786年にはユーロパとエクスペリメントから成るアメリカ地域戦隊の准将として、メキシコ湾での密輸を取り締まり、海軍の地理情報の改善のため、カリブ海の詳細な海路の測量を命じた。この間、後の著名な士官であるジョージ・バンクーバーピーター・プーゲット英語版、そしてジョセフ・ホイッドビー英語版などの人物を指揮し、また指導したともいわれている[2]

ガードナーは1790年から1795年まで海軍本部委員会の委員を務め、その後1795年に海軍大将に昇進した。1797年スピットヘッドとノアの反乱では、ガードナーは反乱者と直接交渉したが、結局は癇癪を起こしてしまい、ある反乱水兵ののどを絞め上げて全員を絞首刑にするぞと脅した。このため水兵たちからあわや殺されるところだったが、冷静な交渉により反乱は双方の満足する結果で終結した[3]

ジョージ・バンクーバー

1800年、アイルランド艦隊の総司令官となり、またアイルランド貴族の身分であるユートセクターのガードナー男爵となり、1806年にはイギリス貴族のガードナー男爵となった。プリマス選出の庶民院議員でもあったが、後にウエストミンスターから出馬した。1803年の3月から6月の短期間、ポーツマス総司令官英語版を短期間務めた[4]1807年海峡艦隊の総司令官となり、1809年1月1日に現役のまま死去した。

家族[編集]

ガードナーはウートセクターに生まれ、スザンナ・ハイド・ゲイル(1760年頃-1823年)と、1769年5月20日に結婚した[5]。妻スザンナはジャマイカの家督相続人で、プランテーション主のフランシス・ゲイルと妻スザンナ・ホールの娘だった[5]。ガードナー夫妻には息子が2人生まれた。長男のアラン・ハイド英語版と、甥であるロバート・バリー英語版は共にイギリス海軍の提督となった[要出典] 。 兄弟のヴァレンタインの子で、ガードナーには甥に当たるウィリアム・リナス英語版インドで活躍した。

ガードナーにちなむ愛称と地名[編集]

ジョージ・バンクーバー艦長が、世界の数か所の地名にガードナーの名前をつけた。オーストラリアガードナー山英語版カナダのガードナー海峡、そしてピュージェットサウンドのポート・ガードナー湾英語版である。ピュージェット湾には、彼の妻スザンナにちなんだポート・スーザン英語版という地名もある[要出典]

イースト・インディアマン」の1隻であるアドミラル・ガードナーはガードナーにちなんで名づけられた。1809年1月24日、この艦はグッドウィン・サンズ英語版で難破した[6]。この時イースト・インディアマンは、東インド会社鋳造による、大量の10ペニー及び20ペニー銅貨を積んでいた。マドラス管区で流通させるための貨幣だった[7]。厳重に封印をした樽に保管されていたこともあり、1986年頃にこの銅貨は回収された。土産物の「難破船の銅貨」として、様々な形で商品化されている[8]

脚注[編集]

  1. ^ Wing, Robert and Newell, Gordon (1979). Peter Puget: Lieutenant on the Vancouver Expedition, fighting British naval officer, the man for whom Puget Sound was named. Gray Beard Publishing. ISBN 0-933686-00-5 
  2. ^ Naish, John (1996). The Interwoven Lives of George Vancouver, Archibald Menzies, Joseph Whidbey and Peter Puget: The Vancouver Voyage of 1791-1795. The Edward Mellen Press, Ltd.. ISBN 0-7734-8857-X 
  3. ^ Dugan, James (1965). The great mutiny. Putnam 
  4. ^ History in Portsmouth
  5. ^ a b The Gale/Gayle Families of the West Indies (portrait of Susanna Hyde Gale included)
  6. ^ Wrecks of the Britannia, & Admiral Gardner, East Indiamen, on the Goodwin Sands, 24 Jan 1809”. National Maritime Museum. 2007年3月4日閲覧。
  7. ^ Soho Mint: The Loss of the Admiral Gardner
  8. ^ Coin Community

参考文献[編集]

Laughton, John Knox (1889). "Gardner, Alan" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 20. London: Smith, Elder & Co. p. 430. ; Endnotes:

  • Charnock's Biog. Nav. vi. 583
  • Ralfe's Nav. Biog. i. 407
  • Foster's Peerage
  • Jerdan's National Portrait Gallery

外部リンク[編集]

グレートブリテン議会英語版
先代
ロバート・ファンショウ英語版
ジョン・マクブライド英語版
ウェストミンスター選挙区英語版選出庶民院議員
1790年 - 1796年
ジョン・マクブライド
フレデリック・リーマン・ロジャーズ英語版

1796年 - 1801年
次代
ウィリアム・エルフォード英語版
フレデリック・リーマン・ロジャーズ
先代
サミュエル・フッド
ウェストミンスター選挙区英語版選出庶民院議員
1796年 - 1801年
連合王国国会新設
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
新設
連合王国国会新設
ウェストミンスター選挙区選出庶民院議員
1801年 - 1806年
次代
ヒュー・パーシー
軍職
先代
マーク・ミルバンク英語版
ポーツマス総司令官英語版
1803年3月-1803年6月
次代
ジョージ・モンタギュ英語版
イギリスの爵位
新設 ユートセクター領主
ガードナー男爵

1806年 - 1809年
次代
アラン・ハイド・ガードナー英語版