アバクロンビー (モニター・2代)

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艦歴
発注 1941年4月4日
起工 1941年4月26日
進水 1942年3月31日
就役 1943年5月5日
退役
その後 1954年12月24日にスクラップとして廃棄
除籍
性能諸元
排水量 7,850トン
全長 373.25 ft (113.77 m)
全幅 89.75 ft (27.36 m)
吃水 11 ft (3.4 m)
機関 パーソンズ式蒸気タービン、2軸推進、4,800 hp
最大速 12.5ノット (14.4 mph)
乗員 350名
兵装

アバークロンビー (HMS Abercrombie, F109) は、イギリス海軍モニター艦ロバーツ級モニターの1隻。艦名はジェームズ・アバークロンビー将軍に因む。その名を持つモニターとしては2隻目。

艦歴

アバークロンビーは1941年4月26日にヴィッカース・アームストロング社で起工し、1942年3月31日に進水、1943年5月5日に就役した。本艦が搭載した15インチ砲塔はフューリアス (HMS Furious, 47) の予備砲塔として製造されたものであった。

就役後、ハスキー作戦シチリア島侵攻)参加のためアバークロンビーは地中海へ向かい、1943年7月4日にチュニスに到着した。7月8日にアバークロンビーは上陸部隊を載せた船団とともにシチリア島へ向けて出撃した。そして、7月10日から7月15日までアバークロンビーは砲撃による支援を行った。それにより弾薬が欠乏したためマルタで補給を受け、その後も7月18日から7月23日までシチリア島周辺で活動した。

続いてベイタウン作戦に参加したが、この作戦ではアバークロンビーは砲撃を行う機会はなく、9月4日にアヴァランチ作戦サレルノ上陸)参加のためビゼルトへ向かった。そこを9月7日に出撃、9月9日にサレルノに到着し上陸支援を行った。同日、アバークロンビーは右舷中央部に触雷し、9月11日にパレルモに後退した。アバークロンビーの修理はターラントで行われた。ターラントには10月7日に到着し、修理には10ヶ月を要した。

修理が完了したアバークロンビーは1944年8月15日にマルタ島に到着した。8月21日、マルタ南東沖で訓練中であったアバークロンビーは再び触雷した。今度は2発の機雷に触れ、マルタでの修理は9ヶ月を要した。

修理後、アバークロンビーは対日作戦に投入されることになった。だが、任地に向かう途中、アデン付近で終戦を迎えた。

アバークロンビーは1945年11月にチャタムに帰還し、1954年まで砲術訓練や宿泊艦としての任務に従事した。アバークロンビーは1954年12月24日にバローでスクラップとして廃棄された。

参考文献

  • Ian Buxton, Big Gun Monitors : Design, Construction and Operations 1941-1945, Seaforth Publishing, 2008, ISBN 978-1-84415-719-8

外部リンク