COMPLEX

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COMPLEX
基本情報
ジャンル J-POP
ロック
職業 バンド
活動期間 1988年 - 1990年
レーベル 東芝EMI(イーストワールド)
(1988年 - 1990年)
事務所 IRc2コーポレーション
7'sエンタープライズ
メンバー
吉川晃司ボーカルギター
布袋寅泰ギターコーラス
  

COMPLEX(コンプレックス)は吉川晃司と元BOØWYのギタリスト・布袋寅泰の2人によって結成された音楽ユニット。

目次

[編集] メンバー

人名 パート(ライブ) パート(レコーディング)
吉川晃司 ボーカル
ギター
ボーカル
作詞
作曲
布袋寅泰 ギター
コーラス
ギター
コーラス
ベース(不定期)
キーボード(不定期)
作詞
作曲
編曲

[編集] 来歴

[編集] 結成

二人は、布袋の所属していたバンドであるBOØWYのアルバムに吉川が参加、また吉川のアルバムにギタリストとして布袋が参加するなど結成以前から交流があり、BOØWY解散後の1988年12月10日にCOMPLEX結成を発表する。同年4月に人気絶頂の中で解散したBOØWYのギタリスト・布袋とアイドル・吉川という異色かつ大型ユニット結成の発表に、世間の注目が集まった。翌1989年4月にシングル「BE MY BABY」でデビューし、瞬く間にオリコンチャートを席巻する超人気グループとなる。ロックとポップ、デジタルを融合させたその音楽性は高い支持を得る。

[編集] 活動休止

COMPLEXは高い人気を誇っていたが、結成からわずか2年後の1990年11月8日に行われた東京ドーム公演をもって無期限の活動休止状態となる。表向きは活動休止となっているが、事実上の解散である。COMPLEX結成以前から公私共に付き合いのある友人であった二人だが、COMPLEX後期には関係が悪化していたことは当の本人達も認めており、不仲が活動休止の要因のひとつとなったことは否めない。吉川曰く「離婚したような関係」と語っている。その後、2人の交流はほとんど無かったが、COMPLEX時代の曲を含む、布袋の音楽活動の集大成的なベストアルバムがリリースされ、吉川の口からも「布袋」に関する話題が出るようになった、また布袋のライブに花を贈るなど、一定レベルでの和解は果たしているようだ。

[編集] 逸話

  • 氷室京介はCOMPLEXについて雑誌などでは「こんなことをやるためにバンドを解散したのか」とコメントしたと言うが、真偽は不明。布袋も氷室のシングル「SUMMER GAME」に対し「こんな曲ならば幾らでも作れる」と反論したと言うが、それについても真偽は不明。それ以降、氷室と布袋の間には不仲説が流れた。後に、布袋がパーソナリティを勤めていたNHK-FMの『ミュージック・スクエア』内で否定。
  • ギター雑誌で布袋は「一時的なものではなく、パーマネントにやっていくつもり。吉川もソロをやりたくなったらソロをやるし、俺も『GUITARHYTHM』をやる」と発言。現在は、吉川に対しては「君」付けになり、自分のことを「僕」と言うようになった(布袋はインタビューの内容や相手によって、意識的に使い分けているようである)。
  • 渡辺プロから独立したての吉川と、BOØWY解散後の布袋の、飲み屋での一緒にやろうかと言う話から、双方の事務所も乗り気になり結成に至る。吉川サイドはアイドルからの脱皮を、布袋サイドはソロアルバムに対し、BOØWYファンからの布袋の歌への否定的な声と、ギタリストとしてギターインストの作品を求める声があがり、布袋本人も一流ギタリスト、プロデューサーとして、未熟なボーカリストの自分を認められずにいたために、双方の事務所はこのユニットを進めていった。
  • ボーカリストとしての人気と実力に加え、ソングライターとして急成長する吉川と、音楽の細部にわたるこだわりだけでなく、活動のコンセプトやファッションにいたるまでをプロデューサーとして捉える布袋との間に、徐々に溝が生まれ、最後は飲み屋でのつかみ合いに発展して活動停止に至った。二つのまったく違う事務所が進めていくプロジェクトはやはり無理があったようだ。また、当時、コンピュータを多く導入したサウンド作りを考えていた布袋と、COMPLEXのコンサートツアーで一流ミュージシャンの生バンドで歌うことの楽しみを知った吉川との間に音楽性の根本的な違いが生じたことも休止原因と言われている。
  • 吉川は自身の20周年企画番組の中で、「組んでみたら最初から全然感覚から何から違っていて、最後のアルバムを出すときにはもう勝手にやってという感じだった。」「1枚だけしかアルバムを出さないのはカッコ悪いから2枚目のアルバムも出したんだけど、その時はもう、完全に分業体制でレコーディングをしていた。」というニュアンスのコメントを残している。ただし、解散のときに「プロデュースの仕方とか、(布袋の)仕事を見ていて得るものは沢山あった。」とコメントしている。
  • ただし『ミュージック・スクエア』内で組まれたCOMPLEXセカンドアルバム特集においては、布袋とゲストの吉川両名ともアルバムコンセプトや社会情勢、お互いの音楽ルーツについて深く語り合うなど、上記の確執を感じさせないパートナーシップを感じさせていた。
  • 活動停止直後に同番組内で「演りたくなったらまた演ろうというのは全然おかしくないと思うのだけど、みんな深読みするからね」とコメントをしたが、更に後には「商業的成功以外、何も得ることはなかった」とコメントを翻している。
  • 活動停止直後の音楽雑誌において、布袋は「COMPLEXさえ組まなければ、少なくとも友達を失くす事はなかった筈なんだよね」とコメントしていた。
  • 解散直前の時期、布袋は既に『Guitarhythm II』の製作に入っていたが、吉川の強力な希望によって最後の東京ドームコンサートが実現した。吉川は後に「布袋は、最後の東京ドーム公演が終わったステージ上で、自分とCOMPLEXを組んで以来初めて笑ったんだぜ」と語った。
  • 氷室京介は解散後の二人について「吉川が布袋から受けた音楽的影響は、決して小さいものではないはず。」と語っている。
  • 結成当時のインタビューで初対面の印象を聞かれ、布袋は「やっぱりアイドルってこんな感じかっていう。肩幅もあってバランスが取れてるし。ロックの奴ってやっぱ斜めじゃん。」とお互いの長所を的確に言い表した。吉川は「とにかくデケェ!っていう。俺より背の高い奴なんてそんなに会った事なかったし、190cmなんて規格外でしょ!」と言っていた。「何だ?この会話は。君らプロレスラーか?」渋谷陽一に突っ込まれていた。

[編集] 代表曲

BE MY BABY
デビューシングル。このシングルCDは、オリコン初登場1位。
PVは、白地のバックの中で2人が演奏するだけという超シンプルなものであったが、迫力・存在感は日本音楽史上に残る出来になっている。2人の話題性と共に、このPVで一気にCOMPLEXの人気は不動のものになった。2009年にはトヨタ・bBエクササイズ篇のCMソングとして使われている。
恋をとめないで
2005年アサヒ飲料缶コーヒーWONDA」の吉川晃司本人が出演したCMにも使われた。シングルリリースされていないにもかかわらず(1stアルバム『COMPLEX』収録)、COMPLEXを語る上で絶対外せない曲であり、ライブでも最も盛り上がる曲の一つだった。ドラマ『白鳥麗子でございます』で使われることもあった。
また、吉川はソロでもよく演奏している。
1990
セカンドシングル。このシングルCDは、オリコン初登場1位。
布袋は音楽誌・GIGSのインタビューで「会心の出来」と語っている。

[編集] ディスコグラフィ

[編集] シングル

[編集] アルバム

[編集] ビデオ

  • BE MY BABY
  • COMPLEXTOUR'89
  • romantic(romantic1990ツアーでのライブ会場限定販売)
  • romantic extra
  • 19901108

[編集] CM

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