24の前奏曲とフーガ
24の前奏曲とフーガ 作品87は、ドミートリイ・ショスタコーヴィチが作曲した24の前奏曲とフーガからなるピアノ曲集。20世紀ソ連のピアノ音楽を代表する作品として名高い。
概要
1950年7月にショスタコーヴィチは、J.S.バッハの没後200年を記念して、ライプツィヒで開催された第1回国際バッハ・コンクールの審査員に選ばれ、ソ連代表団長として参加した。この記念祭にバッハの作品を多く聴いたことと、バッハ・コンクールに優勝したソ連のピアニスト、タチアナ・ニコラーエワの演奏に深く感銘を受けたことが、この作品を作曲するきっかけとなった。
ショスタコーヴィチは早速、同年10月10日から作曲に着手し、次々に前奏曲とフーガを作曲したが、当初は自身のピアノ演奏の技術を完成させるための多声的な練習曲として着想していた。しかし記念祭を通して受けた印象をもとに構想が次第に大きくなり、途中からバッハの『平均律クラヴィーア曲集』にならって、全ての調性を網羅する大規模な連作として作曲することに決定し、翌1951年2月25日に全曲が完成した。後に差し替えられた第16番の前奏曲を除いて、番号通りの順番で作曲され、1曲完成するたびに、ニコラーエワがショスタコーヴィチのために弾いたという。初演は1951年4月5日にショスタコーヴィチ自身の演奏(抜粋)によって、全曲初演はニコラーエワによって1952年12月23日と12月28日の2日間で行われた。
発表された当初、初演の直後に行なわれた同年5月16日の合評会では、党から「理想主義的傾向」や「形式主義的傾向」にあたるとして厳しい批判を受けたが、マリヤ・ユーディナ、エミール・ギレリス、ゲンリフ・ネイガウス、ニコラーエワらのピアニストからは絶大な支持を受けた。彼らはこの曲集を積極的に演奏してその普及に貢献し、やがてロシアのピアニストたちの重要なレパートリーとして定着した。ショスタコーヴィチも愛奏し、この曲集から抜粋を何度も録音している。
構成
24組の前奏曲とフーガからなり、通して演奏すれば約3時間を要する。
- 第1番 ハ長調
- 第2番 イ短調
- 第3番 ト長調
- 第4番 ホ短調
- 第5番 ニ長調
- 第6番 ロ短調
- 第7番 イ長調
- 第8番 嬰ヘ短調
- 第9番 ホ長調
- 第10番 嬰ハ短調
- 第11番 ロ長調
- 第12番 嬰ト短調
- 第13番 嬰ヘ長調
- 第14番 変ホ短調
- 第15番 変ニ長調
- 第16番 変ロ短調
- 第17番 変イ長調
- 第18番 ヘ短調
- 第19番 変ホ長調
- 第20番 ハ短調
- 第21番 変ロ長調
- 第22番 ト短調
- 第23番 ヘ長調
- 第24番 ニ短調
全体の曲調は穏やかで平明な雰囲気が支配的であるが、力強い部分や、深く物思いにふけるような部分も見られる。また、オラトリオ『森の歌』の主題が所々顔を出すが、これはジダーノフ批判を受けた以降の中期作品の特徴でもある。