2012年ブエノスアイレス鉄道惨事
2012年ブエノスアイレス鉄道惨事 | |
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発生日 | 2012年2月22日 |
発生時刻 | 午前8時33分頃(ART、UTC-3) |
国 | アルゼンチン |
場所 | ブエノスアイレス特別区、バルバネーラ地区、オンセ駅 |
路線 | サルミエント線 |
運行者 | TBA(Trenes de Buenos Aires、トレネス・デ・ブエノスアイレス) |
事故種類 | 衝突 |
原因 | 運転士の不手際整備不良によるブレーキ故障[注釈 1] |
統計 | |
列車数 | 1 |
死者 | 51人[1] |
負傷者 | 703人[2] |
2012年ブエノスアイレス鉄道惨事(2012 Buenos Aires rail disaster)は、2012年2月22日にアルゼンチン・ブエノスアイレスのバルバネーラ地区にあるオンセ駅で起こった列車衝突事故である。「オンセの悲劇」(Tragedia de Once)という呼び方が主流である。
8両編成の電車には1200人以上[3]が乗車して混雑していた。時速26 kmでホームに進入し[3]、先頭の電動車とその後ろの2両がホーム末端の車止めに激突した。駅の出口に近い車両に移動する乗客で先頭車両と2番目の車両は特に混雑しており、これらの車両から死者と重傷者が発生した[4]。51人が死亡して700人以上が負傷した[4][5]。
事故が起こったサルミエント線は当時、民営企業であるTBA(Trenes de Buenos Aires、トレネス・デ・ブエノスアイレス)によって運営されていた。2011年9月13日に同線ではフローレス駅踏切事故が起きており、衝突したバスの乗客11人が死亡し、228人が負傷したばかりであった上に発生したこの事故は、アルゼンチン史上3番目に犠牲者の多い鉄道事故となった。同国史上最も多い死者を出した1970年のミトレ将軍鉄道・ベナビデス列車追突事故では142人が死亡、368人が負傷し、2番目に多い1978年のミトレ将軍鉄道・急行エストレージャ・デル・ノルテ=北極星)号脱線転覆事故(急行エストレージャ・デル・ノルテ号の悲劇)では55人が死亡、56人(公式)が負傷した[6]。
事故
TBA(Trenes de Buenos Aires、トレネス・デ・ブエノスアイレス)社の保有する"Toshiba"電車の"Chapa 16"(第16編成)はサルミエント線で運用されており、謝肉祭(カーニバル)休暇後初の仕事日である2月22日、列車番号3772[7]として始発駅であるモレーノ駅を出発し、順調に終点のオンセ駅に到着する予定であった[8][9]。しかしこの日、"Chapa 16"は終点であるはずのオンセ駅の所定の位置に停車することは出来なかった。なんと、50 km/h(31マイル)という駅に入線するには速すぎるスピードで入線したと報じられたのだ[10]。このオンセ駅の構造は全て頭端式ホームである。"Chapa 16"は所定の停車位置を通り過ぎ、線路の末端までに停止できず[11]、アルゼンチン標準時 (ART/UTC-3) 8時33分に26 km/hで古いイギリス製の車止め(バッファー)に激突した。先頭の電動車とその後ろの2両[注釈 2]が押しつぶされ[12]、2両目の自転車用荷物車は先頭車両に7 mもめり込んだ[4]。衝突が爆発のようだったと表現する乗客もいた[13]。
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事故の当核となった"Toshiba"電車の"Chapa 16"(第16編成・写真奥から手前へ向かう電車)
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押しつぶされた先頭車と2両目の荷物車
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オンセ駅の頭端式ホームと車止め(バッファー)
救出活動
事故発生時に地区内にいた救急車の中には、B型インフルエンザの流行に見舞われていた船舶の到着を待っていた車もあったが、事故の犠牲者を近隣の病院に搬送することに使用された[9]。駅ホームでは救急隊員による蘇生などの活動が展開され、軽症の乗客は徒歩で事故現場を離れた[9]。民間ボランティアによれば、車両の強固で複雑な構造が残骸の除去を困難にし、その結果救助活動を難しくしたという[9]。車両端のクラッシャブルゾーンが大破し、また当該の電車・"Toshiba"の窓には金属製の枠が設置されており、これが事故の衝撃で外れかけ外からの救助を難しくし[14]、車内では化粧板が粉砕し網棚が外れる等の大きな被害が出た[15][16]。それに加え、衝撃で沢山の乗客が押し出され、床と天井、およびそこに設置されていたファンデリアに丁度挟まれる形になっていた[17]。電車の運転士は生き残り、救出されて救急車で搬送された。多くの人々が運転士の救出に携わった[9]が、運転士は重症ではなく、飲酒運転の疑いがあるかどうかの確認のために行われた血中アルコール含有量のテストも陰性であった[18]。
この事故により安全確認と車両の手配の関係から、サルミエント線は事故後数時間は通常の運転を行なうことが出来ず、運転再開を求め、さらにTBAの運営に文句のある複数の利用者は、事故現場を保全する連邦警察や兵士に瓶、棒きれ、椅子などを投げつけたが、警察はそれらの抗議者をすぐに排除し、秩序を取り戻した[9]。なお、サルミエント線ではTBAの不十分な運営に対した利用者や左翼組織による同様の暴力的な抗議がこの事故以前にも度々行われていた[19][20][21]。 この事故では最終的に3人の子どもを含む51人の死亡が確認され、700人以上が負傷した[1]。救助が終わり、現場検証が済むと、被害の少ない車両から順次車両の引き上げが行われた。その後、激突の場面と音声による記録が事故原因を判定するために調査された[22]。
反応
国内
クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領は2日間の国喪日を宣言し[5]、謝肉祭(カーニバル)を中断した。マウリシオ・マクリブエノスアイレス市長とダニエル・スシオーリブエノスアイレス州知事も大統領と同様の行動を取った[23]。フアン・パブロ・スチアビ運輸大臣は政府が事故を調査することを発表し、電車の運転士が十分な休息を取っていた上に労働報告書は良好だったことを報じた。電車と駅に設置されていた運転記録装置と前方記録映像は特別区連邦警察に引き渡された[24]。フリオ・デ・ビード計画・公共投資大臣は、大統領がサルミエント線の運営者であるTBAに対する訴訟を開始すると発表した[25]。急進市民同盟はスチアビ大臣の弾劾を提案し、サルミエント線の整備状態についての説明を要求したほか、TBAへコンセッションを譲歩している国家による適切な統制の欠如についての以前からの訴えを指摘した[26]。彼らはまた議会に対して、事故と政府の責任に関する調査委員会の設置を強く求めた[27]。市民連合はデ・ビード大臣の発表を批判し、事件に関与している大臣という立場では原告となれないことを指摘した[28]。労働総連合はアルゼンチンの鉄道全体の貧弱な状況を訴え、この事故が問題を浮かび上がらせたと主張した[26]。アルゼンチン労働者中央連合はTBAの鉄道運営許可の剥奪を要請し[28]、5月24日、大統領はTBAへの鉄道運行認可(コンセッション)取り消しの処分を下した。この後、TBAは解体され、運営していた路線及び列車の運行は政府と他の民間鉄道運営企業の合弁組織であるUGOMS(ミトレ・サルミエント線緊急運営組織)が引き継ぎ、TBAが整備を怠っていた車両や線路・踏切などの再整備、駅のリニューアルを積極的に行った。
国際
イギリスの外務・英連邦省は事故を遺憾に思い、「犠牲者の家族」と「現在も救出活動中の救急機関」に対して哀悼の意を表した[29]。メキシコの外務省は哀悼の意を表し、「姉妹国アルゼンチン」と「犠牲者家族と負傷者の迅速な回復」を願った[30]。ローマ教皇ベネディクト16世は哀悼の意を表した[31]。
調査
当初、組合のリーダーは「電車はうまく動いていたし、前の駅ではブレーキに問題はなかった」と発言し[11]、同様に証言する乗客もいた[13]。28歳の運転士は拘置されたが、後に検察が拘置に異議を唱え、宣誓の下に宣言してから事故調査裁判官によって解放された。「私は2度ブレーキを動かそうとしたが、ブレーキの機構は動かなかった」と述べ、彼はブレーキハンドルのほかに手ブレーキを動かそうともしたが失敗していた[1]。裁判記録では、運転士は事故調査人に「それぞれの駅で、ブレーキに問題があることを無線で司令に忠告した」と語ったとされているが、運転士は司令にそのまま運行を続けるように言われたと報じられている[32]。当核の車両"Toshiba"は、運転室の運転台左側にマスター・コントローラー、右側にブレーキハンドル着脱式のブレーキ弁が設置されており、常用の電気ブレーキが故障で全て機能しない場合には自動的に空気ブレーキに切り替わり、マスター・コントローラーに設置されているデッドマン装置から手を離すと自動的に非常空気ブレーキがかかるように設計されているが、老朽化と整備不良による空気圧縮機の動作不良などで正常に機能しなかったという説が有力となり、一時はそれが原因とされた。しかし、さらなる調査により、運転士の不手際が事故を招いたという結論が出され、2020年現在はこちらのほうが正しいとされている。
注釈
脚注
- ^ a b c “Declaró el maquinista y fue excarcelado: "Intenté frenar dos veces, pero el mecanismo falló"” (Spanish). Clarín. (2012年2月24日) 2012年9月13日閲覧。
- ^ “Identificaron a los 50 fallecidos en Plaza Miserere” (Spanish). Clarín. (2012年2月23日) 2012年2月23日閲覧。
- ^ a b 列車事故で49人死亡、駅で激突 アルゼンチン」朝日新聞夕刊、2総合、2頁、2012年2月23日、
- ^ a b c Rozenwasser, Einat (2012年2月25日). “Un operativo que resultó eficaz pero que ahora revela fallas” (Spanish). Clarín 2012年2月25日閲覧。
- ^ a b “2012年2月アルゼンチンの政治情勢(内政・外交)”. 在アルゼンチン日本国大使館 (2012年3月). 2013年6月22日閲覧。
- ^ “El tercer accidente ferroviario más grave en la historia del país” (Spanish). La Nación. (2012年2月22日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ Tragedia de Once - El estado del tren Chapa 16 segun el fiscal - TN.com
- ^ “Tragedia ferroviaria en Once: ya son 50 los muertos y hay 703 heridos” (Spanish). Infobae. (2012年2月22日) 2012年2月27日閲覧。
- ^ a b c d e f “Descarrilo un tren en Once y hay varios heridos” (Spanish). La Nación. (2012年2月22日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ Warren, Michael (2012年2月24日). “Argentine train slams into station, killing 49”. Arab News 2012年2月25日閲覧。
- ^ a b “Dozens dead, hundreds injured in Argentina as train crashes into platform”. RT. (2012年2月22日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ “Forty Dead, Up to 550 Injured in Argentine Train Crash”. RIA Novosti. (2012年2月22日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ a b “Se sintió una explosión terrible” (Spanish). La Nación. (2012年2月22日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ https://www.perfil.com/noticias/politica/los-trenes-entre-sospechas-y-accidentes.phtml - perfil.com
- ^ https://www.mendovoz.com/amp/tragedia-once-familiares-realizan-homenaje-renen-macri-34241.html - mendovos.com
- ^ http://www.continental.com.ar/multimedia/videos/asi-fue-el-choque-del-tren-sarmiento/20130220/video/1845484.aspx - continental.com
- ^ http://andigital.com.ar/policiales-y-judiciales/item/74515-a-7-anos-de-la-tragedia-de-once - andigital.com
- ^ “El test de alcoholemia realizado al maquinista dio negative” (Spanish). La Nación. (2012年2月23日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ https://www.24con.com/amp/5998-fuego-y-destrozos-en-la-estacionmerlo/ - 24con.com
- ^ https://www.pagina12.com.ar/diario/elpais/1-58722-2005-11-02.html - pagina12.com
- ^ https://www.lanacion.com.ar/sociedad/incendiaron-cinco-trenes-del-sarmiento-nid1370122 - lanacioon.com
- ^ Lavieri, Omar (2012年2月29日). “En el juzgado salieron a decir que el peritaje no tiene plazos” (Spanish). 2012年9月13日閲覧。
- ^ “El gobierno nacional decretó duelo y suspendió el carnaval” (Spanish). La Nación. (2012年2月22日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ “Schiavi: "Si ocurría ayer hubiera sido una cosa mucho menor"” (Spanish). La Nación. (2012年2月22日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ “El Gobierno se presentará como querellante y no descartó medidas administrativas” (Spanish). La Nación. (2012年2月23日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ a b “La CGT expresó su solidaridad con las víctimas del accidente” (Spanish). La Nación. (2012年2月22日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ “Tras la tragedia, exigen al oficialismo que constituya una Comisión de Transporte” (Spanish). La Nación. (2012年2月23日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ a b “La CC pedirá juicio político a De Vido por la tragedia” (Spanish). La Nación. (2012年2月23日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ “Reino Unido lamenta accidente de tren en Argentina” (Spanish). BBC News. (2012年2月22日) 2012年2月23日閲覧。
- ^ “México lamenta el trágico accidente ocurrido en Argentina” (Spanish). Presidencia de la República. (2012年2月22日) 2012年2月23日閲覧。
- ^ “El Papa se manifestó "profundamente afligido" por la tragedia argentina” (Spanish). La Nación. (2012年2月23日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ “'Faulty brakes caused' Argentina train crash”. Al Jazeera (2012年2月26日). 2012年9月13日閲覧。
関連項目
- アルゼンチンの鉄道
- ブエノスアイレスの鉄道
- 鉄道事故
- 2011年フローレス駅列車衝突
- カステラール列車衝突事故 - 2013年6月13日に同じくサルミエント線のカステラール駅付近で発生した、電車同士の追突事故。信号待ちで停車をしていた"Toshiba"にそれを大幅にリニューアルした"PUMA V.2"が時速約60kmで追突。後者に連結の2階建て車両を含む多くの車両が脱線、3人が死亡し315人が負傷した。
- 2013年オンセ駅列車衝突事故 - 2013年10月19日にこの事故と同じ、サルミエント線オンセ駅の車止めに"Toshiba"電車を大きくリニューアルした"PUMA V.2"が衝突し、先頭車両が衝撃でホームに乗り上げた、「オンセの悲劇2」とも呼ばれる事故。原因は運転室の制御装置から本来装備されているはずのデッドマン装置が不正に撤去され、運転士が制御装置から手を離し、居眠り運転をしていたことであることが運転室内の監視カメラに記録より判明した。運転士を含め死人は出なかったものの、寝ぼけた状態で運転室を出た運転士は2012年のこの事故による不信感でいっぱいの一部の利用者に囲められ、「人殺し、人殺し!」と言われながら病院へ搬送されたという。
- Toshiba (サルミエント線・ミトレ線用電車) - この事故で大破した電車。名前(愛称)の通り日本の東芝で製造された電気機器を搭載し、1956年より日本国内の各鉄道車両製造企業により製造され、約60年に渡ってサルミエント線の顔として親しまれた。"PUMA"はこの"Toshiba"を大幅にリニューアルした車両であり、改造により2階建て車両も登場した。