鳥屋野運動公園野球場
鳥屋野運動公園野球場 鳥屋野球場 Toyano Baseball Stadium | |
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施設データ | |
所在地 | 新潟県新潟市中央区女池南3-6-4(鳥屋野運動公園内) |
座標 | 北緯37度53分23.9秒 東経139度2分48.5秒 / 北緯37.889972度 東経139.046806度座標: 北緯37度53分23.9秒 東経139度2分48.5秒 / 北緯37.889972度 東経139.046806度 |
開場 | 1963年8月 |
所有者 | 新潟市 |
管理・運用者 | 新潟市開発公社(指定管理者) |
グラウンド |
内野:クレー舗装 外野:天然芝 |
照明 | なし |
使用チーム • 開催試合 | |
新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(ベースボールチャレンジリーグ、2007年 - 2009年) | |
収容人員 | |
14,000人 | |
グラウンドデータ | |
球場規模 |
グラウンド面積:12,547m2 両翼:97 m、中堅:120 m |
フェンス | 2.0 m |
鳥屋野運動公園野球場(とやのうんどうこうえん やきゅうじょう)は、新潟県新潟市中央区の鳥屋野運動公園内にある野球場。旧称 新潟市営鳥屋野野球場。現在も球場正面の銘板はこの表記となっている。施設は新潟市が所有し、新潟市開発公社が指定管理者として運営管理を行っている。
歴史
[編集]1963年8月、翌1964年開催の第19回新潟国体(この年は秋季大会が東京オリンピックの関係で春季に変更された)に合わせて竣工。しかし、国体閉幕直後に襲った新潟地震の影響で一部損壊し、1965年夏まで長期閉鎖を余儀なくされたが、以後は高校野球、社会人野球などアマチュア野球公式戦を中心に開催している。
初のプロ野球公式戦は1966年5月3日に開催された、サンケイアトムズ(現東京ヤクルトスワローズ)対広島カープ4回戦。1989年には両翼を90mから97mに拡張されるなどしたが、老朽化や設備の陳腐化などもあって、プロ野球の一軍公式戦は1996年6月9日の近鉄バファローズ対西武ライオンズ12回戦を最後に開催されていない[注 1]。
二軍戦ではイースタン・リーグ公式戦の他、1977年にはウエスタン・リーグ、1994年にはイースタン・リーグの各トーナメント大会が開催されたことがあるが、1998年4月25日のイースタン公式戦・読売ジャイアンツ対日本ハムファイターズ戦を最後に、1999年から2007年までの9シーズンは二軍戦に関しても開催実績がなかった。なお2008年6月28日には実に10年ぶりにイースタン公式戦・読売ジャイアンツ対北海道日本ハムファイターズ戦1試合が開催されたものの、観客数や安全面の問題などから外野スタンドは開放されなかった。
また2007年に発足したベースボール・チャレンジ・リーグ(当時北信越ベースボール・チャレンジ・リーグ)は、発足当時所属球団について「特定の本拠地を設けない」という規定を設けていた[注 2]が、このうち新潟県を本拠とする新潟アルビレックス・ベースボール・クラブは、球団創設当初は鳥屋野を自軍ホームゲームの主たる開催野球場とせず、三条市の三条市民球場(三條機械スタジアム→三条パール金属スタジアム)をメイン球場とした。他の5球団はいずれも、それぞれが本拠とする県の県庁所在地にある野球場が最も設備が整っていることからホームゲームの大半をそれらで開催した。しかし新潟市内には当時設備の整った野球場がなかったことに加え、2008年から球団の拠点を長岡市に移転したことや、三条市が新潟市と長岡市のほぼ中間部に位置している点、長距離移動による負担軽減の必要性などといった地理的な条件を考慮して、新潟BCはホームゲームを三機スタジアムと長岡市悠久山野球場の2球場を中心に開催する方針を採ったため、鳥屋野でのホームゲームは年間数試合にとどまっていた(2007年と2008年は各4試合を開催)。2009年夏、新潟県立野球場(HARD OFF ECOスタジアム新潟)が竣工し、このシーズンは新潟県立で5試合、鳥屋野では2試合が開催された。2010年シーズンは新潟市での開催地を新潟県立に一本化(2010年は前・後期合計10試合を開催)したため鳥屋野での開催はなくなり、以後も実施されていない。
なおメインスタンドの一・三塁側ポール際付近と外野スタンドは盛り土構造となっているが、老朽化による安全性の問題から立入りが制限されている。
2009年春、同年開催予定の「トキめき新潟国体」の競技会場となることを想定してスコアボードを改修し、表示を簡素化した上でLED式となった[注 3]。
新潟市は鳥屋野運動公園野球場について築60年と老朽化していることから、2024年度以降に同地で建て替えるか、若しくは別の地に新築移転することを含めて有識者による議論を経て今後の方針を決めるとしていた[1]。しかし2024年元日に発生した能登半島地震の影響により液状化現象などで施設が破損し使用不能状態となったことを受け、同年2月に「新潟市スポーツ施設の未来構想会議」は「鳥屋野球場について、鳥屋野潟南部地区(新潟県スポーツ公園内)に新築移転することが望ましい」との提言書案を纏め、同年3月下旬に提言を正式決定の上で新潟市長・中原八一宛へ提出する方針であることが明らかになっている[2]。
新潟県内の硬式野球場事情
[編集]新潟県は鳥屋野潟対岸の中央区長潟にある新潟県スポーツ公園の南側園地で新たな野球場の整備事業を進め、2009年6月30日に前述の県立野球場が竣工し、NPBやBCリーグ公式戦の開催や、高校野球など主要アマチュア公式戦のメイン開催は同球場へ移行した。また、新潟市も市内2箇所で野球場の新規整備を進め、西区黒埼地区の板井地内で整備事業が進められた「みどりと森の運動公園」の園内にはアマチュア規格を充足するみどりと森の運動公園野球場が2011年7月にオープンした他、南区白根地区南部(庄瀬地域)の真木地内では新潟市白根野球場が2013年4月に竣工し、供用を開始している[注 4]。
新潟市の旧市域内の硬式野球場はこの鳥屋野の他、西区小針に1970年竣工の新潟市小針野球場があり、共に老朽化が著しく進行しているが、市では両球場の処遇に関し、前述の2球場が竣工した後も「当面は補修しながら供用を継続する」と方針を明らかにしている。しかし、小針野球場は2021年に老朽化のため閉場した。
施設概要
[編集]メインスタンドのエントランス部はスロープ状になっており、観客を地平部からスタンド2階に直接誘導する形となっている。この動線の設計は、かつてロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)が本拠地としていた東京スタジアムを模したものだといわれているが、定かではない。
- 両翼:97m(実寸は97.6mだが表記は左記の通り)、中堅:120m
- 内野:クレー舗装、外野:天然芝
- スコアボード:LED方式(イニングスコア・現打者のみ)2008年末まではパネル式
- 照明設備:なし
- 収容人数:14,000人
- 内野:9,680人(背もたれなしセパレート席、ポール際付近はコンクリート製ベンチ席)外野:4,320人(芝生)
- メインスタンドの一・三塁側ポール際付近(上述のベンチ席)と外野スタンドは、安全上の問題から立入不可。このため現在の実勢収容人数は8,000~9,000人となっている。
交通
[編集]公園内のその他の施設
[編集]- 鳥屋野運動公園球技場
- 鳥屋野運動公園馬場
- なお、新潟市鳥屋野総合体育館は鳥屋野運動公園内ではなく、中央区神道寺に所在する。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 当球場開場から1996年まで新潟県内で開催されたプロ野球公式戦は日程を土・日2日間に編成し、主に土曜日は長岡市悠久山野球場などで、日曜日は当球場で開催した。また1982年までは、照明設備がない地方球場での週末の試合では日曜日の試合をダブルヘッダーにすることが多く、当球場での試合はダブルヘッダーで編成されることが多かった。
- ^ 2014年に群馬ダイヤモンドペガサスが、また2015年に武蔵ヒートベアーズが特定本拠地を持つようになり、現在はこの規定はなくなっている。
- ^ トキめき新潟国体の高校野球(公開競技)は、当初案においては県立野球場(HARD OFF ECOスタジアム新潟)をメイン会場、当球場をサブ会場として2球場で開催する予定だったが、その後全試合を県立野球場で開催する方針に転換されたため、当球場での開催は見送られた。
- ^ 市が新設した硬式2球場の建設計画は、いずれも旧自治体との「合併建設計画」として立案されたもので、前者の黒埼は旧黒埼町を編入した際に法定合併協議会において策定されたもの。また後者の白根は旧白根市の建設計画を継承して合併建設計画に組み込まれたものである。なお白根は当初2011年秋の竣工を予定していたが、2009年に建設予定地で実施した地質調査の結果、地盤が軟弱で改良を要することが判明し、用地造成の完了予定が2011年度末にずれ込んだことから、竣工も2012年度末に繰り下げられた。
出典
[編集]- ^ "鳥屋野球場(新潟市中央区)建て替えへ 築60年、新潟市が移転含め検討". 新潟日報デジタルプラス. 新潟日報社. 2 November 2023. 2024年2月20日閲覧。
- ^ "新潟市鳥屋野球場の移転を提案、鳥屋野潟南部へ「新潟市スポーツ施設構想会議」提言書案まとめる、3月末をめどに新潟市長に提出". 新潟日報デジタルプラス. 新潟日報社. 15 February 2024. 2024年2月20日閲覧。