ノート:地方病 (日本住血吸虫症)

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記事の名前[編集]

なんかたとえるなら「イチロー (鈴木一朗)」とか「羽田空港 (東京国際空港)」みたいで、ほかの記事の名前と比べて違和感を感じるんですが、どうなんでしょう--Greedalgo会話2016年4月26日 (火) 16:13 (UTC)[返信]

記事名について[編集]

過去の議論に目を通した上での質問なのですが、この記事名は本当に問題ないのでしょうか。直上で疑義が出ていますが、同様のことを感じました。Wikipedia:記事名の付け方#正式名称には「なお、記事名の括弧内に別名、原語、読み仮名(通称のほうを記事名としている場合には正式名称)を併記してはなりません。」という記述があり、現在の記事名である「地方病 (日本住血吸虫症)」はまさにこれに該当しているのではないかと思うのですが。--五斗米道評定|戦歴|矢文 2016年12月16日 (金) 11:02 (UTC)[返信]

リダイレクト元の変更提案[編集]

上の記事名にも関係しますが、日本住血吸虫症から地方病_(日本住血吸虫症)にリダイレクトされるのはとても妙ですよ。本ページは山梨県のローカルな話題を扱いたいという執筆者の意見があったと思います。日本住血吸虫症からのリダイレクト先を日本住血吸虫に変更しませんか?。また本ページの山梨県に限らない日本住血吸虫症の全般的な話も日本住血吸虫に移動しませんか?HIVから「slimming disease (HIV)」 (slimming disease:やせ病)にリダイレクトをつくるようなものと思います。なお英語版では、en:Schistosoma_japonicum(日本住血吸虫)として日本住血吸虫症に言及されています。本来なら日本住血吸虫症で議論する話題かもしれませんが、記事名のこともありますのでこちらで提案させていただきました。--melvil会話2017年1月22日 (日) 15:15 (UTC)[返信]

反対 移動ではなくコピペで日本住血吸虫を充実させるなら良いと思いますが、現在の地方病_(日本住血吸虫症)から日本住血吸虫症の全般的な話を抜くと言う話ならばいかがなものでしょう。起承転結がこれだけ行き届いた出来栄えの記事に手をつけるというのはよほどの読み込みをしたうえでないと単なるマイナスになりかねません。この記事だけで山梨県の日本住血吸虫症克服史が完璧ともいえる説明になっています。日本住血吸虫症の全般的な話を抜いてこれだけのバランスを取れた出来栄えが維持できるかと言うと疑問です。あっちもこっちも中途半端になっては困ります。--ぱたごん会話2017年3月5日 (日) 16:17 (UTC)[返信]
え~っと、「本頁から日本住血吸虫症の全般的な話を抜く」という話ではありませんよ?。単なるリダイレクトの変更処理の提案なんですが・・・。本頁からコピペで日本住血吸虫を充実させるという件については反対しませんが、それはまた次の話だと思いますよ。本頁をどうこうするという提案ではありません。--melvil会話2017年3月6日 (月) 01:57 (UTC)[返信]
上記のメルビルさんの発言『また本ページの山梨県に限らない日本住血吸虫症の全般的な話も日本住血吸虫に移動しませんか?』と言う話がそういう話「本頁から日本住血吸虫症の全般的な話を抜く」という話なのではないかと解釈できるので反対しましたが、地方病 (日本住血吸虫症)の記事そのものには一切手を付けないと言う話であるならば反対しません。--ぱたごん会話2017年3月6日 (月) 03:23 (UTC)[返信]
少し妙だなと思っていましたが当方の確認不足でした。申し訳ありません。確かにご指摘のことも私が提案しておりました。1月に書いたことなので記憶があやふやになっており、よく確認せずに返答してしまいました。記事を移動させる点については、そうするのが本筋かと考えますが、ぱたごんさんが心配されていることも懸念されますので、安易に手をつけることは難しいとも思っておりました。当方はリダイレクト先を変更できればそれで十分で、その後の作業にはあまり手をつけるつもりはありません。よって上記提案には取り消し線を引かせていただきます。混乱させてしまってごめんなさい。--melvil会話2017年3月6日 (月) 06:15 (UTC)[返信]
地方病_(日本住血吸虫症)の記事そのものには一切手を付けない、リダイレクト先を変更だけの話であるというなら反対はしませんので反対flagは取り消しました。しかし積極的に賛成するものでもなく、むしろ慎重にして欲しいので賛成票も入れません。--ぱたごん会話2017年3月6日 (月) 07:09 (UTC)[返信]

(インデント戻します)melvilさんぱたごんさん、私もこの日本住血吸虫症リダイレクトについては少し気になっていました。これは元々の作成時には日本住血吸虫へのリダイレクトだったものです。ですから転送先の変更と言うよりは転送先を元に戻すと言うことになると思います。あるいは考え方を変えてリダイレクトではなく曖昧さ回避ページにする方法はいかがでしょうか?イメージとしては現状の住血吸虫のようなものです。--さかおり会話2017年3月6日 (月) 07:14 (UTC)[返信]

タイトルの件[編集]

melvilさんに同意します。「地方病」と「風土病」を分けるのは奇妙です。タイトルは「日本住血吸虫」だけにしましょう。「地方病」(日本住血吸虫)だと誤解を生みます。--Falcated会話2020年2月20日 (木) 02:33 (UTC)[返信]

記事内容読む限り「(特に山梨県の)日本住血吸虫症との戦い」が主題なので、そういう言葉(病気の根絶計画などに名前があるならそれとか)をタイトルにすべきではないでしょうか?
戦いに関する記事で例えるなら「関ヶ原の戦い」→「西軍(石田三成)」、「日本海海戦」→「バルチック艦隊(日露戦争)」とかって負けた軍の名前で記事名つけるようなものだと思うんですが。--電流丸会話2020年12月18日 (金) 15:31 (UTC)[返信]
コメント 改名提案ならば正規の手順で提出・告知してください。「地方病」が「日本住血吸虫症」という山梨県の「風土病」を指す名詞であることは、記事中にもあるように「山梨県地方病撲滅協会」・「風土伝承館 杉浦醫院・「宮入慶之助記念館」・「毎日新聞」など一般に使用されている歴史のある形式です。--ジャムリン会話2020年12月24日 (木) 15:36 (UTC)[返信]
コメント 記事名については過去に一度議論と合意形成がなされています。(ノート:地方病_(日本住血吸虫症)/過去ログ1#記事名に関して参照。)そしてそれを機に、記事がいまのようなすがたに発展しました[1]
あまり何度も「蒸し返し」ても、生産的ではないでしょう。本記事は、なんどか「Wikipediaを代表する記事」としてメディアにも採り上げられていて、注目を集めやすいというところはありますね。
ですが、百科事典にとって最も重要なのは記事の中身です。中身の充実をはかることなく、「私はこう思う」みたいな理由で記事名ばかり弄くり回しても、あまり生産的ではないです。店の中身を変えずに看板ばかりつけかえても、あまり価値はない。いちど議論としてまとまったなら、それでいいのでは。--柒月例祭会話2020年12月25日 (金) 02:25 (UTC)[返信]

導入部の長さについて[編集]

導入文7節の配置を変え、定義的な導入部2節・日本住血吸虫症の説明5節に分離したところ差し戻されていたので、こちらの方で議論させていただきます。
Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に記事の導入文の説明がありますが、それによると導入部は長くても3~5段落で、「地方病」がいくら情報量の多い記事とはいえ7段落(しかも各段落がかなり長い)は多すぎます。
(Wikipediaは記事全体が長くても「目次」から各節には移動できますが、目次=最初の見出しの手前に行くまでがスクロールするほどの距離だと読みづらいです。)
一例に他の記事を例にとると日本住血吸虫の導入文は3段落で「1:日本住血吸虫とは何か」「2:どういった生物に寄生するのか」「3:どういったところにいるのか」を簡易的に説明しているのに際し、地方病は「1:地方病とは」「2:地方病の正式名である日本住血吸虫とは」「3:日本住血吸虫は日本という名前があるが日本が発生源ではないことについて」「4:日本では撲滅に成功していることについて」「5:日本における分布域について」「6:病気の正式名は日本住血吸虫症だが山梨県では地方病と呼んでいたことについて」「7:甲府盆地以外の日本住血吸虫症についてどこを見ればいいか」で明らかに導入部のレベルを超えています。
別に内容を削れとは言いませんが、「1:」だけでも導入部は足りますし、「病気の正式名は日本住血吸虫症だが『地方病』でタイトルをつけた理由」まで説明するとしても「1・6:」で十分ですからここ2節を最初に持ってきて、残りは新しい見出しを作ってここから日本住血吸虫(症)の簡易説明をするか、「2・3・4・5:」を日本住血吸虫の記事に移した方がいいと思います。--電流丸会話2020年12月26日 (土) 03:16 (UTC)[返信]

 

  • コメント ノートでの議論に応じてくださったことには感謝します。さてWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)ですが、WP:LEADLENGTHでは「2014年に大雑把な目安として、30,000バイト以上の長い記事で3 - 5段落の長さを採用しました。これは導入部がそれ以降の本文の量を反映しているという説明を大雑把に試みたに過ぎません。」とあり、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんへのリンクもあります。
  • これはつまり、「3-5段落」は絶対的基準ではないということです。「長い記事」の一つの目安として「30,000バイト以上」と定義していますが、本記事は230,000バイト以上あります。一律に「30,000バイト以上だから3-5段落まで」と適用するには無理があるでしょう。
  • なお、実際に2014年当時の議論をみればわかりますが(Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (導入部)/過去ログ2、とくに「英語版の翻訳による修正_導入部の特に量の指針です」「導入部の量として段落数による目安の追加」あたり)文章量・段落数の規定の導入にあたっては、1利用者が他の複数の反対意見があったにも関わらずいつまでも納得しない姿勢で押し切って修正してしまった、というのが実情でしょう。「記事が大きいのに導入部が短すぎる・記事が小さいのに導入部が長すぎる」のが問題であるという意見、「記事全体の長さや内容に応じた適切な分量」、「段落数で規定することに意味はない」という意見もあったのです。当時の議論でも「30,000バイト以上だから3-5段落まで」みたいな定めを独り歩きさせることのナンセンスさ・害について論じられています。--柒月例祭会話2020年12月26日 (土) 03:40 (UTC)[返信]
確かにスタイルマニュアルは絶対的なルールではありませんが、「ページを開いた際『目次』が見えないほど導入部が長い」のは記事全体の把握がしにくいので、例え規則がなくても使いやすさの問題だと思います。(というかスタイルマニュアルって本来そういう使いやすさのガイドですよね?)
別の例で例えると、出典表記で「本文内に出典をつける」のは認められており、「~であった。(誰々『○○』どこそこ出版、2020年、p.××参照)」というのは規約違反でも何でもありませんが、だからと言って十数か所出典がある文章で全部この方式で本文内に書かれてたら読みにくいという理由で脚注方式に修正されても仕方ないと思います。
(ここまで極端な付け方はしないでしょうが、特撮系の記事で基本機能にある<ref></ref>(←便宜上括弧部分全角)でつけた脚注が{{efn|}}方式や{{R||}}に直されているのを見たことがあります。)--電流丸会話2020年12月28日 (月) 12:09 (UTC)[返信]
「せねばならんこと」ではなく「してもしなくても良いこと」であるならばこの記事の質にほとんど貢献していない人がほぼ完成した記事に自分の好みの押し付けは止めましょう。この記事は当然GA審議FA審議などで検討されたうえで秀逸であるとされているのです。多くの人の目が入って今のスタイルの多くはこれで良いとされているのです。そんな出来栄えの良い記事を電流丸さんたった一人の俺好みで直さないでいただきたいと思います。--ぱたごん会話2020年12月29日 (火) 01:47 (UTC)[返信]
逆に聞きますが、それでは何のためにWikipediaに目次機能はあるのですか?
「見出し4つ以上で自動的に作成され、自動的に上の方に来る」重要な機能のはずです。(Help:セクション参照)。
私が言いたいのは「してもしなくてもよい事」ではなく「閲覧の助けになる目次が下の方に来て読みにくい」が「見出しの一つ追加という簡易な作業でここが読みやすくなり、全体の情報内容にはほぼ影響はない。」です。(秀逸な記事だからと言ってこれ以上の変更をしてはいけないわけではないはずです)
それとなぜ「冒頭文の後半部に日本住血吸虫症の説明の見出しをつけてはいけない」と固執されるのですか?。
「ここで見出しをつけて分離や順番を入れ替えると内容が大きく変わってしまう」というなら分かりますが、上記のように「ここで扱う地方病の定義(1・6)」と「日本住血吸虫症の説明(2~5・7)」で内容は完全に別ですし、記事全般の要約にしても「日本住血吸虫は日本という名前があるが日本の固有ではないことについて」や「甲府盆地以外の日本住血吸虫症について」などは山梨県における日本住血吸虫症克服・撲滅に至る歴史が主題の記事内にあること自体はいいとしても、わざわざ目次を見えにくくしてまで要約に記載しなければならない内容ではないと思います。
(追伸:年始関係の都合と、この文章を書いていて言葉遣いが荒くなりがちな気もするので、少し落ち着いてから再度ここに来ようと思います。この投稿への返信は遅くなるかもしれません。)--電流丸会話2020年12月31日 (木) 14:03 (UTC)[返信]
横レス。このコメントはWikipedia:記事の所有権で問題視されている発言そのもののように思います。--Polyaness会話2021年1月4日 (月) 20:54 (UTC)[返信]
電流丸さん「僕はこうしたほうが良いと思うんだ」直す→さかおりさん「いいや、元のほうが良い」戻す→電流丸さん「いいや、僕のかんがえが正しい」→例祭さん「元のほうが良い」→電流丸さん「僕の方が良い」→ぱたごん「元のほうが良い」→ソックパペットが沸いてくる。と言う流れです。電流丸さんのほうが正しいのであればなぜソックパペット以外に電流丸さんの意見に同意する人が現れないのでしょう?記事は主筆者の物ではないですが、同様に電流丸さんの物でもありません。主執筆者が異常と思うかどうかは関係ないのであれば同じく電流丸さんが異常と思うかどうかも関係ないです。主筆者の好きにできるものでは無いのと同じく電流丸さんが好きにできるものでは無いです。電流丸さんが提案合意の過程を踏まないので戻されてしまったのです。そして今のところ電流丸さんの考えで合意は得られそうもないので「変更しないほうが良いという人が一定数いるのに合意なく勝手に変えるな」と言われているのです。--ぱたごん会話2021年1月5日 (火) 05:15 (UTC)[返信]
帰ってきて早々荒事は言いたくありませんが、ソックパペットの意味も分からずに人を非難しないでください。
「ソックパペット」はウィキペディアでは「多重アカウント」(Wikipedia:多重アカウントも参照)のスラングであり、私のように「電流丸が電流丸の意見を支持する」のは当たり前の行為です。(私が「電圧星」や「抵抗角」を名乗って「電流丸さんの言うとおりだ」とか書いたらソックパペットですが)
本題に入りますが、私が気にしていたのはこの記事が「日本住血吸虫症」の下位カテゴリーに当たるもの(山梨県での話)であり、上位カテゴリーより情報量が多いのは仕方ないかもしれませんが、そこで上位カテゴリーの詳しい説明を「冒頭文」に入れるべきでしょうか?(この場合症例全般や世界的な分布などの情報)ということです。
日本住血吸虫症とこの記事のように正式名と地方名の双方の記事がある例で、アマダイ興津鯛(アマダイの静岡県における地方名)がありますが、この興津鯛の記事に私が「アマダイの生態」「アマダイの分布」「日本各地でのアマダイの水産高」などを書くのはいいかもしれませんが、前述の情報を「興津鯛(おきつだい)は静岡県中部でのアマダイの地方名(略)」という冒頭文につけくわえたら「それはもっと後の方に書くべきではないか」となりませんか?--電流丸会話2021年1月5日 (火) 13:05 (UTC)[返信]
  • コメントええと、その流れであることはWikipedia:記事の所有権に反した振る舞いを正当化しませんよね?
仮に電流丸さんがソックパペット行為をしたとしても(もちろんそうでないとしても)、世界の誰一人として電流丸さんに同意していなかったとしても、です。
いや、私は新参者ですしルールの読解もとても完璧とは言えませんので、もし「Wikipedia:記事の所有権なんて実用上は無視して構わないしみんなそうしている」とかいうことならそれ以上何も言えないのですが…ぱたごんさんのページ見たら超ベテランみたいですし…
(その場合は、当該文書をガイドラインから外すか、せめて冒頭文と例を修正するべきだとは思います)--Polyaness会話2021年1月5日 (火) 18:19 (UTC)[返信]

コメント そんなに他の人に記事を変えられるのが嫌なら自分のウエブサイトに公開したらいいんじゃないんですかね。この記事は記事作成者のものではありませんよね。主執筆者なる人が「主執筆者としては「異常」とは考えておりませんので差し戻させていただきますね。」と要約に書いて差し戻してますが、主執筆者が異常と思うかどうかは関係ないですよね。差し戻しの理由になってないです。自分の好みの押し付けはやめましょうっていう人もいますが、まるで自分は押し付けしてないかのような言いぶりですね。導入部分については、電流丸さん流のほうが見やすいと思った。編集競合。Worth talking with会話2021年1月4日 (月) 21:06 (UTC)[返信]

コメント 私個人でいえば読みやすさでいえば電流丸さんが編集する前の方が良かったです。電流丸さんの分離した概要まで複数の図を含めて一気に読めてしまった方がこれから先に読む長めの記事の全体的な概略の把握から判りやすいものでした。というように他から見て明らかに差異が出ているわけもなく個人的好悪の範疇ならば主筆者の方の版で良いかと思います。記事は主筆者の所有物ではありませんが、主筆者の尽力で他の利用者の審議を経て秀逸な記事となり、wikipedia外でも優れた読み物として評価を受けていることに間違いはないです。--ジャムリン会話2021年1月5日 (火) 02:51 (UTC)[返信]

ぱたごんさんへの返答にも書きましたが、ジャムリンさんは目次が画面スクロールするまで見えない状況でも「全然視聴に問題ない」と思いますか?もし皆様がその通りだというならば私も諦めますが。--電流丸会話2021年1月5日 (火) 13:05 (UTC)[返信]
  • 導入部は、記事全体の大きさに応じて可変と考えるとよいでしょう。A4原稿用紙1枚のレポートに50字の序文があればバランスを欠くと思いますが、1500ページの文献の冒頭に(目次の前に)30ページほどの前書きがあってもなんとも思いません。そもそも、閲覧環境によって1画面の文字数はどうにでも変わりますし、いかなる場合でも、どうしても目次へ急ぎたければ読み飛ばしてスクロールすればいいだけです。電流丸さんの考え方からいくと、次は「目次が長すぎて1画面に収まらないから節を減らせ」と言い出しそうです。--柒月例祭会話2021年1月5日 (火) 13:41 (UTC)[返信]
  • コメント目次に固執される感覚は人それぞれだとは思いますが、少なくとも私には理解できません。事実、どんな記事でも「目次」の右横にある『非表示』をクリックすれば、目次は非表示になります。これは「目次」そのものが必ずしも必須でないことを意味するものだと私は考えていました。詳しくはHelp:セクション#目次(TOC)をご覧いただければと思いますが、「目次」そのものは閲覧者側(個人設定含む)で如何様にも調整可能なものです。こんなんことで意見の対立が起きること自体、あまり意味のある事とは思えませんし、何よりも記事内容の向上につながるとは思えないのですがね。--さかおり会話2021年1月5日 (火) 14:08 (UTC)[返信]
そうですか、皆様がそう思うならこの記事はそれがいいのでしょう。私はこの件でこの記事をいじるのはもうやめにします。
なお、目次が長い場合はどうなのかという意見についてですが、こうした記事は「~のキャラクター一覧」系の記事にしばしばあります(キャラごとが見出しのため)が、これはさかおりさんが言うように目次の最初の「非表示」で折りたためますので全然問題ないんです。
皆様に「導入文は折りたためず、必要最小限になるとは限らない(目次はリンク先だけなので必然的に最小限)。」という事を覚えていただいてほしいのです。--電流丸会話2021年1月9日 (土) 01:18 (UTC)[返信]

「たとえ1匹でも~」[編集]

「(前略)ミヤイリガイは繁殖力が強く、1か所だけで目に見えるミヤイリガイを駆除しても、それは文字通り焼け石に水であり、さらなる有効な撲滅法の出現が待望された。たとえ1匹でもミヤイリガイが残っていれば、感染を絶つことはできない。1匹から4匹のミラシジウムがミヤイリガイに侵入して変態分裂を続け、わずか1匹のミヤイリガイから最終的に数千匹ものセルカリアが生まれるのである[189]。」という文章から「虚偽の記述を除去」として「たとえ1匹でもミヤイリガイが残っていれば、感染を絶つことはできない。」という一文を除去したところ、㭍月例祭さんから「出典のある記述の根拠なき除去」として差し戻されていました。 しかし、この一文は同記事内の「翌年2月13日の山梨県議会において、「ミヤイリガイは依然生息するものの、再流行の原因となる可能性はほとんどない」、と答申・議決され、当時の山梨県知事天野建は地方病終息宣言を行った[233]。」「1881年(明治14年)8月27日の旧春日居村からの嘆願に始まった地方病問題は、1996年(平成8年)2月19日、実に115年目にして終息を迎えた[† 46]。 」と矛盾します。 これをもって「虚偽」とか「事実に反する」という判断を加えてしまうと情報の合成による独自研究に該当するのかも知れません。その場合、先の編集の要約欄コメントは確かに根拠たりえないですね。申し訳ありません。 ですが、虚偽という価値判断をしないにしても、記事内で矛盾を孕んでいることは事実です。これは百科事典の記事としておかしいですし、修正が必要ですよね。 いたずらや荒らしやなにかで除去したのではない、ということはご理解いただきたいです。

ところで、[189]の出典が掛かっている範囲は「1匹から4匹の~生まれるのである。」の一文だけではなく、「たとえ1匹でも~できない。1匹から4匹の~生まれるのである。」の両文、または更に広い範囲ということでよいでしょうか。 私はこの記事のみから前者だと読解したので、出典のない記述と判断して記述の削除で対応したのですが、それが「出典のある記述の除去」ということはきっと誤読であり後者なのでしょうね。 でしたら、「当時の地域住民たちは、たとえ1匹でも~できないと考えていた。[189]1匹から4匹の~生まれるのである。[189]」のように、出典のかかる範囲とその(後の記述と矛盾する)思考の主体とを明記したほうが、文意が一意に定まりよりよい記事になるでしょう。(Wikipedia:言葉を濁さないを参考にしました)

上の文案は当該出典を読まずに書いているので主語が不正確かも知れませんが、編集の意図としてはそういうことです。 幸い近所の図書館に小林 (1998)の蔵書がありますので、それを読んでからならより正確な文案を提示(ないし実際に投稿)できるはずです。--Polyaness会話2021年1月5日 (火) 18:19 (UTC)[返信]

  • 時系列に沿った解説であることをご理解されてのことでしょうか?件の文面はミヤイリガイ駆除活動を行っていた時点でのことです。また、厳密にいえば、2021年の今日であっても海外の流行地から何らかの形でミヤイリガイの生息する水域にセルカリアが放たれれば、理論上生活環は成立するためヒトへの感染も起こりえます。あなた様が要約欄に「虚偽の記述」と書かれることは非常に重いことですよ。--さかおり会話2021年1月6日 (水) 02:07 (UTC)[返信]
>件の文面はミヤイリガイ駆除活動を行っていた時点でのことです。
それが誤読の余地なく明確ではないため、そうなるようにすべきでは、という話です。現状の主語も出典のかかる範囲も明確でない記述では、「たとえ1匹でも~」が(研究が進み知見が蓄積した現在の視点から付記された)補足文とも読めるので。
>また、厳密にいえば~
「たとえ1匹でも~」と「1996年(平成8年)2月19日、実に115年目にして終息を迎えた[† 46]。」はミヤイリガイが絶滅していない限りにおいて両立しません。少なくとも一方が虚偽の記述です。その上で、「厳密にいえば~」とおっしゃるのであれば、後者の文を「終息を迎えた」ではなく「終息宣言を迎えた」とするか、主張を弱めて「事実上の終息を迎えた」などとしたほうが良いかと思います。(終息宣言の時点で(あるいは現在でも)「感染を絶」てていないという立場を仮に取るなら一応矛盾はなくなりますが、終息宣言が「「新たな感染による地方病患者が1978年以降発生していない」こと、「感染したミヤイリガイが1977年以降発見確認されていない」ことなどを根拠に」とあることを考えても、その用語法は読者の理解を阻害する非直感的で無理筋なものに感じます。)
>あなた様が~
↑文の括弧内の立場を取られている場合、虚偽とはいえなくなる可能性には気づかず要約コメントしてしまったものです。軽率だったと思います。申し訳ありません。--Polyaness会話2021年1月6日 (水) 18:58 (UTC)[返信]

返信

>それが誤読の余地なく明確ではないため~
>~その用語法は読者の理解を阻害する非直感的で無理筋なものに感じます。
それは読み手側毎が受ける「感覚的」な話のように思えます。私はこれまで「誤読の余地」など考えもしませんでしたし、「非直感的で無理筋なもの」とも感じておりません。いずれも時系列を追って読んで頂けたら「矛盾」はありません。日本住血吸虫の生活環である、成虫→卵→ミラシジウム→ミヤイリガイ(スポロシスト)→セルカリア→成虫。この生活環のいずれかを遮断すれば病気をなくすことが明らかになり、遮断する対象として選ばれたのが、一連の生活環のうち唯一肉眼で確認することのできるミヤイリガイだったんですよ(体内の成虫を除く)。しかし、実際には肉眼では見えないセルカリアもしくはミラシジウムといった幼生が結果的にミヤイリガイよりも先に遮断されたため、ミヤイリガイは甲府盆地では絶滅せずに残ったんです。このことを確認するため、新規感染者が新たに発生しないか、ミヤイリガイの中にスポロシスト(感染した状態のミヤイリガイ)がいないか、最後に感染者が確認された1977年以降、20年近く追跡調査を行い慎重に様子をうかがい、もう大丈夫だろうと終息宣言が出されたわけです。いずれにしても、あなたが「矛盾だ」と指摘された文面は10年近く現状の状態で、そのようなご指摘はGA選考、FA選考の段階でも、それ以降も、どなたからもありませんでした。あまり感情的なことは言いたくはないのですが、執筆した文面に対して「虚偽の記述」と要約欄を使って除去されることは、執筆編集者にとって(少なくとも私にとって)最大級の侮辱であり、正直なところ「あなた様」と冷静な議論を続ける自信が当面の間ありません。失礼します。--さかおり会話2021年1月7日 (木) 01:51 (UTC)[返信]
  • コメント Polyanessさんは記事内の文章Aと文章Bが論理的に矛盾しているように感じた。その感じ方は「誤読」ないしは記事全体を把握せず、文脈を無視して1文だけ比較したことによる誤謬でしょう。ですが、まあそうした誤読をするところまではやむをえないとして、その場合には、ノートで「AとBは論理的に矛盾しているように思いますがどうなんでしょう」みたいに質問をすればよかったんですよ。
  • ところがPolyanessさんが「虚偽」といって除去した。虚偽というのは、当該部分の執筆者が出典に書かれていないことを偽ったということです。実際はそうではないわけですから、執筆者であるさかおりさんが感情を害されるのは当然でしょう。Polyanessさんは謝罪を口にされていますが、本件に限らず、今後は情報源のある記述への接し方にはもっと慎重にお願いします。
  • Aは「1917年」の文脈に置かれた情報。「地域住民の殺貝活動」節の冒頭で「ミヤイリガイが中間宿主であると解明されてから、「地方病の撲滅はすなわちミヤイリガイの撲滅である」と、人々の間で共通認識」と明記されています。その条件のもとで「たとえ1匹でもミヤイリガイが残っていれば、感染を絶つことはできない」となるわけです。
  • Bは「115年めの終息宣言」節で「ミヤイリガイも撲滅こそされていないものの(中略)「感染したミヤイリガイが1977年以降発見確認されていない」ことなどを根拠に(中略)終息宣言を行った」と明記されています。
  • このようにそれぞれ同一の小節内で予め書かれている事柄を見落とし、Polyanessさんは「誤読の余地なく明確ではない」と感じたということですね。
  • 本記事は、地方病が克服されるまでの歴史を時系列で解説するという構成になっていますので、その途中の文脈を無視して一文だけ切り出して別の時代の記述と「論理的に矛盾」というのは読み方としておかしいです。(たとえば、地球平面説の解説で「地球が平面なので、地の果てに行くと船は落下してしまう」という記述に対して、地球は丸いのだから船が落下してしまうと考えるのは論理的に矛盾しておりこの記述は虚偽だ、と言っているようなものです。)
  • 時系列やそれぞれ示された所定の条件のもとでAとBは両立するわけで、さかおりさんの説明のとおりでしょう。本記事だけ、Wikipedia内に限ったことではなく、世の中一般に通じることですが、物事は論理で成り立っているわけでもないですし、ましてや別々の情報源から得られた情報が相互に一致しないなんてことはあります。それを論理だけで比較して虚偽と断定するのは、ちょっと雑な考え方です。たとえばそうですね、S社とT社がそれぞれ「年間ベストプレイヤー」として別の選手を選出したとして、これに対し「ベストが2つあるというのは論理的に矛盾しているからS社が間違いだ」と言っているようなもの。
  • 山梨県が出したのは「地方病(日本住血吸虫病)の流行」の終息宣言であって、「ミヤイリガイの撲滅完了宣言」ではないわけです。Polyanessさんは、国がインフルエンザ流行の終息宣言を出したのに対して「患者がゼロになっていないのに終息宣言を出すのは論理的に矛盾している」と噛み付いているようなものです。
  • あとはもう、Polyanessさんご自身が、「山梨県は終息宣言を出しているが、大正時代にミヤイリガイの撲滅を条件にしていたのだから、ミヤイリガイを撲滅していないのに終息宣言を出すのはおかしい」と本でもお書きになるしかないのでは。。。--柒月例祭会話2021年1月7日 (木) 03:45 (UTC)[返信]
    ではこちらに纏めて返信させてもらいます。
    >虚偽というのは、当該部分の執筆者が出典に書かれていないことを偽ったということです。実際はそうではないわけですから~
    そこの認識がまず違いますね。S社とT社の例で言うなら、「S社はA選手をベストプレイヤーとした[1]。一方、T社はB選手をベストプレイヤーとした[2]」はいずれも虚偽ではありませんが、「A選手はベストプレイヤーである[1]。一方、B選手もベストプレイヤーである[2]」は少なくとも一方が虚偽の記述です。「〇〇は××と主張した」が虚偽でないとしても「××である」は虚偽であり得ることは、まさに地球平面説の例からおわかりいただけるかと思います。そして私が改変しようとしている文章群は後者の形式を取っています。ですから、主語を明確にすることで前者にしようとしているわけです。
    >本件に限らず、今後は情報源のある記述への接し方にはもっと慎重にお願いします。
    これについては是非もう少し詳しく伺いたいのですが、ある出典が複数の文章に掛かっていることは記事からどのように判断できますか?この節の最初の投稿にもあるように、[189]の出典が削除した文にまで掛かっていることが私には読み取れませんでした。
    >このようにそれぞれ同一の小節内で予め書かれている事柄を見落とし~
    それらを見落としていないことは、私が先の返信で後者の文を引用していることから明らかではないでしょうか。それらを踏まえた上で、なお「誤読の余地なく明確ではない」ということです。
    >山梨県が出したのは「地方病(日本住血吸虫病)の流行」の終息宣言であって~
    なぜそこを誤解していたと思われているのかよくわからないのですが… この記事をインフルエンザの例で言えば、その文の前に「インフルエンザの撲滅はすなわち患者の撲滅である」と書いてあるような状態で、それはおかしいですよね? …という例えになるのでしょうか。明らかに因果が逆転していて混乱を招く例ですけど…。--Polyaness会話2021年1月7日 (木) 22:20 (UTC)[返信]
  • 前段と後段では勝利条件が変わったんですよ。あなたの解釈は、そうした背景文脈を考慮に入れずに各時代から1フレーズだけ取り出して「論理的に矛盾してる」と論難しているだけです。--柒月例祭会話2021年1月8日 (金) 11:24 (UTC)[返信]
    勝ち負けの話を持ち出されては、いよいよWikipedia:中立的な観点に反するのでは?と返すしかないです。当時の住民や山梨県が勝利条件を設定していることと、この項目が勝利条件を設定することは明確に別です。上の返信にも例示しました。「大量虐殺が悪行である」レベルの共通認識すら主語を明示せずには記載できないのですから、この場合の勝利条件云々は当然主語を明示して誰の見解なのかを明確にした上で記述するか、さもなくば取り除くべきでしょう。(一応書いておくと、それで「読み物」としての質が落ちるとしても、です。楽しいが方針に反する文より、つまらないが方針に従った文を記述することが求められるはずです。)2文目は個人攻撃なので返信しません、やめてください。--Polyaness会話2021年1月9日 (土) 21:10 (UTC)[返信]

分割提案または削除依頼に関するもの[編集]

臼井沼」が当記事の「地方病対策の負の側面」内「臼井沼」からのコピペによって作成された事に伴い、当記事から「臼井沼」を分割するか、「臼井沼」の削除依頼を行う必要がでてきました。(ノート:臼井沼を参照)--みかんずき・梅雨会話2022年6月26日 (日) 08:00 (UTC)[返信]

改めて分割提案[編集]

前回は正当な手順をふまないで分割してしまったため、もう一度提案をします。
地方病対策の負の側面臼井沼の項を臼井沼に分割することを提案します。その理由の一つとして、臼井沼は一つの病によって完全に埋め立てられたという特筆性があるからです。--Shjkl会話2022年7月11日 (月) 12:26 (UTC)[返信]

  • 反対 「臼井沼は一つの病によって完全に埋め立てられた」ということが特筆性を主張する第一の理由であれば、私はやはり日本住血吸虫症と埋め立てとの関係を明確にするために分割はすべきでないと考えます。--150.147.226.70 2022年7月11日 (月) 12:53 (UTC) 反対の意志を明確にしました。--150.147.226.70 2022年7月18日 (月) 04:24 (UTC)[返信]
  • 賛成 削除前の「臼井沼」は本記事内からの転記だけでなく、十分な加筆がなされていましたので、適切な分割の手続きに則れば立項を妨げる必要はないものと考えます。『角川日本地名大辞典 山梨県』でも単独項目となっています。立項の際には履歴継承の確認を、加筆の際には参考文献なども記載するようお願いします。--ねむりねずみ会話2022年7月11日 (月) 13:45 (UTC)[返信]
  • (追記)賛成票を投じましたが、分割への賛成ではなく、転記への賛成です。--ねむりねずみ会話2022年7月11日 (月) 13:47 (UTC)[返信]
  • 質問 Shjklさんが、「提案をします。」の後でbrタグを使用していることも、ウィキペディアにおける特筆性を全く理解していないことも、一旦置いておいて、私はねむりねずみさんの仰る「十分な加筆」を見ていないため(初版から{{節スタブ}}を貼っていたことは先に申し上げた通り存じていますが)、1つだけ質問します。
「臼井沼」を加筆するにあたって、Shjklさんは何を「出典」にするつもりでしょうか?参考にする「もの」があるならば、ここで全て(箇条書きで構わないですから)挙げてください。--おっふ会話2022年7月17日 (日) 04:40 (UTC)[返信]
また、この他にもすでに臼井沼の節に出典として追加されているものも参考にしました。--Shjkl会話2022年7月17日 (日) 05:39 (UTC)[返信]
反対 この記事から分割する程の特筆性無いと考えているので反対します。--みかんずき・梅雨会話2022年7月18日 (月) 06:16 (UTC)[返信]
  • 反対 Shjklさんの返信を受けて、反対票を投じます。忌憚なく申し上げますが、資料の調査が全く出来ていない、する気もありませんよね。見たところ「地域探訪」は個人サイトのようですが、これを本当に出典にするつもりでしょうか。ちなみにですが、個人サイトやまとめサイトを出典にする人の多くは無期限ブロックになっていますよ。私は、Shjklさんの執筆力を確認する意味も込めて質問したつもりでしたが案の定、成長していないようで残念です。
取り急ぎ報告しておきますが、臼井沼に関しては、ある自治体史で6ページほど詳しく書かれていました。また、信玄堤および富士川舟運(水運)から言及されていないか探したところ、ほんの少しだけでしたが、臼井沼が沼地になった過程を示唆(出典としては扱い難いでしょうが)、それに関連する史料を載せている書籍がありました。自ら加筆するつもりがあるならば、後者はともかく、「その」自治体史を確認していて然るべきですが、図書館に行って探すつもりはありませんよね。
それはそうと、「名取 (甲斐市)」で朝日新聞の2005年4月1日付の記事を出典として用いていますが、本当に記事を確認されましたか?おそらく、というか間違いなく「竜王新町」の特別:差分/90180331で私が挿入した出典をそのままコピペしましたよね(バレないと思っていましたか)。もう一つ、ここ数日で甲斐市立の小学校の記事を量産しているようですが、私の見間違いでしたら申し訳ありませんが、全く出典がないように見えます。掲題の「臼井沼」と関係ないことのように見えますが、その程度の情報源も探せず、執筆力も皆無であるならば、分割したところで「臼井沼」が百科事典的な記事になるわけがない、そもそも、この「地方病 (日本住血吸虫症)」を作成したさかおりさんに失礼です。--おっふ会話2022年7月18日 (月) 18:36 (UTC)[返信]
返信 (おっふさん宛) あなたに対する意見や反論などをあなたのノートにまとめましたのでご一読ください。--Shjkl会話2022年7月19日 (火) 10:36 (UTC)[返信]
  • コメント ある自治体史および「臼井沼が沼地になった(中略)史料を載せている書籍」は、以下の通りです。
  • 田富町誌編纂委員会編『田富町誌』(田富町、1981年、pp.827 - 832)
  • 山梨県立博物館編『水の国やまなし ー信玄堤と甲斐の人々ー』(山梨県立博物館、2013年、pp.33 - 39, 114 - 116)
また、先行研究は「衛生環境研究所年報」から確認できます。以上です。--おっふ会話2022年7月24日 (日) 05:02 (UTC)[返信]
  • 終了 提案者のShjklさんは3年間ブロックとなり、(私を含める)反対票は3票、2週間以上も新規コメントが無いため、本提案はクローズさせて頂きます。改めてこれの分割提案する際は、別にセクションを設けてください。よろしくお願いします。--おっふ会話2022年8月11日 (木) 16:00 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

山梨県における日本住血吸虫症の流行への改名提案。記事名が「通称 (正式名称)」となっており不適切だと思いますし、山梨県においての病気の流行の歴史についての記述について記述ですからこのほうが適していると思います。また日本住血吸虫症が曖昧さ回避ですが、"症"とついていおり、疾患を表すものなので、住血吸虫症へのリダイレクトで良いと思います。----オルドルボントン会話) 2023年2月16日 (木) 10:27 (UTC) (修正)--オルドルボントン会話2023年2月16日 (木) 10:28 (UTC)[返信]

  • 記事本文中で、「『甲府盆地における地方病撲滅の経緯』を記述する。」と明言しており、〜の流行よりも山梨県における日本住血吸虫症の歴史とか山梨県における日本住血吸血症のほうがいいのではないかと思い、こちらを提案します。過去にも議論があり、地方病から現在の記事名に改名されたようですが、上述のように記事の主題を定義しているためです。

過去の議論では、「当疾患の克服、解明についても詳述している記事で、山梨県に限定するのは望ましいものではない。という意見もあり、「日本住血吸虫の克服史」や「日本住血吸虫の撲滅の経緯」も考えられますが、これだと「甲府盆地における地方病撲滅の経緯」を主題としていることに反するのではないかと思うのと、そもそも「地方病」を記事名に入れている時点で、山梨県についてなのではとも思えます。とりあえず第一候補は「山梨県における日本住血吸虫症の歴史」としておきます。--オルドルボントン会話) 2023年2月16日 (木) 12:11 (UTC) いずれにせよ、現在の「通称 (正式名称)」のような状態は解消すべきだと思います。そもそも、記事の主題は病気そのものではなく、撲滅の経緯ですし。移動後も、自動生成されたリダイレクトは残すつもりですが。--オルドルボントン会話2023年2月16日 (木) 12:22 (UTC)[返信]
また、以上のことに加えて、山梨県に限定されない事柄については住血吸虫症へ分割することも考えました。導入部の「「日本住血吸虫症」とは、「住血吸虫科に分類される寄生虫である日本住血吸虫…」から「…の中心的地域であった。」まで(ただし分割後も「中でも甲府盆地底部一帯は…」の部分は本記事でも記述を残して分割先には複製する形で記述)、及び日本住血吸虫症撲滅の影響と評価の節の最初から「…地方病資料館(風土伝承館杉浦醫院)が2010年(平成22年)に開館した」を 分割(ただし、山梨が撲滅・制圧の中心的役割を担ったことについての記述は複製)、という形で分割すれば、「山梨だけのことじゃないのに山梨が記事名に入っている」という状態は回避できるのでは。よって分割提案。--オルドルボントン会話2023年2月16日 (木) 12:47 (UTC)[返信]

  • 対案として、日本住血吸虫症全般についての記述もあることから曖昧さ回避を削除して日本住血吸虫症に改名してしまう手もあります。そうすれば分割は不要です。--フューチャー会話2023年2月16日 (木) 22:25 (UTC)[返信]
    それと現記事名の残骸は別名併記なので削除した方がいいでしょう。--フューチャー会話2023年2月16日 (木) 22:50 (UTC)[返信]
    ご意見ありがどうございます。山梨県に限定せず、日本住血吸虫症を記事名とすると、筑後川#日本住血吸虫症の撲滅の記述も本記事に転記(分割)して、本記事を当疾患全般について記述のほうがいいですかね。一応これについても筑後川からの分割提案もします。案は、山梨県に特化するか、疾患全般に関する記事にするかのこの2つにわけることができると思うので、わかりやすいように、
  1. 本記事を「山梨県における日本住血吸虫症の歴史」などへ改名、当疾患全般に関することを住血吸虫への分割し、本記事は山梨県に特化した記事内容とする。
  2. 本記事を「日本住血吸虫症」へ改名(曖昧さ回避ページは削除)、本記事は山梨県に限定せず、疾患全般に関して記述する記事とする。それに加えて筑後川#日本住血吸虫症の撲滅を本記事へ転記し、疾患全般の記事とする。

移動残骸はいずれにしても削除(この場合はwp:CSD#R2-5?)。個人的には提案2が良いと思います。--オルドルボントン会話2023年2月17日 (金) 01:18 (UTC)[返信]

提案2に賛成します。また別名併記はリダイレクト2-3です。--フューチャー会話2023年2月17日 (金) 06:36 (UTC)[返信]
  • この記事は疾患についての記事ではなく、郷土史の記事なので、疾患名に改名することには反対します。疾患の記事としてはあまりに不足が多く、余計なことが多すぎます。一方、郷土史の記事として評価され秀逸な記事に選ばれているのだから、内容の分割をするならば再選考のプロセスを踏むべきでしょう。--Mzaki会話2023年2月21日 (火) 00:53 (UTC)[返信]
    以上の意見より弱いコメントとして、記事名が「通称 (正式名称)」となっておりというのは当たらないように思えます。疾患記事ではない以上「日本住血吸虫症」が正式名称というのが当たらないし、ここは私には判断つきませんが郷土史記事として「地方病」というのは単なる通称とは思えません。ただ現在の記事名が最適だと思っている訳ではなく、過去議論も踏まえ適切な記事名の提案が為されることには期待します。--Mzaki会話2023年2月21日 (火) 01:09 (UTC)[返信]
    それなら案1が適切でしょうか?(住血吸虫住血吸虫症の間違い?)--フューチャー会話2023年2月21日 (火) 07:22 (UTC)[返信]
    私は分割すべきかどうかは別問題だと考えていて(郷土史の記事として秀逸な記事に選ばれるにあたり、記事内で説明が必要と判断された内容であれば、仮に他の記事と重複していても記事内にあるべきだから)、分割することが前提で記事名の提案がされているように思えるので、案1にも単純には賛同しかねます。
    それとは別に、現在の記事内容のうち、別記事へ転記することで別記事の充実が望める記述について転記するというのは、それは構わないと思います。
    ただ住血吸虫症は総称記事なので、転記先として日本住血吸虫症(曖昧さ回避のabuseになっていたのでスタブ記事化しておきました)のほうが適切な場合も多いのではないかと思います。--Mzaki会話2023年2月21日 (火) 14:53 (UTC)[返信]
  • コメント 私もMzakiさんと概ね似たような意見で、まず本記事は郷土史を扱ったものですから、「日本住血吸虫症」に改名すること(案2)には反対します。また、この案で本記事への転記が提案されている筑後川#日本住血吸虫症の撲滅ですが、当該節には一つも脚注が付いておらず、転記する価値はないでしょう。一方で案1ですが、敢えて分割する必要があるとも特には思いませんので、積極的に分割へ賛同はしかねるかなと考えます。また、別の記事への分割を提案されている部分についてオルドルボントンさんは「山梨が撲滅・制圧の中心的役割を担ったことについての記述は複製」と仰っていますが、現状「秀逸な記事」である本記事に、どのように記述を残すか示されていない以上、不安があるということもあります。また改名されたとして、跡地のリダイレクトを削除すると過去版や外部サイトからのリンク(この記事の場合多いと思います)が無効になる虞がありますから、削除しないほうがよいのではないかとも思います。--灰色の海会話2023年2月22日 (水) 10:29 (UTC)[返信]
  • コメント 分割については中止し、記事内容を現在のままにした状態で、記事名についてのみ議論したいと思います。「日本住血吸虫症」の改名には反対となると、記事名は「日本住血吸虫症の歴史」や「日本住血吸虫症の撲滅の経緯」などとするほうが良いでしょうか?もしくは、山梨県に限定するべきでしょうか?--オルドルボントン会話2023年2月27日 (月) 14:40 (UTC)[返信]
    コメント 改名提案でふと見つけただけなのできちんと現行記事名の経緯を把握していない私見ですが、「疾患についての記事ではなく、郷土史の記事」と考えると、現在の記事名は、
    • 記事の主題に対する当事者(当事地?)においてもっとも一般的な名称が「地方病」であり、研究・制圧の経過でもそう呼ばれたことから記事名は「地方病」がふさわしい
    • しかし「地方病」という単語は他に風土病全般というより一般的な意味を持つため、曖昧さ回避として「(日本住血吸虫症)」を付して特定している
    と解釈して良いのではないかと思いました。
    この場合、一番シンプルな「地方病 (山梨県)」では「山梨県の風土病全般」という解釈にもなってしまうために「(日本住血吸虫症)」を使っているものと考えられますので、あくまで「山梨の」郷土史記事という観点で現在の記事名を維持するか、それでは「通称 (正式名称)」に見えてしまうというのであれば「地方病 (山梨県の日本住血吸虫症)」なら違和感は減るんじゃないでしょうか(他の県に「地方病」と呼ばれる日本住血吸虫症が無い場合、余計な曖昧さ回避になる点はマイナスですが……)。記事名に「日本住血吸虫症」を主体に置くのでは、少なくとも郷土史の記事という観点からは離れてしまうように思います。--09Palamedes会話2023年2月28日 (火) 13:34 (UTC)[返信]
    疾患そのものではなく郷土史の記事だから疾患名は不適切だとするなら、それは「地方病」でも同じことです。括弧を使わずに済むならその方がいいですし、山梨県における日本住血吸虫症あるいは山梨県における地方病であれば、疾患そのものではなくその地域においてその病気がどうだったかという意味になりますし、後者における風土病全般と解釈される懸念も、山梨県において「地方病」という言葉がどう使われたかという意味を持たせることもできるため、あまり問題にはならないと思います。--フューチャー会話2023年2月28日 (火) 19:43 (UTC)[返信]

自動失効 議論停止から1か月経過につき終了。必要なら新規に改名提案を再提出してください。--2001:268:C209:19E4:88F8:C737:DFBC:65F8 2023年4月3日 (月) 12:06 (UTC)[返信]