馬場秀夫 (政治家)

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馬場秀夫

馬場 秀夫(ばば ひでお、1901年明治34年)9月9日[1] - 1979年昭和54年)6月4日[2])は、日本政治家日本社会党衆議院議員(1期)。行田市長

経歴[編集]

埼玉県出身。1922年東京外国語学校(現・東京外国語大学ロシア語科卒[2]。卒業後は東京日日新聞の記者となり、モスクワ特派員、外国通信部副部長、ロシア課長、出版局編集部長、毎日新聞社出版局長などを歴任した[2]1946年第22回衆議院議員総選挙で埼玉県から日本社会党公認で立候補するが、次点となった。同年5月に鴻巣町長に就任する。翌1947年町長を辞任し、4月の第1回埼玉県知事選挙に社会党公認で立候補したが落選。同月末の第23回衆議院議員総選挙埼玉4区から社会党公認で立候補して当選した。次の1949年第24回衆議院議員総選挙で落選。同年6月に再び鴻巣町長に就任した。1951年鴻巣町の隣の行田市長選挙に立候補して当選した[1]

市長時代は増加する市民とその要求に対処できる行政サービスの強化が課題であった。まず、母子寮の改修、市営住宅や公園、屎尿処理場の建設、市の広報の創刊、更には市営競輪の開催を行った[1]。市長は1期4年で退任し、後任は前市長(初代)の奥貫賢一が就任した。

その後、1960年の埼玉県知事選挙で民主社会党公認で立候補したが落選した。1979年死去。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、720頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』499頁。

参考文献[編集]

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
公職
先代
奥貫賢一
埼玉県行田市長
1951年 - 1955年
次代
奥貫賢一