飯沼長高

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飯沼長高 / 大口長高
時代 江戸時代中期
生誕 不詳
死没 元文2年(1737年12月25日
改名 次郎三郎→丹左衛門
別名 通称:丹左衛門 / 幼名:次郎三郎
姓名:藤原長高、源長高
幕府 江戸幕府
主君 蜂須賀家
阿波徳島藩
氏族 藤原秀郷大口氏
後に源氏飯沼氏を称す
父母 大口清行山田権左衛門
養父:飯沼長賀
兄弟 大口清信飯沼長高先山親行室、梯政休佐野利重
飯沼長賀娘
飯沼長澄飯沼龜次郎飯沼長清佐野利安生田直恭
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飯沼 長高(いいぬま ながたか、生年不詳 - 元文2年(1737年12月25日)は、江戸時代中期ごろの武将[1]通称丹左衛門[1]阿波飯沼家3代当主[1]

経歴[編集]

長高は、阿波徳島藩家臣の大口清行次男に生まれる[1]山田権左衛門[1]幼名大口次郎三郎といい、元服して大口丹左衛門長高と名乗った[1]大口清信とともに阿波徳島藩に仕えた[1]。後に飯沼長賀養子となって飯沼丹左衛門長高改名し、長賀の正室に迎えた[1]

享保7年(1722年12月23日隠居して自楽と号した養父・長賀の家を継ぎ、阿波飯沼家3代当主となる[1]参勤交代江戸に上る際には、父の名代として飯沼家を動員した[1]。享保12年(1727年5月23日、養父・自楽が病死すると、長高は名実ともに飯沼家の当主となり、その後10年間当主としての役割を果たして元文2年(1737年)12月25日、病死した[1]

氏族[編集]

長高の生家である大口氏は、藤原鎌足(中臣鎌足)子孫である藤原秀郷末裔とされ、伊勢国大口郷(現在の三重県松阪市大口町付近)に本拠を置く土豪であった[1]。つまり本姓藤原氏であるため、正式な姓名藤原長高である。

飯沼氏源氏を称する氏族で、家紋は笹竜胆を使用し、長高養父の長賀の5代先祖にあたる飯沼長就が築城した美濃国池尻城三千貫の城主の家系である。一族の中では長高養父・長賀の祖父である織田秀信家臣の飯沼長資が名高い。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『蜂須賀家家臣成立書并系図』徳島大学附属図書館蔵