青山透子

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あおやま とうこ

青山 透子
生誕 日本の旗 日本
職業 ノンフィクション作家
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青山 透子(あおやま とうこ)は、日本航空123便墜落事故を追及するノンフィクション作家。元日本航空 客室乗務員。航空史上世界最多の死者を出した1985年の日本航空123便墜落事故について、事故調査委員会の調査結果に疑問を抱き、自ら各方面へ調査を行いその結果を出版している[1]

来歴[編集]

1985年日本航空の国際線客室乗務員になる。国内線乗務の時、単一機で航空史上世界最多の死者を出した1985年の日本航空123便墜落事故の客室乗務員と同じグループに所属していた。退職後、日本航空サービス関連子会社設立時に教務を担当し、各種企業、官公庁、専門学校、大学等の接遇教育や人材育成プログラム開発及び講師となる。

その後、日本航空123便墜落事故の事故調査委員会の調査に疑問を持ち、東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程を修了、博士号取得。大学院等研究機関で、日航123便墜落に関連した35年間の資料、日本国および米国公文書を精査して調査を重ね、その結果を多くの著書で公表している。

特に『日航123便墜落の新事実―目撃証言から真相に迫る』は10万部のベストセラーとなり、本屋大賞 ノンフィクション部門の最終選考に残った。『日航123便墜落遺物は真相を語る』『日航123便墜落の波紋』と共に全国学校図書館協議会選定図書にも選ばれた。

2019年7月16日、早稲田大学で開かれた「情報公開と知る権利--今こそ日航123便の公文書を問う」というシンポジウムに登壇。弁護士の三宅弘獨協大学教授の森永卓郎とともに講演している[2]

現在、弁護士、研究者、有識者らと共に立ち上げた「日航123便墜落の真相を明らかにする会」(会長は遺族の吉備素子)の事務局も担当している[1][3]

日本航空123便墜落事故については「日航123便墜落の真相を明らかにする会」の会長と123便の副操縦士の遺族が、2021年3月26日にボイスレコーダーフライトレコーダーの生データの開示を求め東京地裁へ提訴したが、2022年10月13日東京地裁は請求を棄却した[4]。この訴訟に関連した報告会と講演会が、2023年2月18日オンラインなどで開かれ、弁護団の三宅弘弁護士が経過報告し青山が講演した[5]。訴訟の経過は「日航123便墜落の真相を明らかにする会」のホームページで公表されている[6]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 青山 透子”. www.amazon.co.jp. 2021年9月23日閲覧。
  2. ^ トピックス|7/16 シンポジウム 「情報公開と知る権利--今こそ日航123便の公文書を問う」開催 | 河出書房新社”. 河出書房新社. 2022年2月20日閲覧。
  3. ^ 日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ 河出文庫”. HMV&BOOKS online. 2021年9月23日閲覧。
  4. ^ 日航機事故遺族の飛行・音声データ開示請求を棄却 東京地裁”. 時事通信社. 2022年12月24日閲覧。
  5. ^ 日航機レコーダー開示訴訟、オンラインで報告会と講演 弁護士「裁判最後まで」”. 上毛新聞. 2023年5月12日閲覧。
  6. ^ 日航123便はなぜ墜落したのか | | 森永卓郎”. 毎日新聞「政治プレミア」. 2021年9月28日閲覧。

外部リンク[編集]