銀狐作戦

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銀狐作戦
継続戦争第二次世界大戦
Silverfox1.jpg
ムルマンスクへ侵攻する第36軍団麾下の第40特別編成戦車大隊。
1941年6月29日 - 11月17日
場所 フィンランド、ラップランド
結果 ソ連のムルマンスク防衛成功
衝突した勢力
ナチス・ドイツの旗 ナチス・ドイツ
フィンランドの旗 フィンランド
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
指揮官
ナチス・ドイツの旗 ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト
ナチス・ドイツの旗 エドゥアルト・ディートル (ノルウェー軍)
ナチス・ドイツの旗 ハンス・ファイゲ英語版 (第36山岳軍団英語版)
フィンランドの旗 ヤルマル・シーラスヴォ (第3軍英語版)
ソビエト連邦の旗 ワレリアン・フロロフ (~8月)
ソビエト連邦の旗 ロマン・パニン英語版(北部戦線)
戦力
トナカイ・白金狐
第2山岳師団英語版
第3山岳師団英語版[1]

北極狐
第169歩兵師団英語版
第6SS山岳師団
第6歩兵師団英語版
第3歩兵師団英語版[2]
2個猟兵連帯(フィンランド)[3]
第211戦車大隊
白金狐
第14狙撃師団英語版
第52狙撃師団
Polyamy師団[4]
北方艦隊
その他[5]

北極狐
第122狙撃師団
第104狙撃師団
第1戦車師団
第88狙撃師団
第54狙撃師団
Grivnik brigade[6]
被害者数
ドイツ人21,501名
フィンランド人~5000名[7]
不明
独ソ戦

継続戦争

銀狐作戦(ぎんぎつねさくせん、ドイツ語: Silberfuchs)はナチス・ドイツフィンランド第2次世界大戦中に行った軍事作戦。主にドイツが作戦を行った。主要目的はフィンランドとノルウェー国境から侵出し、ソビエト連邦の重要港ムルマンスクを奪取することであった。

作戦は3部に分けられた。最初の攻撃でノルウェーからペツァモのあたりを確保するトナカイ作戦(Renntier)を発起し、続いて北部のノルウェー軍による白金狐作戦英語版(Platinfuchs)と第36軍団とフィンランド第3軍による北極狐作戦英語版(Polarfuchs)を発動し、重要港湾であるムルマンスクの占領を狙った。しかし、ムルマンスクまでの進撃は成功せず、ムルマンスク港は大戦を通じて使われ続けた。

計画と準備[編集]

銀狐作戦の当初予定

1940年7月のノルウェー占領以後、ドイツはソ連とフィンランドの戦争が再開した際にソ連が占領下においていた旧フィンランド領ペツァモニッケル鉱山の占領をトナカイ計画英語版の名前で計画した[1]。 ドイツは1940年9月以降、北部フィンランドを通過する兵員の移動と補給の権利を得ていた。

1941年1月、ドイツ将校エーリッヒ・ブッシェンハーゲン英語版はソ連に対して予定されるバルバロッサ作戦においてフィンランド指導部と協力ができないか交渉するように命令された。

2月後半、ブッシェンハーゲンは協調攻撃作戦の交渉を任された。共同作戦作戦のアドバンテージを活かし、ドイツノルウェー軍がフィンランド領内に移動を開始した。これらの計画は青狐1、青狐2(Blaufuchs I and Blaufuchs II)と名前をつけら、1941年6月に始まった[2]。ドイツ軍5個師団と2個特別編成戦車隊を含む付属部隊は北部フィンランドに移動し、国境軍事演習を装って動員されたフィンランド軍と合流した。

フィンランドとドイツは3段階の挟撃計画に合意した。第一段階のトナカイ作戦によってエドゥアルト・ディートル率いるノルウェー軍2個山岳猟兵師団でペツァモを占領する計画であり、この計画では山岳猟兵からなるノルウェー軍をキルケネスからムルマンスクに向けて侵攻させる予定であった[1]

第二段階および第三段階は共同で行われることとなった。

第二段階として北部ではノルウェーと呼ばれていた白金狐作戦によってイヴァロ国境警備大隊がペツァモから東進し、バレンツ海に面するムルマンスクに向かう予定であり、これはソ連第14軍の第14、第52狙撃師団の2個師団の抵抗が見込まれた。目的はムルマンスク占領であり、ソ連軍を縛りつけ、レニングラード近郊での作戦に参加させないことであった[5]

南部では、北極狐作戦によって騎兵大将英語版ハンス・ファイゲ英語版の率いるドイツ第36軍英語版クーサモから東進し、サッラ英語版ウリンサルモ英語版のラインに沿って攻撃する予定であり、第36軍のドイツ2個師団に加え169師団、第6SS山岳師団、フィンランド第6師団と2個特別編成戦車部隊が参加する予定であった。これらは第122狙撃師団に抵抗を受けると考えられた。計画ではコラ半島南部の白海側にあるカンダラクシャを確保し、作戦に対抗して他の戦線から送られて来るだろう北部戦線部隊の押し下げを試み、その過程でムルマンスクとコラ半島をソ連本土から切り離す計画であった[8]

これらの作戦に続いて継続戦争の一部としてフィンランドの作戦が行われ、ラドガ湖近郊での攻撃、カレリア地峡での攻撃などが行われ、さらに後には東カレリアでの攻撃も行われた。

展開[編集]

ソ連攻撃のためのドイツ軍の到着は1941年6月7日から始まり、ノルウェーにいたドイツ第6SS山岳師団が6月7日に国境を越え始めた。さらに2個師団が南ノルウェーとシュティッティンから船舶で到着した。兵員は列車でロヴァニエミまで移動した。40,600人のドイツ兵は6月18日、東部のサッラ英語版への移動を開始した。ルフトヴァッフェもロヴァニエミ、ユヴァスキュラ英語版ウッティ英語版に集合した。

トナカイ作戦[編集]

第一段階として、1941年6月22日にバルバロッサ作戦開始と共にトナカイ作戦が開始された。ノルウェー軍の第2、第3山岳師団がキルキネスから旧フィンランド領ペツァモ英語版に向けて展開を開始した。作戦は成功裏に進み、ドイツ軍の襲来はロシア人を大いに驚かせた[1]。ディートルの軍は再編され、白金狐の作戦を前に準備行動を開始した。南部ではファイゲの第36軍が攻撃の準備を開始、1941年6月25日、フィンランドも参戦し銀狐作戦の開始に明確な道がつけられた。

白金狐作戦[編集]

6月29日、北部でディートルが白金狐作戦の攻撃を開始、これに対し、ソ連軍は2個師団からなる第14軍英語版が待ち受けて抵抗した。ドイツの侵攻は遅く、ソ連軍はさらに1個師団とムルマンスク港から引き抜いた幾つかの海軍部隊によって前線を増強した。ソ連軍は陣地を固守し攻撃を上回るほど強く抵抗した。また、英国とソ連海軍によるドイツ船舶への一定の攻撃によってドイツの補給を難しくさせた。9月22日、リスタ川英語版を渡ることを何度か試みた後、攻勢が挫かれた[5]。攻勢によってドイツ軍は10300人の兵士を失った[2]。前線はドイツ軍の攻勢の停止によってすぐさま落ち着き、塹壕を掘った。戦争の残りの期間、北部戦線は1944年のソ連軍攻勢までスキーによる偵察と小競り合いを除けば比較的安定した状態で保たれた。

北極狐作戦[編集]

白金狐と平行して、北極狐作戦が7月1日に開始された。ドイツの国防軍歩兵師団で構成される第36軍英語版第6SS山岳師団と小規模戦車部隊、フィンランド第3軍英語版第3師団英語版がサッラへ攻撃を開始した。 攻勢の目的はサッラを確保し、カンダラクシャに侵出、ムルマンスク鉄道を切断することだった[9]。第36軍は北極圏での戦争に対応できた部隊でなく、活動に精彩を欠き非常に行動が遅かった。フィンランド軍は冬季装備を行っていたため、疲労し侵攻を停止するまでより早く、より遠くへと侵攻した。サッラの確保の後、カンダラクシャへの侵攻は鈍り途中で停止、ファイゲの軍は塹壕を掘った。北部戦線と同じく前線が膠着すると、スキー偵察と小競り合いのみになっていった。最終的に11月中旬に攻勢は停止した[10]

結果[編集]

リスタ川近傍にあるに「ソビエト極北の防衛者たちの記念墓碑」4年の長きにわたる極北の厳しい戦いを表している

銀狐作戦の失敗によって戦争の行方に長く影響が残った。ソビエトの他の前線は1941年にバルバロッサ作戦で破壊されたが、北部戦線は攻撃したドイツ軍を15%も損耗させて維持され続けた。

ドイツの敗北は幾つかの理由に起因している。侵出を妨げるような地形で移動性確保のため道路に過剰依存したこと[1]、適切な情報準備を失っていたために不完全な仮定に頼ったこと[1]、長く希薄な情報伝達線、悪路と英ソによるドイツ船舶への攻撃による補給問題[11]などの問題があり、これらに加えソ連軍による徹底的な抵抗により突破口が開けなかったことにより前線での停滞が不可避になった。

ムルマンスク港は戦争を通じて維持され続け、おおよそ全体の4分の1のレンドリース物資がこの港とアルハンゲリスクから受け取られた[12]。この港からの補給の到達は、ソ連が1941年の災厄からすばやく立ち直ることを助けた。

北部での戦争は1945年5月まで続いた。1944年9月、フィンランドは講和し、ラップランド戦争が始まった。1944年10月、赤軍はペツァモ-キルケネス作戦英語版を開始し、北極圏のドイツ軍に対して決定的勝利を得た。

画像[編集]

関連項目[編集]

[編集]

  1. ^ a b c d e f Mann & Jörgensen (2002), p. 81
  2. ^ a b c Mann & Jörgensen (2002), p. 87
  3. ^ Jowett, Snodgrass, Ruggeri (2006), p.30
  4. ^ 徴兵、海兵、船乗などの混成団
  5. ^ a b c Mann & Jörgensen (2002), p. 81-87
  6. ^ Chapter 3, Part X, Shirokorad
  7. ^ Ziemke (1960), p. 184. - German-Finnish casualties until the end of September when the offensive was cancelled.
  8. ^ Mann & Jörgensen (2002), p. 87-95
  9. ^ Mann & Jörgensen (2002), p. 88
  10. ^ Mann & Jörgensen (2002), p. 93-95
  11. ^ Mann & Jörgensen (2002), p. 85
  12. ^ http://www.feldgrau.com/econo.html Of all the lend-lease aid, approximately 50% was delivered via the Pacific, 25% via Persia and 25% via the northern route to Archangel and Murmansk.

参考文献[編集]

  • "A Germany-Soviet Military-Economic Comparison"
  • Chris Bellamy: Absolute War (2007) ISBN 978 0 333.78022.0
  • Jowett, Philip S., Snodgrass, Brent, Ruggeri, Raffaele, Finland at War 1939–45, Osprey Publishing, 2006
  • Mann, Chris M. & Jörgensen, Christer (2002), Hitlers Arctic War , Hersham, UK: Ian Allan Publishing Ltd, ISBN 0-7110-2899-0
  • Shirokorad, A.B., Northern wars of Russia (Северные войны России) Moscow, ACT publisher, 2001 (in Russian) [1]
  • Ziemke, Earl F. (1960). The German northern theater of operations, 1940-1945. Washington: Headquarters, Department of the US Army.