西山俊樹

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にしやま としき

西山 俊樹
ISDE1988フランス大会にて
生誕 (1947-10-16) 1947年10月16日(76歳)
日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
別名

トシ・ニシヤマ

Toshi Nishiyama
出身校 関東学院大学
職業 オフロードライダー
元会社経営
著名な実績 SSDT日本人初出場
ISDT/ISDE日本人初出場
配偶者 既婚
西山秀一(父)
栄誉 SSDT ファーストクラスアワード
ISDT/ISDE シルバーメダル
Incas Rally ベテランクラス優勝
公式サイト https://www.facebook.com/toshiki.nishiyama.355
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西山 俊樹(にしやま としき、Toshiki Nishiyama、Toshi Nishiyama、1947年10月16日 - )は、日本のモーターサイクルトライアルモトクロスエンデューロラリー)ライダー、実業家。

来歴[編集]

幼少期から大学まで神奈川県横須賀市で過ごす。関東学院大学工学部機械工学科卒。父は全日本モーターサイクルクラブ連盟(MCFAJ)の創立に携わり、初代事務局長を務めた西山秀一。

1970年12月に渡英[1]、1971年にイギリスのトライアルにほぼ1年間参加し、人脈を築くとともにルール、テクニック、セクション、コース、マシン、マネジメントなどについて学ぶ。[2] 1972年1月に帰国。トライアルの正式なルールを日本国内に紹介し、またイギリスで得た人脈をもとに海外の著名ライダーと国内メーカーの橋渡し役をつとめた。

KTMのErich Trunkenpolz社長と(1985年頃)

帰国後は株式会社トシ・ニシヤマを設立。ブルタコ、アームストロング、マイコ、KTM、JCM、エルグレン、アピコなどの外国製オフロードバイクやオフロード用品を日本に輸入し紹介した。特にKTMは1983年にKTMのErich Trunkenpolz社長から要請を受け輸入元となり[3]、2002年まで日本総代理店を務めた。[4]


ISDT/ISDEには1971年に日本人として初出場し、1990年まで計10回出場。本来は国別・クラブ別でチームを作って戦う競技であるが、日本からの出場は長らく西山一人だけであり、国旗を持って一人だけで入場行進する姿は海外のレースファンの記憶に深く残ることとなった。2018年にイタリアで開催されたTrophee de Nationsに招聘され、海外のファンの前で久しぶりに雄姿を見せた。

また、モーターサイクルレスキュー連盟を設立し、2日から3日にかけて行うエンデューロレースやトライアル競技会を開催。日本国内に本格的なエンデューロレースのルールやコースを紹介し、本格的なエンデューロレースが普及するきっかけを作った。また海外の著名選手の招聘にも尽力し、オフロードレースの発展に貢献した。

主な出場レース[編集]

国内[編集]

  • 1964 MCFAJ第1回全日本トライアル - 1位[2]
  • 1966 MCFAJ第19回全日本モトクロス 125CC - 1位
  • 1968 MCFAJ第25回全日本モトクロス 250CC - 1位
  • 1981 MCFAJ第13回全日本トライアル - 1位[1]
  • 1984 第1回インターナショナル2日間エンデューロ(苫小牧市) - 1位[5]
  • 1985 第1回当麻エンデューロ - 1位
  • 1985 第2回インターナショナル2日間エンデューロ(苫小牧市) - 1位
  • 1986 第2回洞爺ビッグラン - 1位
  • 1987 第4回インターナショナル2日間エンデューロ(北海道日高町) - 2位
  • 1988 日高町エンデューロ - 1位

海外[編集]

SSDT
  • 1971 (Montesa Cota 247) - ファーストクラスアワード[2]
  • 1973 (Honda TL125) - ファーストクラスアワード
  • 1974 (Honda TL145) - ファーストクラスアワード
  • 1975 (Honda TL250) - ファーストクラスアワード
  • 1976 (Bultaco Sherpa 325) - リタイヤ
  • 1983 (Armstrong 310) - セカンドクラスアワード[6]
  • 1999 Pre’65 Scottish Trial (BSA B40)
ISDT
  • 1971 Isle of Man(YAMAHA RT350) - リタイヤ[2]
  • 1976 Zeltweg, Austria (KTM) - シルバーメダル[7]
  • 1977 Považská Bystrica, Czechoslovakia (KTM250GS) - リタイア
  • 1980 Brioude, France (KTM250) - シルバーメダル
ISDE
  • 1985 La Molina, Spain (KTM250GS) - ブロンズメダル
  • 1986 San Pellegrino Terme, Italy (KTM350GS) - リタイア
  • 1987 Jelenia Góra, Poland (KTM350EGS) - リタイア
  • 1988 Mende, France (KTM250EGS) - ブロンズメダル
  • 1989 Walldürn, Germany (KTM250EGS) - シルバーメダル[7]
  • 1990 Västerås, Sweden (KTM250EGS) - リタイア
Trophee de Nations
  • 2018 Montecampione,Italy (KTM250) - 完走
パリ-アルジェ-ダカール
  • 1988 (KTM600GS) - 6日目リタイア[8]
インカ・ラリー
  • 1986 (KTM600GS) - 特別完走賞[1]
  • 1988 (KTM350GS) - 31位
  • 1989 (KTM350GS) - 9位[9]
  • 1990 (KTM350GS) - 10位(ベテランクラス優勝)

主催したレース・競技会[編集]

  • インターナショナル2日間エンデューロ(第1回~第4回)… 後にHTDEに発展
  • ハイランド3日間トライアル(第1回~第4回)

著書等[編集]

  • 『これがトライアルだ』河北出版 1974/9/25
  • 『オフロード入門』交通タイムス社 1982/1/1 ISBN 0276820118
  • 『トライアル実践テクニック』講談社 1982/4/1 ISBN 4061257730
  • 『トライアルサバイバルテクニック』講談社 1983/10 ISBN 9784062005692
  • 『バイクと人間の極限』交通タイムス社 1984/7/25
  • 『S.S.D.T.』 (ビデオ)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『おもいっきりアドベンチャー』グランプリ出版、1988年8月1日、146頁。 
  2. ^ a b c d 『バイク伝説の神様たち』勁文社、1990年3月。 
  3. ^ 『KTM日本版カタログ1986』株式会社トシ・ニシヤマ、1986年、背表紙頁。 
  4. ^ 『RIDERS CLUB 1983年5月号』枻出版社、1983年5月1日、73-74頁。 
  5. ^ 『RIDERS CLUB 1985年2月号』枻出版社、1985年2月1日、96-101頁。 
  6. ^ SSDT Results Files”. Scottish Six Days Trial. 2023年9月22日閲覧。
  7. ^ a b 『ROAD RIDER 1990年1月号』立風書房、1990年1月1日、121頁。 
  8. ^ 歴代の日本人出場者”. パリダカ日本事務局. 2023年9月19日閲覧。
  9. ^ 『ガルル 1989年8月号』実業之日本社、1989年8月、32頁。