聖イサアク大聖堂

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座標: 北緯59度56分2.79秒 東経30度18分21.76秒 / 北緯59.9341083度 東経30.3060444度 / 59.9341083; 30.3060444

聖イサアク大聖堂とピョートル大帝像

イサアク大聖堂Исаакиевский соборSaint Isaac's Cathedral)は、ロシアサンクトペテルブルク中心にあるロシア正教会大聖堂ドームは全高101.5メートルの偉容を誇る。聖イサーク大聖堂聖イサーク寺院とも表記される。聖イサアク大聖堂の名称は、ピョートル大帝守護聖人、ダルマチアの聖イサアク(聖イサク・ダルマツキー、w:Isaac of Dalmatia)に由来する。

歴史[編集]

聖イサアク大聖堂

ピョートル大帝の時代にワシリエフスキー島ヴァシリエフスキー島)に初代の「聖イサク教会」が建設されたのが起源とされる。その後、1717年に元老院広場(現在のデカブリスト広場)に移ったが、軟弱な地盤に加え、落雷によって焼失した。 エカテリーナ2世の勅命でイタリア人建築家アントニオ・リナルディw:Antonio Rinaldiにより再建事業が開始されたが、未完成に終わり、パーヴェル1世が事業を引き継いだ。 現在の聖イサアク大聖堂はアレクサンドル1世の時代に建造されたもので、フランス人宮廷建築家オーギュスト・ド・モンフェランw:Auguste de Montferrandの設計による。モンフェランの監督下、1818年から1858年まで、40年の長きに工事が行われた。ロシア革命後は、ソビエト政権の下で博物館となった。他のサンクトペテルブルクの建造物同様、第二次世界大戦に危機に見舞われる。独ソ戦におけるレニングラード包囲戦では、聖イサアク大聖堂の黄金のドームはドイツ軍にとって絶好の標的と成り得たため、ソ連側はドームを灰色に塗装し直した。 ソ連崩壊後、大聖堂としての活動を再開し、祭日における奉神礼が行われている。

外観[編集]

聖イサアク大聖堂は、従来のロシア・ビザンチン建築様式(ギリシャ十字の平面プラン、中央部に巨大ドーム、四方に小ドームを配置する)を基本に新古典主義様式によるファザードで建設された。外観に関しては、イタリアの建築家アンドレア・パラーディオの設計によるヴィラ・ロトンダw:Villa La Rotondaと類似が指摘される。

内部[編集]

彫刻によって覆われた戸は、フィレンツェのバティステロ・ディ・サン・ジョヴァンニw:Battistero di San Giovanni (Florence)の手によるものである。壁柱や床、彫像は様々な色彩の花崗岩大理石による。

関連項目[編集]