聖アンデレ教会 (横浜)

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横浜聖アンデレ主教座聖堂(正面)
聖歌隊とパイプオルガン(教会の入口上のバルコニーで)

横浜聖アンデレ教会(よこはませいアンデレきょうかい、英語:St. Andrew's Anglican Church, Yokohama)は、日本聖公会横浜教区の教会で、聖堂は横浜教区主教座聖堂でもある。会衆は1863年に始まり、現在の建物は1955年昭和30年)に建て替えたもの。

横浜教区[編集]

横浜聖アンデレ教会は日本聖公会横浜教区の主教座聖堂で、横浜教区は神奈川県山梨県千葉県静岡県聖公会教会からなる。

横浜でのキリスト教宣教は1863年にイギリスM.B.ベイリー司祭が横浜居留地105番に建てた横浜クライスト・チャーチ(Yokohama Christ Church)をもって始まり、これはその後山手へ移り、第二次世界大戦後に日本語集会もできて、今日の横浜山手聖公会になっている。

しばらくして、1877年には相模農村伝道が始まって、後に秦野聖ルカ教会となる種が蒔かれている。[1]

千葉県への宣教は早く始まり、1873年に千葉県福田での伝道が始まっていて(現:成田市下福田の福田聖公会)[2]、その後には千葉復活教会から最南端の館山聖アンデレ教会・鴨川聖フランシス教会まで広がった。[3]

1888年に、エドワード・ビカステス初代主教が着座し、伝道はより活発になった。1896年に南東京地方部、1941年には南東京教区になり、戦後の1963年に横浜教区と改称した。

静岡県へは、1888年にその後沼津聖ヨハネ教会となった宣教に始まり[4]、1916西の年には西端の浜松聖アンデレ教会まで広まった。[5]山梨県へは、1934年に甲府市元柳町の借家で、その後同地で甲府聖オーガスチン教会になる宣教活動が始まった。[6]

太平洋戦争中は日本聖公会が消滅する経験を経て、戦後は復活して、横浜教区は神奈川・千葉・山梨・静岡の4県にまたがり、、2012年度現在で33教会6伝道所[7]、教役者29人、現在信徒数5,656人をかかえている。[8]

横浜教区主教は、現在(イグナシオ)入江修(いりえ・おさむ)12代主教である。[9]

聖アンデレ教会[編集]

横浜山手聖公会となった流れとは別に、1885年明治18年)には居留地154番(現在の中区山下町)の借家にクライスト・チャーチの日本語会衆「横浜聖安得烈教会」(横浜聖アンデレ教会)g組織され、これは、中区寿町・中区日出町・中区花咲町に移転し、聖堂はそれぞれ関東大震災1923年)・横浜大空襲1945年)で焼失する経験もした。現在の聖堂は1956年(昭和31年)に竣工し、1957年1月3日に聖別された。[10] [11]

1986年、創立100年を記念に、アメリカ・ロードアイランド州の州都プロビデンスの都市再建計画で閉鎖になったクライストチャーチのパイプオルガン(1889年製)が移設された[12]

2015年、創立130周年を記念し聖堂屋根、内装の改修を行った。

避暑地としての軽井沢を開拓したといわれるアレクサンダー・クロフト・ショー司祭日本アルプス登山を広めたといわれるウォルター・ウェストン司祭などがこの教会の牧師を務めた。

教会の住所は住所は 〒221-0852 横浜市神奈川区三ツ沢下町14-57 で、現在の牧師は(ダビデ)渡部明央(わたべ・あきお)である。

参考[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度28分38秒 東経139度36分59秒 / 北緯35.47723度 東経139.61631度 / 35.47723; 139.61631