美濃大返し
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美濃大返し(みのおおかえし)は、賤ヶ岳の戦いの際に羽柴秀吉が大垣から木之本までの52kmまでの道のりを7時間でかけぬけた大掛かりな移動の事をいう。
[編集] 移動の理由
このころ秀吉は岐阜城の織田信孝を倒すために美濃にいた。しかし、大雨で長良川と揖斐川が増水したのが原因で、その川に囲まれている岐阜城を攻められず大垣に留まっていた。 そのとき、秀吉が築城した大岩山砦が敵将の佐久間盛政によって落とされた。という情報が届いたのである。しかし秀吉は反対によろこび「天下はわしが取った。」といったという。
[編集] 賊ヶ岳の戦いへの影響
一方、大将の柴田勝家の砦を落としたらすぐに引けという命令をやぶり大岩山に野宿していた盛政は、秀吉が木之本に迫っているとの情報におどろいた。さらに、前田利家の戦線離脱などによって柴田軍は総崩れとなり、北庄城へと敗走していった。

