第37回日本選手権競輪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第37回日本選手権競輪(だい37かい にほんせんしゅけんけいりん)は、1984年千葉競輪場で行われた。

決勝戦[編集]

着順 車番 選手 登録地
1 2 滝澤正光 千葉県
2 9 井上茂徳 佐賀県
3 3 山口健治 東京都
4 4 梨野英人 香川県
5 6 大橋秀人 北海道
6 7 中野浩一 福岡県
7 5 吉井秀仁 千葉県
8 8 清嶋彰一 東京都
9 1 菅田順和 宮城県
  • 払戻金
    • 連勝単式(枠番連勝単式) 2-6 2020円

レース概要[編集]

並びは梨野-中野-井上、大橋-菅田-山口、清嶋-滝澤-吉井という形で、一見見れば三分戦の様相を呈していた。

ところが残りあと2周を通過して時点で、菅田が山口を連れて上昇し、菅田-山口-大橋が外に回って梨野-中野-井上を内に封じ込める策に出た。ジャンが鳴り、後方に構えた清嶋が、滝澤-吉井を連れて一気にカマシに打って出て、清嶋は残りあと1周地点で先頭に立った。この動きに対し、中野が500mバンクの千葉であるにもかかわらず、梨野を捨て、井上を連れて最終1センター付近より捲って出るが、山口に動きを封じ込められたため、インを突くのが精一杯となった。一方、2センター付近で滝澤が清嶋を番手捲り。そして、中野がインに封じ込められたと見るや、井上が滝澤後位につけ、直線では滝澤と井上のデッドヒートとなったが、滝澤が井上を退け、地元の千葉で特別競輪(現在のGI)初優勝を果たした。

当時は中野、井上を中心とする九州軍団と、関東・南関東を中心としたフラワーラインが競輪界の二大勢力といわれたが、このレースでは、北日本の菅田と大橋もフラワーラインに与する格好となり、結果的に滝澤の優勝に貢献した形となった。

エピソード[編集]

  • 優勝した滝澤はその後感激のあまり、優勝インタビュー、表彰式でも涙が止まらなかった。そして表彰式後に、当時サイクルにっぽんのインタビュアーだった、したらじゅん子から受けたインタビューでも涙を抑え切れなかった。

外部リンク[編集]

日本選手権競輪
前回 (1983年 第37回日本選手権競輪
1983年
次回(1985年
第36回日本選手権競輪 第38回日本選手権競輪