第28回日本選手権競輪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第28回日本選手権競輪(だい28かい にほんせんしゅけんけいりん)は、1975年千葉競輪場で行われた。

決勝戦[編集]

着順 車番 選手 登録地
1 6 高橋健二 愛知県
2 2 伊藤繁 神奈川県
3 3 田中博 群馬県
4 1 須田一二三 岐阜県
5 4 工藤元司郎 茨城県
6 9 加藤善行 岩手県
7 8 小山靖 宮城県
落棄 5 福島正幸 群馬県
落棄 7 河内剛 宮城県
  • 配当
    • 連勝単式 5-2 6730円

レース概要[編集]

グランドスラム(当時は日本選手権競輪、高松宮杯競輪オールスター競輪競輪王の4つ)に王手をかけた福島正幸、ゴールデンレーサー賞を制した伊藤繁、大会連覇を狙う田中博あたりが人気の中心となった。

レースは最終ホーム付近より、高橋が須田を連れてカマシ気味に叩いて出たところ、最終1センター付近で先頭に立った。すると、同2角付近で正攻法の位置にいた福島が転倒。これに河内が乗り上げた。福島、河内の落車の影響を受け、後続が立ち遅れ、さらにマークの須田が千切れ気味になったため、3~4角付近にかけて高橋が後続を引き離して快調に飛ばす。漸く直線に入って伊藤-田中が追撃体勢に入って高橋を追い詰めたものの届かず。高橋が逃げ切って初のタイトルを手中にした。

その後の競輪界の構図[編集]

当レースが行われる前までは、上記の福島、田中に加え、阿部道(宮城)の3選手が「三強」を形成し、彼らは1970年から1974年までの5年間に行われた19回の特別競輪(現在のGI)のうち、3人合わせて11回優勝していた。したがって三強絶頂時代ともいうべき時代であったわけだが、この一戦以後、彼らは特別競輪で優勝できなくなったばかりか、決勝戦に進出する機会すらほとんどなくなったため、後に鈴木保巳が月刊競輪の記事でたびたび、「競輪の歴史を変えた一戦」と称した歴史的大会とあいまった。

当時22歳だった高橋の当大会優勝以後、特別競輪の優勝者は20代前半の選手が中心となり、「ヤング全盛時代」と呼ばれるようになったが、一方で優勝者が猫の目のごとくコロコロと変わるという、「戦国時代」へと突入することになる。

日本選手権競輪
前回 (1974年 第28回日本選手権競輪
1975年
次回(1976年
第27回日本選手権競輪 第29回日本選手権競輪