第103飛行隊 (航空自衛隊)

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第103飛行隊
第103飛行隊のF-86D(展示機)
創設 1961年3月1日
廃止 1968年10月1日
所属政体 日本の旗 日本
所属組織 航空自衛隊
所在地 北海道千歳基地
編成地 愛知県小牧基地
通称号/略称 103SQ
上級単位 第2航空団
最終上級単位 北部航空方面隊
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第103飛行隊(だい103ひこうたい、JASDF 103rd Fighter Interceptor Squadron)は、かつて航空自衛隊北部航空方面隊第2航空団隷下だった戦闘機部隊千歳基地に所属し、航空自衛隊3番目のF-86D全天候戦闘機を運用する飛行隊だった。1961年(昭和36年)の部隊編成後、1968年(昭和43年)の閉隊までの7年間にわたりアラート任務を実施した。

概要[編集]

1961年(昭和36年)3月1日、航空自衛隊3番目のF-86D飛行隊として小牧基地第3航空団隷下にて発足。発足当初はF-86Dの供与数が少なく、第102飛行隊と一部機材を共有して訓練とアラート任務を実施していた。F-86Dの機数が充足した同年6月10日北海道千歳基地へ移動し、第2航空団隷下となった。同年8月8日から千歳基地における24時間アラート待機任務を開始した[1]

1962年(昭和37年)以降、各基地へF-104J戦闘機の配備が開始されたこともあり、第3航空団隷下の第101飛行隊とともに1968年(昭和43年)10月1日に閉隊され、航空自衛隊におけるF-86Dの運用が終了した[1]

第103飛行隊の部隊マークは第2航空団を示す青帯2本を引いたデザインとなっている[1]

沿革[編集]

  • 1960年(昭和35年)2月16日 - 小牧基地に第103飛行隊準備隊発足[2]
  • 1961年(昭和36年)3月1日 - F-86D飛行隊として小牧基地の第3航空団隷下にて部隊編成[1]
6月10日 - 千歳基地へ移動、第2航空団隷下へ編入[1]
12月3日12月7日 - 航空総隊競点射撃競技会F-86D部門優勝[3][4]
  • 1963年(昭和38年)1月14日 - F-86Dが着陸進入中に高圧線に接触して墜落[2]
9月30日10月3日 - 航空総隊競点射撃競技会F-86D部門優勝[3][4]

歴代運用機[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f イカロス出版 JWing No.121 2008年9月号 52頁 「集まれ!日本の戦闘機部隊 航空自衛隊、過去の戦闘機部隊」
  2. ^ a b イカロス出版 Jwing No.31 2001年3月号 39頁 「僕らの航空自衛隊の50年。これがすべての戦闘機部隊、すべての戦闘機だ!」松崎豊一
  3. ^ a b c d イカロス出版 JWing No.184 2013年12月号 21頁 「戦競2013 戦競、偉大なるその軌跡」松崎豊一
  4. ^ a b c d 大日本絵画 月刊モデルグラフィックス2月号別冊 戦競1988 航空自衛隊昭和63年度航空総隊戦技競技会 68頁-70頁 「戦競史 航空総隊戦技競技会28年の歩み」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]