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(きぬた)



和漢三才図会』にある砧の挿絵。「枮」は木製のきぬたを表す[1]
砧石の上に置かれた布と杵。北海道札幌市厚別区「北海道開拓の村」で撮影

(きぬた)は、をたたいて、つやを出すための道具。古くより伝承された民具

目次

[編集] 概要

和語の語源は「キヌイタ(衣板)」に由来するといわれる。衣を打つのに用いた石の台。また草を打つのに用いる石のこと。庾信詩「秋砧調急節」、古樂府「藁砧今何在」[2]。たたく棒のことを「砧:きぬた」とされがちだが「:きね」との混同であり、棒の呼称は「砧杵(チンショ):きぬたのきね」である。

「砧」は衣を打つ民具だけに用いるものではない。樹砧(ジュチン:接ぎ木の台木)、砧鑕(チンシツ:古代中国の処刑法「腰斬刑」の際、伏せて斧を受ける台)、砧斧(チンフ:切り台と斧、腰斬刑の道具)などの用法がある[3]。かつては木製の台のことをさして日本でも「枮(セン)」を用いたが戦後は用いられなくなった。

日本では衣をやわらかくする道具(きぬた)のほかに、わらなどを叩いて柔らかくし、わらじなどの工芸製品を作るさいに使用する民具も「きぬた」と呼称することもあるが、たたき棒だけのことをさす場合、正しくは「横槌:ヨコヅチ」である[4]

今では、ほとんどその姿を見ることはできなくなった。

その一種を述べれば、厚布を棒に巻き付け、その上に織物の表を内側にして巻き付け、さらに外側を厚手の綿布で包み、これをの台に乗せ、平均するように槌(つち)で打つのである。

[編集] 白居易

誰家思婦秋擣帛 月苦風凄砧杵悲。 八月九月正長夜、 千聲萬聲無了時。 應到天明頭盡白、 一聲添得一莖絲。

誰が家の思婦か秋に帛(きぬ)を擣(う)つ、月苦(さ)え風凄(すさまじ)く砧杵(ちんしょ)悲し。八月九月まさに長夜、千声万声了(やむ)る時なし。まさに天明に到らば頭ことごとく白かるべし、一声添え得たり一茎の糸。(白居易『聞夜砧』)

[編集] 砧青磁

[5]中国青磁の一種で南宋時代に龍泉窯で作られた青磁のうち粉青色の上手(じょうて)のものを砧手(きぬたで)と呼ぶ。砧という名称は『分類草人木』[6]に「砧、松枝隆仙所持、天下一也、ひびき有とて砧と名付也」、『槐記』[7]に「享保十二年三月廿九日、参候、青磁の花生、これも拝見して見をぼゆべし、きぬた青磁の至極也、是は大猷院殿より東福門院へ進ぜられ、東福門院より後西院へ進ぜられ、後西院より此御所へ進ぜられし物也、後西院の勅銘にて千声と号す、擣月千声又万声と申す心にやと申上ぐ、左あるべしとの仰也、是に付て陸奥守にある、利休が所持のきぬたの花生は、前の方にて大にひヾきわれありて、それをかすがいにてとじてあり、利休が物ずきとは云ながら、やきものにかすがいを打こと、心得がたきことなり、景気にてもあるべきか、此われのある故に、利休がきぬたと名付けるとなん、響あると云こヽろ也と仰也」とある。これらは白居易の『聞夜砧』(あるいはそれを元にした平安文学・文化)を見立てとして銘々したとの説である。

形状からの見立て説としては、世阿弥の作った能「砧」の演目中で、これを演じるシテが手にもつ槌(つち)の形と龍泉窯青磁の花瓶が似ていたことから砧青磁と呼ぶようになったとするものがある[8]

[編集] 脚注

  1. ^ [1][2][3]
  2. ^ KO字源「砧」[4]
  3. ^ KO字源「樹」「砧」[5]
  4. ^ 末尾外部リンク参照。またgoo辞書「横槌」[6]も参照
  5. ^ この項、「茶道|茶の湯の楽しみ|茶道用語」サイトのうち「砧青磁」ほかから引用[7]
  6. ^ 利休時代の茶書。「永禄7年(1564)甲子季春初吉 真松斎春溪(しんしょうさいしゅんけい)」の奥書がある。名物茶器や目利のことについて解説した茶書[8]
  7. ^ 江戸時代の随筆。近衛家熙(このえいえひろ)の侍医であった山科道安が、享保9年(1724)から同20年までの間、家熙の言行を日録風に記述したもの。YAHOO!辞書「槐記」[9]
  8. ^ [10]

[編集] 文献情報

  • 「源氏物語における白氏文集引用の特色」色笑嘩(北陸大学紀要第32号2008)[11]※平安貴族文化における「砧」のイメージ「月、雁、砧の三点セットが平安貴族の間に、遠地の夫を思う女性の情を詠むパターンとして受け取られていた・・と思われる」

[編集] 外部リンク

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