王国の歌

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王国の歌 (おうこくのうた、英語: Kingdom Songs) ないしは賛美の歌 (さんびのうた) は、エホバの証人によって用いられる賛美歌である。かつては「御国の歌」(みくにのうた)とも呼ばれていた。2010年現在は 135曲が歌われている。この曲をオーケストラで編曲したものを 「王国の調べ」(英語: Kingdom Melodies)といい、エホバの証人の集会・大会の間奏曲として用いられる。

背景[編集]

当初、聖書研究者(エホバの証人の1931年までの呼称)は、一般に知られた歌や賛美歌を多く使用していた。以来、彼らの集会で音楽を用いる習慣は多くの発展を重ねてきた。初期には、エホバの証人は有名なメロディーに独自の歌詞を付けたものも用いた(中には、ベートーヴェンハイドンのような有名な作曲家による曲もあった)。1930年代の終わりに地元の集会で歌う習慣は廃止されたが、1944年に再び導入された。この時以降、歌集全体をエホバの証人に特化したものにするよう、一層の努力が払われるようになった。こうして、今日では曲・歌詞ともに、すべてエホバの証人自身による作品となっている。

初期の歌集[編集]

1879年、エホバの証人による最初の歌集 『花嫁の歌 (Songs of the Bride)』 が出版された。これは 144曲からなる歌集であった。次いで出版されたのは、1890年の 『千年期黎明の詩と賛美歌 (Poems and Hymns of the Millennial Dawn)』 で、151編の詩と 333曲の歌が収録されていた(そのほとんどは有名な作家の作品)。これに続いたのは 1896年2月1日号の 「ものみの塔 (The Watchtower)」 誌で、エホバの証人の作詞になる 11曲が掲載された。さらに別の歌集が 1900年に出版された。81曲の歌が掲載され、その多くは一人の人物の作品であった[1]1905年には、1890年に出版された 333曲を収録した、楽譜付きの歌集が発表された。この歌集は英語以外の数ヶ国語でも出版された(主にダイジェスト版で)。1925年 には、特に子どもや若者のための歌集が出版された。この歌集は 『王国の賛美歌 (Kingdom Hymns)』 と呼ばれ、80曲の歌が収録されていた。1928年には、『エホバにささげる賛美の歌 (Songs of Praise to Jehovah)』 と題する歌集が出版された。この歌集には新旧織り交ぜて 337曲が収録された。

最近の歌集[編集]

1940年代以降に出版された歌集を以下に挙げる:

  • 1944年 - 『王国奉仕の歌の本 (Kingdom Service Song Book)』
    62曲収録。
  • 1950年 - 『エホバに賛美の歌 (Songs to Jehovah's Praise)』
    91曲収録。様々な聖書的主題を扱っている (日本語訳、1955年)。
  • 1966年 - 『心の調べに合わせて歌う (Singing and Accompanying Yourselves with Music in Your Hearts)』
    119曲収録。他教派の賛美歌や、クラシック音楽に由来する曲は削除された[2] (日本語訳、1968年。日本語訳版は1981年頃リニューアルされた。このリニューアル版以前の邦語版の歌集は、紙表紙で歌詞は手書き文字であった)。
  • 1984年 - 『エホバに向かって賛美を歌う (Sing Praises to Jehovah)』
    225曲収録。1984年に英語版が発表され、その後の数年間に他言語でも出版された (日本語訳は 1984年)。エホバの証人による作曲でないことが判明した 2曲の歌のメロディーが変えられた。[3]また、多くの歌で歌詞に変更が加えられている。
  • 2009年 - 『エホバに歌う (Sing to Jehovah)』
    2010年現在使用されている歌集。135曲収録され、そのうち42曲が新曲である。日本語版は歌詞が全曲現代語化された。

用いられ方[編集]

通常、会衆の集会では三つの歌が歌われる。集会の始まりと終わりにはそれぞれ歌と祈りが捧げられ、また、集会の二つの部を分ける中間の歌が歌われる。歌は、集会のプログラムに合った主題の歌が選曲される。「会衆の聖書研究」(注・これに続く「神権宣教学校」の開始時には歌を歌わない)・「奉仕会」および「ものみの塔研究」 の始まりの歌は、かならず教団により歌番号が指定され、「会衆の聖書研究」および「奉仕会」で用いる歌は 『わたしたちの王国宣教』(正式な信者・準信者のみに頒布される内部向け会報)に、「ものみの塔研究」 で用いる歌は、研究で用いる号の 「ものみの塔」 誌上に掲載される。なお、「公開講演」の開始前の歌は、通常 講演者自身が、講演の内容を考慮して選曲する。王国の歌はまた、大会やエホバの証人の各国事務所 における行事等でも歌われる。

王国会館での集会の際は、ピアノ伴奏の収録されたCDに併せて斉唱する(まれに係が間違えて曲を流してしまい、それにつられて出席者も歌い出し途中であわて出すということもある)。ただし、大規模な大会や特別集会の際にはオーケストラ版の伴奏CDを用いる。王国会館に伴奏用楽器は置かれない。

エホバの証人の結婚式は、(一般的なブライダル・マーチではなく) 結婚に関連した王国の歌を用いる典型的な儀式である。また、エホバの証人の葬式でも、適切な王国の歌が歌われることがある。[4]

楽譜上は四部合唱が可能であるが、日本のエホバの証人の集会等では、主旋律のみを歌うのが半ば慣例化している。しかし、アフリカ諸国では混成合唱で唱われるケースが多い。

かつては、集会終了時間が超過すると、1番のみを歌って「結びの祈り」とする習慣があったが、現在の歌集では曲が短いため、賛美の歌の省略は行われなくなった。また、比較的長時間の説教が連続する「大会」では、中間の歌の時間が「トイレタイム」と化し、歌の開始と同時に一斉に聴衆が移動することが問題となり、しばしば会衆あての回状で「賛美の歌は重要な崇拝の一部」である旨の通達がなされる場合がある。

エホバの証人は、「賛美の歌」を世俗的に用いることに極めて否定的である。それゆえ、ロック調やゴスペル調にアレンジして歌うことなどはなく、個人が私的にアレンジした演奏を公表することは推奨されていない(ただし、王国会館外で挙行する結婚式等では、あまり極端にアレンジしないことを条件に合奏が認められるが、それでもエレキギターやドラムの使用を伴うことは常識的にはない)。また、度重なる注意にもかかわらず、かかる行為を繰り返す信徒には、教団から譴責される場合があり、商業的に利用した場合には、除名処分に相当することもある。また、それらを頒布する行為には教団は強く否定的である。

逸話[編集]

  • 現在の歌集 17番の歌 『証人たちよ、進め!』 は、ナチス・ドイツ時代の一信者エーリヒ・フロスト (Erich Frost) によって、強制収容所内で作曲された。この歌がアメリカにおいて最初に歌われたのは1948年8月1日で、ギレアデ聖書学校 (エホバの証人の宣教者を訓練する学校) 第11期生の合唱隊により、その卒業式で歌われた[5]
  • 現在の歌集 103番の歌 『家から家に』は、中国に宣教者として派遣され、5年間投獄されたハロルド・キングによって、独房の中で作曲された『戸口から戸口に』という歌を改編したものである。[6]
  • エホバの証人の批評家により、「1933年6月25日、エホバの証人のベルリン大会はナチス・ドイツ国歌斉唱で始められた。これはナチスに対する迎合ではないか」、と主張されている[7]
    これに対してエホバの証人側は、「ベルリン大会で歌われたのは 1928年版歌集 64番の歌 『シオンの栄えある希望 (Zions herrliche Hoffnung)』(ドイツ国歌と同じメロディー。ハイドン作曲)で、エホバの証人の歌集には 1905年以来掲載されてきた歌である。そのメロディーが1922年からドイツ国歌に使われたものだ」、と反論している[8]
  • エホバの証人の反論に対し、批評家たちは、「『シオンの栄えある希望』 は、英語版歌集には 1905年以来掲載されているものの、ドイツ語版歌集に初めて掲載されたのは 1928年(メロディーがドイツ国歌になってから 6年後)である」、との再反論をしている[9]。しかし、このドイツ国歌はナチス台頭前から存在し、現在も国歌として使われていることから、エホバの証人側はこうした非難は事実無根であると反論している。

その他の特徴[編集]

  • 英米の賛美歌集で一般的なチューンネーム(賛美歌#賛美歌の名前を参照)は、初期の歌集では用いられていたが、1944年以降の歌集には用いられていない。同じ韻律の曲で替え歌する習慣は早い時期に廃れたものと考えられている。
  • 従来は、歌集中の歌の掲載順序はほぼ、英語版での歌い出し(歌詞初行)のアルファベット順であった[10]。現在の歌集では、「霊の実」(ガラテヤ 5:22-23)に関する歌が 71番-83番に集められるなど、主題別に改められている。他言語の版は、全訳が揃っている場合は、英語版での歌番号を踏襲している。
  • 英語版においては、1950年以降の歌集では thou(汝)、saith(のたまふ)等の古風な言葉遣いが現代語に改められている。日本語版でも、現在の歌集ですべて現代語に改められた。
  • 初期の歌集ではイエス・キリストに向かって語りかける歌詞の歌も多く見られたが、現在の歌集では廃された。むしろ、エホバに向かって語りかける歌詞の歌が多い。もっとも、イエス・キリストをメインテーマに扱った歌も数曲あり、イエス・キリストが無視されている訳ではない。

脚注[編集]

  1. ^ この歌集 (Zion's Glad Songs) は 「ものみの塔聖書冊子協会」 の名義ではなく、個人名義の出版であった。「ものみの塔(The Watchtower)』 1900年9月15日号274頁では、McPhailという人物がこの歌集を出版したことが発表されている。参照: [1]。また、「ものみの塔 (The Watchtower)」 1909年1月1日号18頁では、ものみの塔協会の出版物ではない旨が述べられている。参照: [2] - 「5c "Songs"」 (5セントの『歌集』) として言及されている。
  2. ^ 『エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々』 242頁 によれば、「この世や偽りの宗教に由来する曲」 が削除された。「ものみの塔」 1968年12月15日号(日本語)、「新しい歌の本!」 759頁も参照。
  3. ^ 「ものみの塔」 1986年10月15日号、「音楽によってエホバを賛美する」 23頁。
  4. ^ 2009年版歌集の36番「神がくびきで結ばれたもの」
  5. ^ ものみの塔』(日本語版)1988年3月15日号、21頁。
    原曲(ドイツ語、現行の曲より長い)および現行の曲(英語、歌詞は1984年版)は、米国ホロコースト記念博物館 (USHMM: United States Holocaust Memorial Museum) のサイトに掲載されている。参照: USHMM: Music of Holocaust: Stand Fast (Fest Steht)
  6. ^ 50年前の“世界一周”大会(エホバの証人の公式サイトより)
  7. ^ 歴史学者ジェームズ・ペントン (James Penton) による主張は、エホバの証人情報センター保管庫: ナチス・ヒトラーと「ものみの塔協会」との協調関係を参照。
  8. ^ エホバの証人側の反論は、『目ざめよ!』(日本語版)1998年7月8日号の記事 「エホバの証人 : ナチによる危機に直面しても勇気を示す」 に示されている。参照: エホバの証人の公式サイトより
    なお、歌詞(英語版)はHymns of Millennial Dawn: Hymn 58: Zion's Glorious Hope(1905年版歌集 58番)を参照。この歌詞は、アメイジング・グレイスで知られるジョン・ニュートンの詞が原歌と考えられる。比較: The Cyber Hymnal: Glorious Things of Thee Are Spoken (日本基督教団 『讃美歌』 [1954年版] では 194番 『さかえにみちたる』、日本福音連盟 『新聖歌』 [2001年版] では 145番 『栄えに満ちたる』)
  9. ^ Deutschlandlied im Liederbuch(ドイツ語サイト)を参照。「Zions herrliche Hoffnung」は 1905年・1923年版歌集には載っておらず、1928年版で掲載された。
  10. ^ 英語版歌集(1984年)の扉裏を参照。

http://www.archive.org/details/Songs_of_Praise_to_Jehovah に1928年の歌集に収められた一部の曲の合唱をMP3化したものがある(ただしロシア語またはウクライナ語)。これは、現在のいわゆる「ブルックリン本部派」からラザフォード会長の死去時に分離したグループによる録音であるが、78、90、325、335、336番は古くから親しまれてきた曲であることがわかる。

参考書籍[編集]

関連記事[編集]

外部リンク[編集]

  • 王国の歌(エホバの証人の公式サイトより)