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'''幸福会ヤマギシ会'''(こうふくかいヤマギシかい)とは[[農業]]・牧畜業を基盤とした理想社会をめざす活動体。通称は「ヤマギシ会」「ヤマギシ」。1953年(昭和28年)、'''山岸巳代蔵'''の提唱する理念の社会活動実践母体'''「山岸会」'''として発足し、1995年(平成7年)に名称を「幸福会ヤマギシ会」と変更。
'''幸福会ヤマギシ会'''(こうふくかいヤマギシかい)とは[[農業]]・牧畜業を基盤とする[[ユートピア]]<ref>http://www.koufukukai.com/titeki_file/titeki_4.html</ref>をめざす活動体(農事組合法人<ref name="近藤2003-287"/>)。通称は「ヤマギシ会」「ヤマギシ」。1953年(昭和28年)、山岸巳代蔵の提唱する理念の社会活動実践母体「山岸会」として発足し、1995年(平成7年)に名称を「幸福会ヤマギシ会」と変更<ref name="沿革"/>。「無所有一体」の生活を信条としている。[[アーミッシュ]]と並べて例えられる場合もある
「無所有一体」の生活を信条としている。


日本各地に30箇所、[[ブラジル]]や[[スイス]]・[[大韓民国|韓国]]・[[オーストラリア]]・[[アメリカ合衆国]]・[[タイ王国|タイ]]・[[モンゴル]]などの日本以外の国に7箇所の合計37箇所に、ヤマギシズム社会を実践する場である「ヤマギシズム社会実顕地」があり、野菜や果物、家畜などが育てられている。
== 沿革 ==
[[File:Yamagishi-Kai members in 1959.jpg|thumb|250px|1950年代後半のヤマギシ会会員]]
=== 草創期 ===
[[1953年]]に[[山岸巳代蔵]](1901年 - 1961年 滋賀県出身)によって作られた養鶏改良の団体「'''山岸式養鶏普及会'''」(通称:'''山岸会''')が始まり。山岸巳代蔵は鶏糞による米の増産と、そのころまだ貴重であった鶏卵の増産を目指す篤農家であった。


== 活動 ==
[[1956年]]に後述する第一回の特別講習研鑽会が行われ、[[1958年]]に活動の拠点として[[三重県]][[伊賀市]]に位置する春日山実顕地の開拓が始まり、農業系共同体としての基礎が形成された。
[[#特別講習研鑽会|特別講習研鑽会]](ヤマギシズムの理念や思想を体験的に知るために参加者全員が車座になってひとつのテーマを深く議論する「研鑽会」が主)と呼ばれる一週間の合宿形式の講座を受講すると会員となることができる{{#tag:ref|フリーライターの近藤衛は、会員を「特講を受けた後、なんらかの会の活動をする人々」と定義している<ref name="近藤2003-40"/>。|group="†"}}。ヤマギシズムの思想に共鳴し、研鑽学校を経て参画を決意した場合、[[#ヤマギシズム社会実顕地|ヤマギシズム社会実顕地]]に「参画」することができる。実顕地における生活は私財をひとつ財布に入れ{{#tag:ref|近藤衛によると、生活実顕地の中で暮らす者は私有財産のすべてを幸福会ヤマギシ会に「無条件委任」する。また、実顕地の中での労働に対し賃金が支払われることはない<ref name="近藤2003-3"/>。|group="†"}}共に研鑽生活を営むことが柱となっている。

実顕地の経済は、各実顕地で生産された農産物の販売による利益が中心である。[[1988年]]に設立したブラジル実顕地では[[1991年]]から開拓が始まった1000[[ヘクタール|ha]]に及ぶ[[オレンジ]]園があり、[[秋田県]][[大潟村]]では[[水稲|水稲栽培]]、80万羽規模の採卵養鶏など大規模農業にシフトしている。経営形態は、野菜や各種畜産から販売を組み合わせた複合農業であり、農事組合法人の形をとっている<ref name="近藤2003-287">[[#近藤2003|近藤2003]]、287頁。</ref>。フリーライターの近藤衛によると生産物の販売は、会員が運営する講座や農業体験、さらに[[#ヤマギシズム特別講習研鑽会|ヤマギシズム特別講習研鑽会]]へと人々を勧誘するきっかけともなっている<ref name="近藤2003-227">[[#近藤2003|近藤2003]]、227頁。</ref>{{#tag:ref|近藤衛は、特別講習研鑽会の受講経緯の「古典的な類型」のひとつは、幸福会ヤマギシ会の謳う「低コストで卵商売ができる養鶏技術に釣られ」、「金もうけが目的でヤマギシ会に近づき、特講を受けると熱烈なユートピアンに変幻」するパターンであるとも述べている<ref name="近藤2003-22">[[#近藤2003|近藤2003]]、22頁。</ref>。|group="†"}}。

近藤によると、幸福会ヤマギシ会は「あと200年後には世界中が地上の楽園<ヤマギシズム社会>に革命される」と主張している<ref name="近藤2003-4">[[#近藤2003|近藤2003]]、4頁。</ref>。

=== 目的 ===
幸福会ヤマギシ会は自らの活動目的を「すべての人が幸福である社会」<ref name="沿革">{{Cite web|author = |date = |url = http://www.koufukukai.com/enkaku.html|title = 幸福会ヤマギシ会の沿革|work = 幸福会ヤマギシ会 概要|publisher = 幸福会ヤマギシ会|language = 日本語|accessdate = 2012年1月30日}}</ref>、「全人幸福社会の実顕」とし<ref name="理念">{{Cite web|author = |date = |url = http://www.koufukukai.com/rinen.html|title = 幸福会ヤマギシ会の理念|work = 幸福会ヤマギシ会 概要|publisher = 幸福会ヤマギシ会|language = 日本語|accessdate = 2012年1月30日}}</ref>、そのための行動原理として「無所有・共用・共活」を内容とする理念'''ヤマギシズム'''を掲げる<ref name="理念"/>。

=== 組織 ===
幸福会ヤマギシ会は、自らの組織の性質について、「会員それぞれの自発的自由意志により活動している団体」とし、全体を統率する特定の個人あるいは集団の存在を否定している<ref name="組織">{{Cite web|author = |date = |url = http://www.koufukukai.com/soshiki.html|title = 幸福会ヤマギシ会の組織|work = 幸福会ヤマギシ会 概要|publisher = 幸福会ヤマギシ会|language = 日本語|accessdate = 2012年1月30日}}</ref>。会内部の組織も会員が自発的に作ったものであり、本部でさえも意志決定機関ではなく連絡機関、補助的な実務機関であるとしている<ref name="組織"/>。

近藤衛は、ヤマギシズム社会実顕地の元参画者の証言として、「イズム生活推進研」という意思決定機関が存在すると述べている<ref name="近藤2003-224">[[#近藤2003|近藤2003]]、224頁。</ref>。近藤によると、幸福会ヤマギシ会やその構成員が組織の実情を外部に明かすことはない<ref name="近藤2003-15-16"/>。さらに会員歴の長いものであっても生活実顕地の組織についてほとんど把握していない<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、40-41頁。</ref>。

=== ヤマギシズム特別講習研鑽会 ===
'''ヤマギシズム特別講習研鑽会'''('''特講''')とは、日常生活を離れて参加する、合宿形式での研鑽会をいう。幸福会ヤマギシ会の説明によると、ヤマギシズム特別講習研鑽会において参加者は、「自分の判断が正しいものと信じて疑わない」態度を科学的に見直し、'''研鑽態度'''と呼ばれる、「自分の考えも大いに言い、誰の言うこともよく聞いて、あくまでも『本当はどうだろうか』と主体的に検べていこうとする考え方を身につけることを目的とする<ref name="特講">{{Cite web|author = |date = |url = http://www.koufukukai.com/tokkou.html|title = 「特講」とは?|work = ヤマギシズム特別講習研鑽会|publisher = 幸福会ヤマギシ会|language = 日本語|accessdate = 2012年1月30日}}</ref>{{#tag:ref|近藤衛によると、受講中は着替えや洗面用具を除き、貴重品や身分証明書を含め所持品は幸福会ヤマギシ会側に預ける(ただしタバコは許される)<ref name="近藤2003-24">[[#近藤2003|近藤2003]]、24頁。</ref>。|group="†"}}。

幸福会ヤマギシ会は、「決めつける観念、固定する観念」が人と人が仲良く愉快に暮らしていく上での弊害であり、愚行を生み出す原因であると主張し、ヤマギシズム特別講習研鑽会に参加することで人間の観念が固定しない状態(真に自由なる観念)へと「急速に大転換」し、「頑固が謙虚な態度に、決めつけの考え方が決めつけのない考え方に、囲いある狭い生き方が、みんなと共に繁栄せんとする広い心での豊かな生き方に転換」するとしている<ref name="特講"/>。幸福会ヤマギシ会によると、人々が日常生活の中で身につけた常識や信念は「びっくりするほど根拠のない思い込み」であり、ヤマギシズム特別講習研鑽会に参加することでそのことが見えてくるという<ref name="特講"/>。近藤衛は、こうした観念を固定しない思考法は[[#ヤマギシズム社会実顕地|ヤマギシズム社会実顕地]]において、参画者の観念を組織の都合に応じて操作するために活用されると指摘している<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、246-248頁。</ref>。

近藤は1995年7月に、実際に特別講習研鑽会を受講している。近藤によると特別講習研鑽会では進行役が参加者に対し「嫌いなもの」を問い、回答があると「それは嫌いなものですか?」と尋ねる。それに対しいかなる反応があっても進行役はひたすら「それは嫌いなものですか?」と繰り返し、参加者が沈黙すると次第に語気を荒げて反復する<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、25-29頁。</ref>。同様に個々の座布団について「これは同じものですか?」と繰り返し質問するパターン<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、29-30頁。</ref>や、「如何なる場合にも腹の立たない人になる」という目標を確認した後、腹が立った経験について語らせ、「で、なんで腹が立つんですか?」と次第に語気を強めつつ繰り返し質問するパターン(怒り研鑽)もある<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、32-37頁。</ref>。こうした反復は数時間<ref name="近藤2003-35">[[#近藤2003|近藤2003]]、35頁。</ref>、一昼夜<ref name="近藤2003-37"/>に及ぶ。

近藤によると、「怒り研鑽」における数時間にわたる反復の中で、怒りを覚えた動機を全面的に否定し、むしろ自分のほうが謝罪したいと涙ながらに語る参加者が現れた。さらに会場内には連鎖反応的に恍惚の表情を浮かべ、「もう腹は立ちません」と語り出す者が現れた。そのような反応に対し、進行役は頷く素振りをみせたという<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、36-37頁。</ref>。近藤は「まるで集団催眠にかかったような光景だった」と述懐している<ref name="近藤2003-37">[[#近藤2003|近藤2003]]、37頁。</ref>。

近藤は自身についても、問いに対する答えを考える中で「突然、後頭部で『パチン』と風船が割れたような音」がし、「自分の意識が消し飛ぶような」間隔に陥り、「身震いするような恐怖を覚え」、やがて心地よい浮遊感、昂揚感を覚えるようになったと懐している<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、30-31頁。</ref>。近藤はこの経験について、「頭の中が真っ白になる。別の世界に誘われて、とてつもない真理を知ったような気分になる」、進行役の「口にすることすべてが真実であるように聞こえてくる」、「脳裏が白くなってからは、どんな発言が出たのか、まわりの様子がどうったのか、まったく記憶に残っていない。すっぽりと記憶が抜け落ちていた」と分析し、「あの『浮遊感』を体感した受講生ならば、簡単に『ヤマギシズム=真実の世界』と刷り込まれてしまうだろう」と述べている<ref name="近藤2003-31">[[#近藤2003|近藤2003]]、31頁。</ref>。近藤は、特別講習研鑽会への参加後しばらくは「これは同じものですか?」といった進行役の問いかけが頭から離れず、しばしば気が抜けた状態になったと告白し<ref name="近藤2003-40">[[#近藤2003|近藤2003]]、40頁。</ref>、ナンセンスな質問の中に「奇妙な『浮遊感』を感じさせる魔法が仕掛けられているようだった」と述べている<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、31-32頁。</ref>。後に近藤が他の参加者の経験を調査すると、同様の感覚に襲われた者はごく一部であったが、かつてのヤマギシズム生活実顕地参画者でヤマギシ会に反対する立場をとる者の中にさえ「あの瞬間ほど身体全体が興奮したことは、今まで一度もなかった」と振り返る者がいた<ref name="近藤2003-32">[[#近藤2003|近藤2003]]、32頁。</ref>。

近藤は特別講習研鑽会について、「打ち上げ花火のようなもの」で、「たったの1週間で消えてしまった夢幻花火が忘れられず、一部の人々は社会活動や研鑽学校に参加していく」のだと分析している<ref name="近藤2003-196">[[#近藤2003|近藤2003]]、196頁。</ref>。近藤によると、ヤマギシズム生活実顕地への参画のために受講しなければならないセミナー(研鑽学校)で行った研鑽会では、特別講習研鑽会におけるような「忘我恍惚体験」をすることはなかった<ref name="近藤2003-196"/>。[[鶴見俊輔]]は特別講習研鑽会の手法について、[[ソクラテス]]や[[老子]]といった思想家になぞらえると同時に、「中共の洗脳にも似て」いるとも述べている<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、10-11頁。</ref>。

幸福会ヤマギシ会やその構成員が特別講習研鑽会の内容を外部に明かすことはない<ref name="近藤2003-15-16">[[#近藤2003|近藤2003]]、15-16頁。</ref>。しかし1995年以降、マスコミが特別講習研鑽会の内容について盛んに報道するようになった<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、257-258頁。</ref>。

=== ヤマギシズム社会実顕地 ===
幸福会ヤマギシ会は、「心も物も充ち満ちた真の幸福社会」をヤマギシズム社会と呼び<ref name="理念"/>、ヤマギシズム社会を実践する場として'''ヤマギシズム社会実顕地'''(通称「ヤマギシの村」)を38箇所(うち32箇所は日本)運営している<ref name="活動">{{Cite web|author = |date = |url = http://www.koufukukai.com/katudou.html|title = 幸福会ヤマギシ会の活動|work = 幸福会ヤマギシ会 概要|publisher = 幸福会ヤマギシ会|language = 日本語|accessdate = 2012年1月30日}}</ref>。幸福会ヤマギシ会によると、ヤマギシズム社会実顕地の中では「一体生活」、「『財布ひとつ』の生活」と称する生活が営まれ、農業・畜産・林業等が行われている<ref name="活動"/>。実顕地へ参画するには、2週間のセミナー(研鑽学校)を受講しなければならず<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、75-76頁。</ref>、参画決定後は半年間を「予備寮」と呼ばれる施設で過ごす<ref name="近藤2003-185">[[#近藤2003|近藤2003]]、185頁。</ref>。実際にヤマギシズム社会実顕地に参画した近藤衛によると予備寮で排除され、社会実顕地を去る参画者もいたという<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、205-210頁。</ref>。

ヤマギシズム生活実顕地の中で暮らす者は私有財産のすべてを幸福会ヤマギシ会に「無条件委任」する<ref name="近藤2003-3">[[#近藤2003|近藤2003]]、3頁。</ref>。近藤衛は参画に際し、ヤマギシズム生活調正機関本庁に宛て「物件、有形、無形財、及び権益の一切を、権利書、証書、添付の上、ヤマギシズム生活調整機関に無条件委任致します」と書かれた誓約書に署名捺印を求められ<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、186-190頁。</ref>、さらに脱退(参画取り消し)時にはヤマギシズム生活調正機関本庁に宛て、委任した財産について「今後一切返還請求や、金銭請求をしないことは勿論、何等の異議も申し立てません」と誓約する内容の脱退届に署名捺印したことを明かしている<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、285-286頁。</ref>。近藤によると、参画時の誓約書には「本財」として「身」と「命」も含まれている<ref name="近藤2003-187">[[#近藤2003|近藤2003]]、187頁。</ref>。実顕地の中での労働に対し賃金が支払われることもない<ref name="近藤2003-3"/><ref group="†" name="脱退">近藤は脱退にあたり「世話係り」から「自分勝手に働いていたことにし、脱退後に給料を要求しない」よう求められたという([[#近藤2003|近藤2003]]、284頁。)。</ref>。近藤は、一切の私有財産の放棄が過去の自分と決別し、人生を再生させる解放感をもたらすケースがあると指摘している<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、228-229頁。</ref>。

近藤衛は、自身が生活実顕地の中で生活を送った1999年2月から12月にかけての住人やその生活の実情について、以下のような分析・考察をしている。

*非常に勤勉である<ref name="近藤2003-213">[[#近藤2003|近藤2003]]、213頁。</ref>が、総じて個性がない<ref name="近藤2003-230"/>。
*人間関係は表面的には淡白である<ref name="近藤2003-242"/>{{#tag:ref|近藤衛によると、ある住人が「世話係り」に人間関係の希薄さを訴えたところ、「実顕地は他人や関係面(人間関係のこと)を観る場所ではない」と返答されたという<ref name="近藤2003-242"/>。|group="†"}}。「ヤマギシに友人はありません」という標語が存在し、「オトモダチ」という言葉が揶揄に用いられる<ref name="近藤2003-243">[[#近藤2003|近藤2003]]、243頁。</ref>。
*労働環境には厳しい面もあるが経済的な不安とは無縁でいられる<ref name="近藤2003-230">[[#近藤2003|近藤2003]]、230頁。</ref>。
*組織の意思決定のプロセスはもちろん、意思決定プロセスへの参加者も明かされない<ref name="近藤2003-223">[[#近藤2003|近藤2003]]、223頁。</ref>。
*あらゆる任務から半年に一度自動的に解かれる(自動解任)建前がとられているが、実際には「重任」が存在し、権力が固定されることもある<ref name="近藤2003-224">[[#近藤2003|近藤2003]]、224頁。</ref>。
*「ごく日常的な些事」を除いて情報が不足しており<ref name="近藤2003-221">[[#近藤2003|近藤2003]]、221頁。</ref>、住人の関心事もまた些事に限定される<ref name="近藤2003-231">[[#近藤2003|近藤2003]]、231頁。</ref>。誤解や迷妄が生じやすい環境にあり、「そこに『理想社会』のバラ色のイメージが重なり、実顕地生活を特別視する」<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、221-222頁。</ref>。
*私有財産制の否定と共有は徹底しており、1980年以降は衣類にまで至っている<ref name="近藤2003-68">[[#近藤2003|近藤2003]]、68頁。</ref>。実顕地にパンツを持ち込んだ近藤は、「世話係り」からどうして共用のパンツを履かないのか問い詰められたという<ref name="近藤2003-203">[[#近藤2003|近藤2003]]、203頁。</ref>。
*予定を自分で決めることができない場面が多い。「世話係り」との「研鑽」において世話係りが結論のみを伝え、それに「ハイ」と従うことが要求される<ref name="近藤2003-222">[[#近藤2003|近藤2003]]、222頁。</ref>。住人は「どんな指示でもわだかまりなく実行できる」という意味で「何でもやるのが本当の自由だ」と言い、理由説明のない指示に従うことで「真の自由」を感じる<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、222-223頁。</ref>。「事実」と「思い」とを分離する思考がとられ、思いは軽視される<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、243-344頁。</ref>。「<思い>を断ち切る」という意味で「-を思い切りやる」という言葉が用いられる<ref name="近藤2003-244">[[#近藤2003|近藤2003]]、244頁。</ref>。ただし近藤は、[[#退潮|1995年以来の組織の衰退]]を受け、1998年3月以降、「自分がやりたいことをやる自由」が認められる傾向が生まれたとも述べている<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、260-261頁。</ref>。
*懐疑的な部分がある反面、生活実顕地内のルールや「世話係り」にはきわめて従順である<ref name="近藤2003-245">[[#近藤2003|近藤2003]]、245頁。</ref>。
*実顕地内の事柄を善意に解釈する半面、一般社会に対し強い不信感{{#tag:ref|近藤衛によると、山岸巳代蔵は外部社会を「百鬼夜行の陰惨な、混濁世界」と表現した<ref name="近藤2003-249">[[#近藤2003|近藤2003]]、249頁。</ref>。近藤自身も生活実顕地で暮らす中で外部の人間の「獣性」について語る参画者を目撃したという<ref name="近藤2003-249"/>。|group="†"}}を抱いており、「善と悪の境界」、共同体を外部社会から隔てる心理的境界がうかがえる<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、248-249頁。</ref>。
*住人同士の結婚を統括する機関(結婚調整機関)が存在する<ref name="近藤2003-237"/>。離婚においては、「世話係り」が間に立つ<ref name="近藤2003-242">[[#近藤2003|近藤2003]]、242頁。</ref>。
*勤勉な男性には「結婚する<資格>」が与えられ、勤勉でないものはいつまでも結婚できずにいる<ref name="近藤2003-239">[[#近藤2003|近藤2003]]、239頁。</ref>。離婚した男性には再婚の機会が少なからずあるが、中年以上の女性は孤独なままである<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、239-240頁。</ref>。
*夫婦関係については夫唱婦随が説かれ<ref name="近藤2003-240">[[#近藤2003|近藤2003]]、240頁。</ref>、夫は妻をファーストネームで、妻は夫を姓に「さん」をつけて呼ぶ<ref name="近藤2003-235">[[#近藤2003|近藤2003]]、235頁。</ref>。
*夫婦が水入らずの生活を送ることはない<ref name="近藤2003-234">[[#近藤2003|近藤2003]]、234頁。</ref>。その他、集団の中で誰と誰が夫婦なのか判別しにくい<ref name="近藤2003-234"/>、子供は性別・年齢別に集団生活を送る<ref name="近藤2003-235">[[#近藤2003|近藤2003]]、235頁。</ref>など、血縁・婚姻関係が希薄となる環境が揃っている<ref name="近藤2003-235"/>さらにヤマギシズムに従えば一夫一婦制には必ずしも拘束されないことになり、「三位一体の愛情」を実践した者もいる<ref name="近藤2003-237">[[#近藤2003|近藤2003]]、237頁。</ref>。

近藤衛は、住人に割り振られるID番号をもとに1999年までの離村者と離村率を計算している。近藤は発足以降延べ7800名が参画し、500名が参画中に実顕地で死亡したと概算し、1999年時点での参画者が約2150名であることから、離村者を5150名、離村率を約66%と推計した<ref name="近藤2003-233">[[#近藤2003|近藤2003]]、233頁。</ref>。

== 歴史 ==
=== 草創期 ===
山岸巳代蔵が提唱する理念を実践するための団体(社会活動実践母体)として、{{和暦|1953}}に発足<ref name="沿革"/>。同年、山岸式養鶏普及会発足<ref name="沿革pdf">{{Cite web|author = |date = |url = http://www.koufukukai.com/enkaku.pdf|title = ヤマギシズム運動の沿革|work = |publisher = 幸福会ヤマギシ会|language = 日本語|accessdate = 2012年1月30日}}</ref><ref name="近藤2003-48">[[#近藤2003|近藤2003]]、48頁。</ref>。山岸巳代蔵は鶏糞による米の増産と、そのころまだ貴重であった鶏卵の増産を目指す篤農家であった。[[1956年]]には「養鶏の秘匿公開」を謳い文句に第1回の特別講習研鑽会が開かれた<ref name="近藤2003-53">[[#近藤2003|近藤2003]]、53頁。</ref>。


=== 成長期 ===
=== 成長期 ===
[[1958年]]「百万羽科学工業養鶏」構想が発表され28名が参画する。その3ヵ月後には三重県阿山郡春日村にて「ヤマギシズム生活実践場春日山実験地」が発足。
[[1958年]]「百万羽科学工業養鶏」構想が発表され28名が参画する。その3ヵ月後には三重県阿山郡伊賀町にて「ヤマギシズム生活実践場春日山実験地」が発足。


[[1959年]]7月、幹部12名が監禁・脅迫の疑いで逮捕され、受講者を監禁したり、ニセ電話で家族を呼び出して強制的に受講させていたことが明らかになる<ref>[http://showa.mainichi.jp/news/1959/07/post-6fbf.html 昭和毎日:山岸会幹部逮捕] 毎日jp</ref>。
[[1959年]]7月、幹部12名が監禁・脅迫の疑いで逮捕され、受講者を監禁したり、ニセ電話で家族を呼び出して強制的に受講させていたことが明らかになる([[#山岸会事件|山岸会事件]])<ref>{{Cite web|author = |date = |url = http://showa.mainichi.jp/news/1959/07/post-6fbf.htm|title = 山岸会幹部逮捕|work = 昭和毎日|publisher = [[毎日新聞]]|language = 日本語|accessdate = 2012年1月30日}}</ref><ref name="近藤2003-54-55">[[#近藤2003|近藤2003]]、54-55頁。</ref>。


[[1961年]]「ヤマギシズム中央調整機関」発足。「ヤマギシズム研鑽学校」開設。その後[[1968年]]頃より始まった[[全学共闘会議|全共闘]]時代にコミューン運動としてヤマギシが捉えられ、従来の[[農家]]出身者に代わり、[[学生運動]]経験者などの先鋭的な左翼思想を持った若者が多数加入した。
[[1961年]]「ヤマギシズム中央調整機関」発足。「ヤマギシズム研鑽学校」開設。その後[[1968年]]頃より始まった[[全学共闘会議|全共闘]]時代にコミューン運動としてヤマギシが捉えられ、従来の[[農家]]出身者に代わり、[[学生運動]]経験者などの先鋭的な左翼思想を持った若者が多数加入した。特講を受講した哲学者の[[鶴見俊輔]]は、ヤマギシ会にベトナム戦争の脱走アメリカ兵を長い間預かってもらったと語っている
特講を受講した哲学者の[[鶴見俊輔]]は、ヤマギシ会にベトナム戦争の脱走アメリカ兵を長い間預かってもらったと語っている。


山岸会事件の影響から会は「冬の時代」を迎えたが、1970年代に「自然食品を生産する[[コミューン]]」として再び注目を集めるようになり<ref name="近藤2003-56">[[#近藤2003|近藤2003]]、56頁。</ref>、1980年代には「心あらば、愛児に楽園を」と謳い、子育てや教育への不安や関心を背景に一部の教育者や子供をもつ者からの支持を得、発展を遂げた<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、66-67頁。</ref>。
1980年代は、子育て問題や環境問題などに関心の高い人たちに農村体験、[[循環型社会]]のモデルとして受け入れられ、急速に発展し世界最大の農業系共同体とも表現され注目をあびる。1980年代、日本をはじめ世界各地からの教育熱心な人々、食に関する問題や、都会での閉鎖的な子育てに疑問や不安を抱く親たちからも注目された。


=== 退潮・内閉 ===
現在、日本各地に30箇所、[[ブラジル]]や[[スイス]]・[[大韓民国|韓国]]・[[オーストラリア]]・[[アメリカ合衆国]]・[[タイ王国|タイ]]・[[モンゴル]]などの日本以外の国に7箇所の合計37箇所の地に実顕地がある。
1980年代以降、社会から好意的にみられていたヤマギシ会であった<ref name="近藤2003-306">[[#近藤2003|近藤2003]]、56頁。</ref>が、1994年にヤマギシズム社会実顕地の元参画者が「ヤマギシを考える全国ネットワーク」を結成し、幸福会ヤマギシ会が抱える負の側面を告発し<ref name="近藤2003-71"/>、会に対する批判や疑惑を取り上げるメディアが続出した<ref name="近藤2003-72">[[#近藤2003|近藤2003]]、72頁。</ref>。さらに「ヤマギシを考える全国ネットワーク」結成と時を同じくして[[オウム真理教事件|オウム真理教が起こした事件]]の捜査が進展し、幸福会ヤマギシ会を同種の危険集団として評価する風潮が生まれた<ref name="近藤2003-257-258"/>。1994年に500名いた年末年始の特別講習研鑽会(正月特講)への参加者は、1995年に400名、1996名に130名、1998年に20名と減少を続けた<ref name="近藤2003-257-258">[[#近藤2003|近藤2003]]、257-258頁。</ref>。幸福会ヤマギシ会が生産する農産物の売り上げについても、幹部が減少を認めるに至った<ref name="近藤2003-258">[[#近藤2003|近藤2003]]、258頁。</ref>。加えて1997年には国税局の税務調査を受け、書類上でのみ支給され実際には支払われず組織内の機関にプールされていた社会実顕地参画者に対する給与<ref group="†" name="賃金"/>について[[贈与]]にあたると指摘され、200億円の申告漏れを理由におよそ60億円の追徴課税が課された<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、261-262頁。</ref>。
その国の天候、地質、特徴に合った野菜や果物、家畜などを育て、地域一体となり社会へ供給するシステムを形成している。


幸福会ヤマギシ会は1998年10月、「村から街へ」をスローガンに、「中高年は20代30代の若者のために、実顕地を出て街で暮らそう」と呼びかけ、40歳以上の参画者を外部社会に送り出す方針を打ち出した<ref name="近藤2003-262-264">[[#近藤2003|近藤2003]]、262-264頁。</ref>。さらに実顕地の中では、「子供が<学園>でやれなくなった場合、親は子供と一緒に村を出る」という不文律が布かれ<ref name="近藤2003-265">[[#近藤2003|近藤2003]]、265頁。</ref>、離村勧告の対象となりうる矯正機関への入所者を増やす<ref name="近藤2003-266">[[#近藤2003|近藤2003]]、266頁。</ref>など、参画者を増やすよりも減少させる動きを見せるようになった<ref name="近藤2003-266"/>。近藤衛によると、1999年に約2150名だった参画者は、2001年1月には子供を除き1700名にまで減少した<ref name="近藤2003-295">[[#近藤2003|近藤2003]]、295頁。</ref>。こうした動きについて近藤は、集団農場の経営効率化策だと分析<ref name="近藤2003-282">[[#近藤2003|近藤2003]]、282頁。</ref>するとともに、会が内閉期{{#tag:ref|宗教学者の[[島田裕巳]]は、幸福会ヤマギシ会が発足以降、外部社会と積極的に関わり勢力を拡大しようとする時期と、外部社会との接触を断ち内に閉じこもろうとする時期を繰り返してきたと分析している<ref name="近藤2003-67">[[#近藤2003|近藤2003]]、67頁。</ref>。|group="†"}}に入ったと指摘している<ref name="近藤2003-296">[[#近藤2003|近藤2003]]、296頁。</ref>。
[[アーミッシュ]]と並べて例えられる場合もある。


== 活動 ==
== トラブル・事件 ==
=== 山岸会事件 ===
特講と呼ばれる特別講習研鑽会は一週間の合宿形式で、ヤマギシズムの理念や思想を体験的に知るために参加者全員が車座になってひとつのテーマを深く議論する「研鑽会」が主であり、特講を受講しヤマギシ会<ref>http://www.koufukukai.com/</ref>会員の資格を得た人々は、各自の意思でヤマギシ会会員となり、幸福社会を共につくる活動を全国各地で繰り広げている。
ヤマギシ会が1958年に三重県に設立した共同体「山岸式百万羽科学工業養鶏株式会社」が、同県[[阿山郡]][[伊賀町]]で百万羽の鶏の飼育を目的に開拓を目指したものの難航する中、構成員の知人らを「ヨウアリ、スグコイ」など真意を隠した内容の電報で呼び寄せ、1959年7月の特別講習研鑽会に参加させた事件。「家族が監禁されて講習を受けさせられている」といった訴えが数多く寄せられ、7月10日に山岸会幹部9名が三重県警に逮捕された<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、54-55頁。</ref>。山岸巳代蔵にも逮捕状が出たが行方をくらませた<ref name="近藤2003-56">[[#近藤2003|近藤2003]]、56頁。</ref>。山岸会は「謎めいた思想集団」、「謎の革命集団」として報道された<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、56-57頁。</ref>。


=== ヤマギシズム学園にまつわる問題 ===
特講でヤマギシズムの思想に共鳴し、研鑽学校を経て参画を決意した場合、ヤマギシズム生活実顕地<ref>http://www.yamagishi.or.jp/</ref>に「参画」することができる。実顕地における生活は私財をひとつ財布に入れ共に研鑽生活を営むことが柱となっている。
1985年、ヤマギシ会は子供が24時間の集団生活を送る私塾「ヤマギシズム学園」を設立した<ref name="近藤2003-66">[[#近藤2003|近藤2003]]、66頁。</ref>。


1994年、ヤマギシズム社会実顕地の元参画者が「ヤマギシを考える全国ネットワーク」を結成し、学園での子供に対する暴力問題を告発した<ref name="近藤2003-71">[[#近藤2003|近藤2003]]、71頁。</ref>。これを受けて[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列のニュース番組『[[NNNきょうの出来事]]』が問題を追及し、「包丁を突きつけられて脅される」、「風呂に連れていかれ熱湯をかけられる」、「竹刀で20回も殴られる」、「部屋に呼ばれて裸にされて殴られる」という被害者の証言を報道した<ref name="近藤2003-71"/>。
実顕地の経済は、各実顕地で生産された農産物の販売による利益が中心である。[[1988年]]に設立したブラジル実顕地では[[1991年]]から開拓が始まった1000[[ヘクタール|ha]]に及ぶ[[オレンジ]]園があり、[[秋田県]][[大潟村]]では[[水稲|水稲栽培]]、80万羽規模の採卵養鶏など大規模農業にシフトしている。


広島弁護士会は広島県三次市の[[ヤマギシズム学園花見山初等部]]に対して、「憲法や子どもの権利条約で保障された人権が侵害されている」として警告書を提出した。これに対し学校サイドは「子供を預かっている学校が、担任が子供たちを見ているときに、おなかがすいて輪ゴムを食べたりとか、あるいは体が悪くないのに長期に休ませるとか、放課後部活もできない、そういうことを見て、これは子供が普通じゃないんじゃないか」と、広島弁護士会の方に相談し、広島弁護士会も、「平手打ちなどの体罰、あるいは反省させる名目で数時間から数日間も狭い一室に一人で閉じ込めた。また、通学日に朝食を与えず、十八時間も食事をさせなかった、子供の手紙を無断で開封し閲覧した、無断で私物を検査し、取り上げた、家族との交流は月一回に制限され、休日も学園のスケジュールどおりで、テレビ、新聞の視聴、閲覧を制限した」と警告書を出した。同様の事例が過去に岐阜県の武並小学校でもあったと広島弁護士会はしている。岐阜では食事を抜く、雨の中裸で外へ出す、登校させない、会の中での暴力行為がある等が子供たちの様子から感じられて警告書を提出するに至ったとしている。[[池坊保子]]はこれらの問題を衆議院議員予算委員会で取り上げ、両事例において警告書が出されると当事者児童は強制的に三重県へ転校させられたと述べている<ref name="第145回衆議院予算委員会第11号">{{Cite web|author = |date = |url = http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/145/0018/14502050018011a.html|title = 衆議院会議録情報 第145回衆議院予算委員会第11号|work = |publisher = |language = 日本語|accessdate = 2012年1月30日}}</ref>。池坊は、幸福会ヤマギシ会が学校法人設立の要望書を提出した際に行われた子供を対象に行った無記名のアンケートにおいて、8割が暴力を受け、したくない労働をさせられている旨回答したと指摘し、これに対し[[宮下創平]]厚生大臣は「大体御指摘のような事実が極めて高い確度で想像され」ると回答している<ref name="第145回衆議院予算委員会第11号"/>。
経営形態は、野菜や各種畜産から販売を組み合わせた複合農業であり、農事組合法人の形をとっている。


=== 財産返還問題 ===
ヤマギシズム実顕地は、点在する海外6カ国と国内合わせて36の実顕地によって構成されている。
前述のように、近藤衛によると、ヤマギシズム生活実顕地の中で暮らす者は私有財産のすべてを幸福会ヤマギシ会に「無条件委任」し、実顕地の中での労働に対し賃金<ref group="†" name="賃金">建前上、参画者は農事組合法人に被雇用者である([[#近藤2003|近藤2003]]、287頁。)。</ref>が支払われることもない<ref name="近藤2003-3"/><ref group="†" name="脱退"/>。さらに近藤は、生活実顕地を去る者について、以下のように述べている。
各地の実顕地は、ヤマギシズム理念のもとに「金の要らない仲良い楽しい村」として、真の人間社会を営むための精神性を重視した農村建設に着手し、その地域に適した産業や社会活動<ref>http://www.mula-net.com/</ref>を行い、それぞれの実顕地ごとの特性を活かして相互に交流しながら経営・運営している。

== トラブル ==
{{Quotation|もし彼らが集団農場を去ることになれば、その末路は暗い。持ち込んだ私財は返されない。仮に数千万円を委任しても、脱退時には数十万円が手渡されるのみだ。
=== ヤマギシズム学園 ===

広島弁護士会が広島県三次市の[[ヤマギシズム学園花見山初等部]]に対して、「憲法や子どもの権利条約で保障された人権が侵害されている」として警告書を提出した。これに対し学校サイドは「子供を預かっている学校が、担任が子供たちを見ているときに、おなかがすいて輪ゴムを食べたりとか、あるいは体が悪くないのに長期に休ませるとか、放課後部活もできない、そういうことを見て、これは子供が普通じゃないんじゃないか」と、広島弁護士会の方に相談し、広島弁護士会も、「平手打ちなどの体罰、あるいは反省させる名目で数時間から数日間も狭い一室に一人で閉じ込めた。また、通学日に朝食を与えず、十八時間も食事をさせなかった、子供の手紙を無断で開封し閲覧した、無断で私物を検査し、取り上げた、家族との交流は月一回に制限され、休日も学園のスケジュールどおりで、テレビ、新聞の視聴、閲覧を制限した」と警告書を出した。同様の事例が過去に岐阜県の武並小学校でもあったと広島弁護士会はしている。岐阜では食事を抜く、雨の中裸で外へ出す、登校させない、会の中での暴力行為がある等が子供たちの様子から感じられて警告書を提出するに至ったとしている。<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/145/0018/14502050018011a.html 第145回衆議院予算委員会第11号 池坊保子]</ref>
ヤマギシ会はバラ色の理想を掲げる一方で、脱退者をほぼ無一文で外部社会へ放り出してきた。彼らは離村者が路頭に迷おうとも、どんな経済的な辛苦が待ち受けようとも、決して私財を返そうとしない。|[[#中野2004|中野2004]]、[[#近藤2003|近藤2003]]、4頁。}}

1995年以降、ヤマギシズム生活実顕地の元参画者が委任した財産の返還を求める裁判が起こされるようになった<ref name="近藤2003-73">[[#近藤2003|近藤2003]]、73頁。</ref>。弁護士の松本篤周によると、幸福会ヤマギシ会は入会者に全財産を寄付させた上、退会しても一切返還に応じないの姿勢をとっており、社会問題化している<ref name="nagoya">{{Cite web|author = 松本篤周|date = |url = http://www2s.biglobe.ne.jp/~jinkenha/13_1.htm|title = 奪われた財産と信用を返せ。-ヤマギシズムに対する財産返還賃金支払請求事件-|work = 人権派弁護士集団・ナゴヤ|publisher = |language = 日本語|accessdate = 2012年1月30日}}</ref>。松本は幸福会ヤマギシ会に入会するにあたっては全財産をヤマギシズムに渡し、退会しても返還されない旨の契約を結ぶ必要がと警告している<ref name="nagoya"/>。


=== 裁判 ===
[[2004年]]11月5日、ヤマギシ会の集落を離れた女性が入村時に放棄したとされた財産の返還を求めた裁判において、[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]第二小法廷([[滝井繁男]][[裁判長]])は二審[[東京高等裁判所|東京高裁]]判決を支持し女性側の上告を棄却した。これで女性が請求した一部の1億円の返還を命じてヤマギシ会を敗訴とした東京高裁の判決が確定した。
[[2004年]]11月5日、ヤマギシ会の集落を離れた女性が入村時に放棄したとされた財産の返還を求めた裁判において、[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]第二小法廷([[滝井繁男]][[裁判長]])は二審[[東京高等裁判所|東京高裁]]判決を支持し女性側の上告を棄却した。これで女性が請求した一部の1億円の返還を命じてヤマギシ会を敗訴とした東京高裁の判決が確定した。


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1996年、ドイツ連邦政府はすべての州と協力し、パンフレット"ドイツ連邦共和国のいわゆる若いカルトと精神異常グループ"(''Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland'')を作成し、当時増加傾向にある新宗教団体などをあげた。その中にヤマギシ会が掲載された。<ref>[http://www.agpf.de/Bundestags-Drucksache-13-4132.htm Bundestags-Drucksache 13/4132: Antwort der Bundesregierung auf die Kleine Anfrage Drucksache 13/3712 (1.Welche Gruppierungen zählt die Bundesregierung zu den sog. Jugendsekten oder Psychogruppen, und welche dieser Gruppierungen treten z.Z. verstärkt in Deutschland in Erscheinung?)] AGPF(Aktion für Geistige und Psychische Freiheit; 精神的・心理的自由のためのアクション) 1996年3月15日 2009-9-19閲覧 "ドイツ連邦政府はすべての州と協力し、パンフレット"ドイツ連邦共和国のいわゆる若いカルトと精神異常グループ"(''Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland'')を作成した。以下のグループ、団体を含む:"(''Die Bundesregierung hat in Kooperation mit allen Bundesländern den Entwurf einer Informationsbroschüre »Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland« erarbeitet, in den u. a. die nachfolgenden Gruppierungen und Organisationen aufgenommen wurden:'')</ref>
1996年、ドイツ連邦政府はすべての州と協力し、パンフレット"ドイツ連邦共和国のいわゆる若いカルトと精神異常グループ"(''Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland'')を作成し、当時増加傾向にある新宗教団体などをあげた。その中にヤマギシ会が掲載された。<ref>[http://www.agpf.de/Bundestags-Drucksache-13-4132.htm Bundestags-Drucksache 13/4132: Antwort der Bundesregierung auf die Kleine Anfrage Drucksache 13/3712 (1.Welche Gruppierungen zählt die Bundesregierung zu den sog. Jugendsekten oder Psychogruppen, und welche dieser Gruppierungen treten z.Z. verstärkt in Deutschland in Erscheinung?)] AGPF(Aktion für Geistige und Psychische Freiheit; 精神的・心理的自由のためのアクション) 1996年3月15日 2009-9-19閲覧 "ドイツ連邦政府はすべての州と協力し、パンフレット"ドイツ連邦共和国のいわゆる若いカルトと精神異常グループ"(''Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland'')を作成した。以下のグループ、団体を含む:"(''Die Bundesregierung hat in Kooperation mit allen Bundesländern den Entwurf einer Informationsbroschüre »Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland« erarbeitet, in den u. a. die nachfolgenden Gruppierungen und Organisationen aufgenommen wurden:'')</ref>
ヤマギシ会は、「ヤマギシ (スピリチュアルと環境の要素を持った日本の[[新宗教]])」 Yamagishi (Japanische Neureligion mit spirituellen und ökologischen Elementen)と紹介された。
ヤマギシ会は、「ヤマギシ (スピリチュアルと環境の要素を持った日本の[[新宗教]])」 Yamagishi (Japanische Neureligion mit spirituellen und ökologischen Elementen)と紹介された。

== 分析 ==
近藤衛は、アメリカの社会学者ロザベス・カンターが19世紀のアメリカで栄えたユートピア集団(シェイカー、ハーモニー、アマナ、ゾアル、ソウノウヒルなど)の特徴として挙げている「脱会しても拠出した財産を返還しない」、「親子が分離して生活する」、「プライバシーの余地がない」など100の項目のうち、およそ90%が幸福会ヤマギシ会についても当てはまると指摘し、ユートピア集団と多くの類似点がみられると述べている<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、42-43頁。</ref>。

近藤は、幸福会ヤマギシ会を「歴史的にも類をみない特異なユートピア集団」であり<ref name="近藤2003-41">[[#近藤2003|近藤2003]]、41頁。</ref>、そのような集団を組織できた要因は創始者である[[山岸巳代蔵]]の思想にあったと分析している<ref name="近藤2003-43">[[#近藤2003|近藤2003]]、43頁。</ref>。山岸は、食糧増産のためにと伝授を求められた独自の養鶏技術を「真の幸福社会建設のため」秘匿し、養鶏よりも精神論を説き、精神論に耳を傾ける者にのみ若干の技術を教えた。技術を会得しようとする者は研鑽会を開き、山岸自身の難解な言葉の中から「真理」を得ようと必死になった。近藤は、「秘密」の存在をほのめかすことで山岸が人心を掌握していったのだと分析し<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、47-52頁。</ref>、その後も「秘密の呪縛」が組織を維持する原動力になっていると推察している<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、223-226頁。</ref>。さらに近藤によると、山岸の言葉には矛盾が多く、後に幸福会ヤマギシ会は山岸の言葉のうち組織運営に都合のいいものを選んで会員の<観念>を操作しようとした<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、275-277頁。</ref>。

近藤は「ユートピア共同体が成立するには、外部社会とその集団を隔てる『境界』が高く設定されなければならない」とし<ref name="近藤2003-264">[[#近藤2003|近藤2003]]、264頁。</ref>、1998年10月に「村から街へ」をスローガンに40歳以上の参画者を外部社会に送り出す方針を打ち出した<ref name="近藤2003-262-264"/>ことで幸福会ヤマギシ会と外部社会とを隔てる境界は弱められ、会のユートピア集団としての存立基盤に変動が生じる兆しが出てきたと指摘している<ref name="近藤2003-264"/>。

近藤は特別講習研鑽会の中で冒頭部に「宗教に非ず」と書かれたテキストが配布された経験を明かし、「『宗教に非ず』と断ること自体、ヤマギシ会がいかに既存の主教団体と似ているかを示している」とも述べている<ref>[[#近藤2003|近藤2003]]、38-39頁。</ref>。

== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=†}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}

== 参考文献 ==
* [[黒田宣代]] 『ヤマギシ会と家族 近代化・共同体・現代日本文化』 ISBN 4905849438
*{{Cite book|和書
|author = 近藤衛
|year = 2003
|title = ヤマギシ会見聞録
|publisher = 行路社
|isbn = 978-4-87534-729-3
|ref = 近藤2003
}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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* [[政府の文書によってカルトと分類された団体一覧#ドイツ]]
* [[政府の文書によってカルトと分類された団体一覧#ドイツ]]
* [[原始共産制]]
* [[原始共産制]]

== 参考文献 ==
* [[黒田宣代]] 『ヤマギシ会と家族 近代化・共同体・現代日本文化』 ISBN 4905849438
* [[近藤衛]] 『ヤマギシ会見聞録』 ISBN 9784875347293


==外部リンク==
==外部リンク==

2012年3月20日 (火) 16:24時点における版

幸福会ヤマギシ会(こうふくかいヤマギシかい)とは農業・牧畜業を基盤とするユートピア[1]をめざす活動体(農事組合法人[2])。通称は「ヤマギシ会」「ヤマギシ」。1953年(昭和28年)、山岸巳代蔵の提唱する理念の社会活動実践母体「山岸会」として発足し、1995年(平成7年)に名称を「幸福会ヤマギシ会」と変更[3]。「無所有一体」の生活を信条としている。アーミッシュと並べて例えられる場合もある。

日本各地に30箇所、ブラジルスイス韓国オーストラリアアメリカ合衆国タイモンゴルなどの日本以外の国に7箇所の合計37箇所に、ヤマギシズム社会を実践する場である「ヤマギシズム社会実顕地」があり、野菜や果物、家畜などが育てられている。

活動

特別講習研鑽会(ヤマギシズムの理念や思想を体験的に知るために参加者全員が車座になってひとつのテーマを深く議論する「研鑽会」が主)と呼ばれる一週間の合宿形式の講座を受講すると会員となることができる[† 1]。ヤマギシズムの思想に共鳴し、研鑽学校を経て参画を決意した場合、ヤマギシズム社会実顕地に「参画」することができる。実顕地における生活は私財をひとつ財布に入れ[† 2]共に研鑽生活を営むことが柱となっている。

実顕地の経済は、各実顕地で生産された農産物の販売による利益が中心である。1988年に設立したブラジル実顕地では1991年から開拓が始まった1000haに及ぶオレンジ園があり、秋田県大潟村では水稲栽培、80万羽規模の採卵養鶏など大規模農業にシフトしている。経営形態は、野菜や各種畜産から販売を組み合わせた複合農業であり、農事組合法人の形をとっている[2]。フリーライターの近藤衛によると生産物の販売は、会員が運営する講座や農業体験、さらにヤマギシズム特別講習研鑽会へと人々を勧誘するきっかけともなっている[6][† 3]

近藤によると、幸福会ヤマギシ会は「あと200年後には世界中が地上の楽園<ヤマギシズム社会>に革命される」と主張している[8]

目的

幸福会ヤマギシ会は自らの活動目的を「すべての人が幸福である社会」[3]、「全人幸福社会の実顕」とし[9]、そのための行動原理として「無所有・共用・共活」を内容とする理念ヤマギシズムを掲げる[9]

組織

幸福会ヤマギシ会は、自らの組織の性質について、「会員それぞれの自発的自由意志により活動している団体」とし、全体を統率する特定の個人あるいは集団の存在を否定している[10]。会内部の組織も会員が自発的に作ったものであり、本部でさえも意志決定機関ではなく連絡機関、補助的な実務機関であるとしている[10]

近藤衛は、ヤマギシズム社会実顕地の元参画者の証言として、「イズム生活推進研」という意思決定機関が存在すると述べている[11]。近藤によると、幸福会ヤマギシ会やその構成員が組織の実情を外部に明かすことはない[12]。さらに会員歴の長いものであっても生活実顕地の組織についてほとんど把握していない[13]

ヤマギシズム特別講習研鑽会

ヤマギシズム特別講習研鑽会特講)とは、日常生活を離れて参加する、合宿形式での研鑽会をいう。幸福会ヤマギシ会の説明によると、ヤマギシズム特別講習研鑽会において参加者は、「自分の判断が正しいものと信じて疑わない」態度を科学的に見直し、研鑽態度と呼ばれる、「自分の考えも大いに言い、誰の言うこともよく聞いて、あくまでも『本当はどうだろうか』と主体的に検べていこうとする考え方を身につけることを目的とする[14][† 4]

幸福会ヤマギシ会は、「決めつける観念、固定する観念」が人と人が仲良く愉快に暮らしていく上での弊害であり、愚行を生み出す原因であると主張し、ヤマギシズム特別講習研鑽会に参加することで人間の観念が固定しない状態(真に自由なる観念)へと「急速に大転換」し、「頑固が謙虚な態度に、決めつけの考え方が決めつけのない考え方に、囲いある狭い生き方が、みんなと共に繁栄せんとする広い心での豊かな生き方に転換」するとしている[14]。幸福会ヤマギシ会によると、人々が日常生活の中で身につけた常識や信念は「びっくりするほど根拠のない思い込み」であり、ヤマギシズム特別講習研鑽会に参加することでそのことが見えてくるという[14]。近藤衛は、こうした観念を固定しない思考法はヤマギシズム社会実顕地において、参画者の観念を組織の都合に応じて操作するために活用されると指摘している[16]

近藤は1995年7月に、実際に特別講習研鑽会を受講している。近藤によると特別講習研鑽会では進行役が参加者に対し「嫌いなもの」を問い、回答があると「それは嫌いなものですか?」と尋ねる。それに対しいかなる反応があっても進行役はひたすら「それは嫌いなものですか?」と繰り返し、参加者が沈黙すると次第に語気を荒げて反復する[17]。同様に個々の座布団について「これは同じものですか?」と繰り返し質問するパターン[18]や、「如何なる場合にも腹の立たない人になる」という目標を確認した後、腹が立った経験について語らせ、「で、なんで腹が立つんですか?」と次第に語気を強めつつ繰り返し質問するパターン(怒り研鑽)もある[19]。こうした反復は数時間[20]、一昼夜[21]に及ぶ。

近藤によると、「怒り研鑽」における数時間にわたる反復の中で、怒りを覚えた動機を全面的に否定し、むしろ自分のほうが謝罪したいと涙ながらに語る参加者が現れた。さらに会場内には連鎖反応的に恍惚の表情を浮かべ、「もう腹は立ちません」と語り出す者が現れた。そのような反応に対し、進行役は頷く素振りをみせたという[22]。近藤は「まるで集団催眠にかかったような光景だった」と述懐している[21]

近藤は自身についても、問いに対する答えを考える中で「突然、後頭部で『パチン』と風船が割れたような音」がし、「自分の意識が消し飛ぶような」間隔に陥り、「身震いするような恐怖を覚え」、やがて心地よい浮遊感、昂揚感を覚えるようになったと懐している[23]。近藤はこの経験について、「頭の中が真っ白になる。別の世界に誘われて、とてつもない真理を知ったような気分になる」、進行役の「口にすることすべてが真実であるように聞こえてくる」、「脳裏が白くなってからは、どんな発言が出たのか、まわりの様子がどうったのか、まったく記憶に残っていない。すっぽりと記憶が抜け落ちていた」と分析し、「あの『浮遊感』を体感した受講生ならば、簡単に『ヤマギシズム=真実の世界』と刷り込まれてしまうだろう」と述べている[24]。近藤は、特別講習研鑽会への参加後しばらくは「これは同じものですか?」といった進行役の問いかけが頭から離れず、しばしば気が抜けた状態になったと告白し[4]、ナンセンスな質問の中に「奇妙な『浮遊感』を感じさせる魔法が仕掛けられているようだった」と述べている[25]。後に近藤が他の参加者の経験を調査すると、同様の感覚に襲われた者はごく一部であったが、かつてのヤマギシズム生活実顕地参画者でヤマギシ会に反対する立場をとる者の中にさえ「あの瞬間ほど身体全体が興奮したことは、今まで一度もなかった」と振り返る者がいた[26]

近藤は特別講習研鑽会について、「打ち上げ花火のようなもの」で、「たったの1週間で消えてしまった夢幻花火が忘れられず、一部の人々は社会活動や研鑽学校に参加していく」のだと分析している[27]。近藤によると、ヤマギシズム生活実顕地への参画のために受講しなければならないセミナー(研鑽学校)で行った研鑽会では、特別講習研鑽会におけるような「忘我恍惚体験」をすることはなかった[27]鶴見俊輔は特別講習研鑽会の手法について、ソクラテス老子といった思想家になぞらえると同時に、「中共の洗脳にも似て」いるとも述べている[28]

幸福会ヤマギシ会やその構成員が特別講習研鑽会の内容を外部に明かすことはない[12]。しかし1995年以降、マスコミが特別講習研鑽会の内容について盛んに報道するようになった[29]

ヤマギシズム社会実顕地

幸福会ヤマギシ会は、「心も物も充ち満ちた真の幸福社会」をヤマギシズム社会と呼び[9]、ヤマギシズム社会を実践する場としてヤマギシズム社会実顕地(通称「ヤマギシの村」)を38箇所(うち32箇所は日本)運営している[30]。幸福会ヤマギシ会によると、ヤマギシズム社会実顕地の中では「一体生活」、「『財布ひとつ』の生活」と称する生活が営まれ、農業・畜産・林業等が行われている[30]。実顕地へ参画するには、2週間のセミナー(研鑽学校)を受講しなければならず[31]、参画決定後は半年間を「予備寮」と呼ばれる施設で過ごす[32]。実際にヤマギシズム社会実顕地に参画した近藤衛によると予備寮で排除され、社会実顕地を去る参画者もいたという[33]

ヤマギシズム生活実顕地の中で暮らす者は私有財産のすべてを幸福会ヤマギシ会に「無条件委任」する[5]。近藤衛は参画に際し、ヤマギシズム生活調正機関本庁に宛て「物件、有形、無形財、及び権益の一切を、権利書、証書、添付の上、ヤマギシズム生活調整機関に無条件委任致します」と書かれた誓約書に署名捺印を求められ[34]、さらに脱退(参画取り消し)時にはヤマギシズム生活調正機関本庁に宛て、委任した財産について「今後一切返還請求や、金銭請求をしないことは勿論、何等の異議も申し立てません」と誓約する内容の脱退届に署名捺印したことを明かしている[35]。近藤によると、参画時の誓約書には「本財」として「身」と「命」も含まれている[36]。実顕地の中での労働に対し賃金が支払われることもない[5][† 5]。近藤は、一切の私有財産の放棄が過去の自分と決別し、人生を再生させる解放感をもたらすケースがあると指摘している[37]

近藤衛は、自身が生活実顕地の中で生活を送った1999年2月から12月にかけての住人やその生活の実情について、以下のような分析・考察をしている。

  • 非常に勤勉である[38]が、総じて個性がない[39]
  • 人間関係は表面的には淡白である[40][† 6]。「ヤマギシに友人はありません」という標語が存在し、「オトモダチ」という言葉が揶揄に用いられる[41]
  • 労働環境には厳しい面もあるが経済的な不安とは無縁でいられる[39]
  • 組織の意思決定のプロセスはもちろん、意思決定プロセスへの参加者も明かされない[42]
  • あらゆる任務から半年に一度自動的に解かれる(自動解任)建前がとられているが、実際には「重任」が存在し、権力が固定されることもある[11]
  • 「ごく日常的な些事」を除いて情報が不足しており[43]、住人の関心事もまた些事に限定される[44]。誤解や迷妄が生じやすい環境にあり、「そこに『理想社会』のバラ色のイメージが重なり、実顕地生活を特別視する」[45]
  • 私有財産制の否定と共有は徹底しており、1980年以降は衣類にまで至っている[46]。実顕地にパンツを持ち込んだ近藤は、「世話係り」からどうして共用のパンツを履かないのか問い詰められたという[47]
  • 予定を自分で決めることができない場面が多い。「世話係り」との「研鑽」において世話係りが結論のみを伝え、それに「ハイ」と従うことが要求される[48]。住人は「どんな指示でもわだかまりなく実行できる」という意味で「何でもやるのが本当の自由だ」と言い、理由説明のない指示に従うことで「真の自由」を感じる[49]。「事実」と「思い」とを分離する思考がとられ、思いは軽視される[50]。「<思い>を断ち切る」という意味で「-を思い切りやる」という言葉が用いられる[51]。ただし近藤は、1995年以来の組織の衰退を受け、1998年3月以降、「自分がやりたいことをやる自由」が認められる傾向が生まれたとも述べている[52]
  • 懐疑的な部分がある反面、生活実顕地内のルールや「世話係り」にはきわめて従順である[53]
  • 実顕地内の事柄を善意に解釈する半面、一般社会に対し強い不信感[† 7]を抱いており、「善と悪の境界」、共同体を外部社会から隔てる心理的境界がうかがえる[55]
  • 住人同士の結婚を統括する機関(結婚調整機関)が存在する[56]。離婚においては、「世話係り」が間に立つ[40]
  • 勤勉な男性には「結婚する<資格>」が与えられ、勤勉でないものはいつまでも結婚できずにいる[57]。離婚した男性には再婚の機会が少なからずあるが、中年以上の女性は孤独なままである[58]
  • 夫婦関係については夫唱婦随が説かれ[59]、夫は妻をファーストネームで、妻は夫を姓に「さん」をつけて呼ぶ[60]
  • 夫婦が水入らずの生活を送ることはない[61]。その他、集団の中で誰と誰が夫婦なのか判別しにくい[61]、子供は性別・年齢別に集団生活を送る[60]など、血縁・婚姻関係が希薄となる環境が揃っている[60]さらにヤマギシズムに従えば一夫一婦制には必ずしも拘束されないことになり、「三位一体の愛情」を実践した者もいる[56]

近藤衛は、住人に割り振られるID番号をもとに1999年までの離村者と離村率を計算している。近藤は発足以降延べ7800名が参画し、500名が参画中に実顕地で死亡したと概算し、1999年時点での参画者が約2150名であることから、離村者を5150名、離村率を約66%と推計した[62]

歴史

草創期

山岸巳代蔵が提唱する理念を実践するための団体(社会活動実践母体)として、1953年(昭和28年)に発足[3]。同年、山岸式養鶏普及会発足[63][64]。山岸巳代蔵は鶏糞による米の増産と、そのころまだ貴重であった鶏卵の増産を目指す篤農家であった。1956年には「養鶏の秘匿公開」を謳い文句に第1回の特別講習研鑽会が開かれた[65]

成長期

1958年「百万羽科学工業養鶏」構想が発表され28名が参画する。その3ヵ月後には三重県阿山郡伊賀町にて「ヤマギシズム生活実践場春日山実験地」が発足。

1959年7月、幹部12名が監禁・脅迫の疑いで逮捕され、受講者を監禁したり、ニセ電話で家族を呼び出して強制的に受講させていたことが明らかになる(山岸会事件[66][67]

1961年「ヤマギシズム中央調整機関」発足。「ヤマギシズム研鑽学校」開設。その後1968年頃より始まった全共闘時代にコミューン運動としてヤマギシが捉えられ、従来の農家出身者に代わり、学生運動経験者などの先鋭的な左翼思想を持った若者が多数加入した。特講を受講した哲学者の鶴見俊輔は、ヤマギシ会にベトナム戦争の脱走アメリカ兵を長い間預かってもらったと語っている。

山岸会事件の影響から会は「冬の時代」を迎えたが、1970年代に「自然食品を生産するコミューン」として再び注目を集めるようになり[68]、1980年代には「心あらば、愛児に楽園を」と謳い、子育てや教育への不安や関心を背景に一部の教育者や子供をもつ者からの支持を得、発展を遂げた[69]

退潮・内閉

1980年代以降、社会から好意的にみられていたヤマギシ会であった[70]が、1994年にヤマギシズム社会実顕地の元参画者が「ヤマギシを考える全国ネットワーク」を結成し、幸福会ヤマギシ会が抱える負の側面を告発し[71]、会に対する批判や疑惑を取り上げるメディアが続出した[72]。さらに「ヤマギシを考える全国ネットワーク」結成と時を同じくしてオウム真理教が起こした事件の捜査が進展し、幸福会ヤマギシ会を同種の危険集団として評価する風潮が生まれた[73]。1994年に500名いた年末年始の特別講習研鑽会(正月特講)への参加者は、1995年に400名、1996名に130名、1998年に20名と減少を続けた[73]。幸福会ヤマギシ会が生産する農産物の売り上げについても、幹部が減少を認めるに至った[74]。加えて1997年には国税局の税務調査を受け、書類上でのみ支給され実際には支払われず組織内の機関にプールされていた社会実顕地参画者に対する給与[† 8]について贈与にあたると指摘され、200億円の申告漏れを理由におよそ60億円の追徴課税が課された[75]

幸福会ヤマギシ会は1998年10月、「村から街へ」をスローガンに、「中高年は20代30代の若者のために、実顕地を出て街で暮らそう」と呼びかけ、40歳以上の参画者を外部社会に送り出す方針を打ち出した[76]。さらに実顕地の中では、「子供が<学園>でやれなくなった場合、親は子供と一緒に村を出る」という不文律が布かれ[77]、離村勧告の対象となりうる矯正機関への入所者を増やす[78]など、参画者を増やすよりも減少させる動きを見せるようになった[78]。近藤衛によると、1999年に約2150名だった参画者は、2001年1月には子供を除き1700名にまで減少した[79]。こうした動きについて近藤は、集団農場の経営効率化策だと分析[80]するとともに、会が内閉期[† 9]に入ったと指摘している[82]

トラブル・事件

山岸会事件

ヤマギシ会が1958年に三重県に設立した共同体「山岸式百万羽科学工業養鶏株式会社」が、同県阿山郡伊賀町で百万羽の鶏の飼育を目的に開拓を目指したものの難航する中、構成員の知人らを「ヨウアリ、スグコイ」など真意を隠した内容の電報で呼び寄せ、1959年7月の特別講習研鑽会に参加させた事件。「家族が監禁されて講習を受けさせられている」といった訴えが数多く寄せられ、7月10日に山岸会幹部9名が三重県警に逮捕された[83]。山岸巳代蔵にも逮捕状が出たが行方をくらませた[68]。山岸会は「謎めいた思想集団」、「謎の革命集団」として報道された[84]

ヤマギシズム学園にまつわる問題

1985年、ヤマギシ会は子供が24時間の集団生活を送る私塾「ヤマギシズム学園」を設立した[85]

1994年、ヤマギシズム社会実顕地の元参画者が「ヤマギシを考える全国ネットワーク」を結成し、学園での子供に対する暴力問題を告発した[71]。これを受けて日本テレビ系列のニュース番組『NNNきょうの出来事』が問題を追及し、「包丁を突きつけられて脅される」、「風呂に連れていかれ熱湯をかけられる」、「竹刀で20回も殴られる」、「部屋に呼ばれて裸にされて殴られる」という被害者の証言を報道した[71]

広島弁護士会は広島県三次市のヤマギシズム学園花見山初等部に対して、「憲法や子どもの権利条約で保障された人権が侵害されている」として警告書を提出した。これに対し学校サイドは「子供を預かっている学校が、担任が子供たちを見ているときに、おなかがすいて輪ゴムを食べたりとか、あるいは体が悪くないのに長期に休ませるとか、放課後部活もできない、そういうことを見て、これは子供が普通じゃないんじゃないか」と、広島弁護士会の方に相談し、広島弁護士会も、「平手打ちなどの体罰、あるいは反省させる名目で数時間から数日間も狭い一室に一人で閉じ込めた。また、通学日に朝食を与えず、十八時間も食事をさせなかった、子供の手紙を無断で開封し閲覧した、無断で私物を検査し、取り上げた、家族との交流は月一回に制限され、休日も学園のスケジュールどおりで、テレビ、新聞の視聴、閲覧を制限した」と警告書を出した。同様の事例が過去に岐阜県の武並小学校でもあったと広島弁護士会はしている。岐阜では食事を抜く、雨の中裸で外へ出す、登校させない、会の中での暴力行為がある等が子供たちの様子から感じられて警告書を提出するに至ったとしている。池坊保子はこれらの問題を衆議院議員予算委員会で取り上げ、両事例において警告書が出されると当事者児童は強制的に三重県へ転校させられたと述べている[86]。池坊は、幸福会ヤマギシ会が学校法人設立の要望書を提出した際に行われた子供を対象に行った無記名のアンケートにおいて、8割が暴力を受け、したくない労働をさせられている旨回答したと指摘し、これに対し宮下創平厚生大臣は「大体御指摘のような事実が極めて高い確度で想像され」ると回答している[86]

財産返還問題

前述のように、近藤衛によると、ヤマギシズム生活実顕地の中で暮らす者は私有財産のすべてを幸福会ヤマギシ会に「無条件委任」し、実顕地の中での労働に対し賃金[† 8]が支払われることもない[5][† 5]。さらに近藤は、生活実顕地を去る者について、以下のように述べている。

もし彼らが集団農場を去ることになれば、その末路は暗い。持ち込んだ私財は返されない。仮に数千万円を委任しても、脱退時には数十万円が手渡されるのみだ。 ヤマギシ会はバラ色の理想を掲げる一方で、脱退者をほぼ無一文で外部社会へ放り出してきた。彼らは離村者が路頭に迷おうとも、どんな経済的な辛苦が待ち受けようとも、決して私財を返そうとしない。 — 中野2004近藤2003、4頁。

1995年以降、ヤマギシズム生活実顕地の元参画者が委任した財産の返還を求める裁判が起こされるようになった[87]。弁護士の松本篤周によると、幸福会ヤマギシ会は入会者に全財産を寄付させた上、退会しても一切返還に応じないの姿勢をとっており、社会問題化している[88]。松本は幸福会ヤマギシ会に入会するにあたっては全財産をヤマギシズムに渡し、退会しても返還されない旨の契約を結ぶ必要がと警告している[88]

2004年11月5日、ヤマギシ会の集落を離れた女性が入村時に放棄したとされた財産の返還を求めた裁判において、最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)は二審東京高裁判決を支持し女性側の上告を棄却した。これで女性が請求した一部の1億円の返還を命じてヤマギシ会を敗訴とした東京高裁の判決が確定した。

ドイツ

1996年、ドイツ連邦政府はすべての州と協力し、パンフレット"ドイツ連邦共和国のいわゆる若いカルトと精神異常グループ"(Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland)を作成し、当時増加傾向にある新宗教団体などをあげた。その中にヤマギシ会が掲載された。[89] ヤマギシ会は、「ヤマギシ (スピリチュアルと環境の要素を持った日本の新宗教)」 Yamagishi (Japanische Neureligion mit spirituellen und ökologischen Elementen)と紹介された。

分析

近藤衛は、アメリカの社会学者ロザベス・カンターが19世紀のアメリカで栄えたユートピア集団(シェイカー、ハーモニー、アマナ、ゾアル、ソウノウヒルなど)の特徴として挙げている「脱会しても拠出した財産を返還しない」、「親子が分離して生活する」、「プライバシーの余地がない」など100の項目のうち、およそ90%が幸福会ヤマギシ会についても当てはまると指摘し、ユートピア集団と多くの類似点がみられると述べている[90]

近藤は、幸福会ヤマギシ会を「歴史的にも類をみない特異なユートピア集団」であり[91]、そのような集団を組織できた要因は創始者である山岸巳代蔵の思想にあったと分析している[92]。山岸は、食糧増産のためにと伝授を求められた独自の養鶏技術を「真の幸福社会建設のため」秘匿し、養鶏よりも精神論を説き、精神論に耳を傾ける者にのみ若干の技術を教えた。技術を会得しようとする者は研鑽会を開き、山岸自身の難解な言葉の中から「真理」を得ようと必死になった。近藤は、「秘密」の存在をほのめかすことで山岸が人心を掌握していったのだと分析し[93]、その後も「秘密の呪縛」が組織を維持する原動力になっていると推察している[94]。さらに近藤によると、山岸の言葉には矛盾が多く、後に幸福会ヤマギシ会は山岸の言葉のうち組織運営に都合のいいものを選んで会員の<観念>を操作しようとした[95]

近藤は「ユートピア共同体が成立するには、外部社会とその集団を隔てる『境界』が高く設定されなければならない」とし[96]、1998年10月に「村から街へ」をスローガンに40歳以上の参画者を外部社会に送り出す方針を打ち出した[76]ことで幸福会ヤマギシ会と外部社会とを隔てる境界は弱められ、会のユートピア集団としての存立基盤に変動が生じる兆しが出てきたと指摘している[96]

近藤は特別講習研鑽会の中で冒頭部に「宗教に非ず」と書かれたテキストが配布された経験を明かし、「『宗教に非ず』と断ること自体、ヤマギシ会がいかに既存の主教団体と似ているかを示している」とも述べている[97]

脚注

注釈

  1. ^ フリーライターの近藤衛は、会員を「特講を受けた後、なんらかの会の活動をする人々」と定義している[4]
  2. ^ 近藤衛によると、生活実顕地の中で暮らす者は私有財産のすべてを幸福会ヤマギシ会に「無条件委任」する。また、実顕地の中での労働に対し賃金が支払われることはない[5]
  3. ^ 近藤衛は、特別講習研鑽会の受講経緯の「古典的な類型」のひとつは、幸福会ヤマギシ会の謳う「低コストで卵商売ができる養鶏技術に釣られ」、「金もうけが目的でヤマギシ会に近づき、特講を受けると熱烈なユートピアンに変幻」するパターンであるとも述べている[7]
  4. ^ 近藤衛によると、受講中は着替えや洗面用具を除き、貴重品や身分証明書を含め所持品は幸福会ヤマギシ会側に預ける(ただしタバコは許される)[15]
  5. ^ a b 近藤は脱退にあたり「世話係り」から「自分勝手に働いていたことにし、脱退後に給料を要求しない」よう求められたという(近藤2003、284頁。)。
  6. ^ 近藤衛によると、ある住人が「世話係り」に人間関係の希薄さを訴えたところ、「実顕地は他人や関係面(人間関係のこと)を観る場所ではない」と返答されたという[40]
  7. ^ 近藤衛によると、山岸巳代蔵は外部社会を「百鬼夜行の陰惨な、混濁世界」と表現した[54]。近藤自身も生活実顕地で暮らす中で外部の人間の「獣性」について語る参画者を目撃したという[54]
  8. ^ a b 建前上、参画者は農事組合法人に被雇用者である(近藤2003、287頁。)。
  9. ^ 宗教学者の島田裕巳は、幸福会ヤマギシ会が発足以降、外部社会と積極的に関わり勢力を拡大しようとする時期と、外部社会との接触を断ち内に閉じこもろうとする時期を繰り返してきたと分析している[81]

出典

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  89. ^ Bundestags-Drucksache 13/4132: Antwort der Bundesregierung auf die Kleine Anfrage Drucksache 13/3712 (1.Welche Gruppierungen zählt die Bundesregierung zu den sog. Jugendsekten oder Psychogruppen, und welche dieser Gruppierungen treten z.Z. verstärkt in Deutschland in Erscheinung?) AGPF(Aktion für Geistige und Psychische Freiheit; 精神的・心理的自由のためのアクション) 1996年3月15日 2009-9-19閲覧 "ドイツ連邦政府はすべての州と協力し、パンフレット"ドイツ連邦共和国のいわゆる若いカルトと精神異常グループ"(Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland)を作成した。以下のグループ、団体を含む:"(Die Bundesregierung hat in Kooperation mit allen Bundesländern den Entwurf einer Informationsbroschüre »Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland« erarbeitet, in den u. a. die nachfolgenden Gruppierungen und Organisationen aufgenommen wurden:)
  90. ^ 近藤2003、42-43頁。
  91. ^ 近藤2003、41頁。
  92. ^ 近藤2003、43頁。
  93. ^ 近藤2003、47-52頁。
  94. ^ 近藤2003、223-226頁。
  95. ^ 近藤2003、275-277頁。
  96. ^ a b 近藤2003、264頁。
  97. ^ 近藤2003、38-39頁。

参考文献

  • 黒田宣代 『ヤマギシ会と家族 近代化・共同体・現代日本文化』 ISBN 4905849438
  • 近藤衛『ヤマギシ会見聞録』行路社、2003年。ISBN 978-4-87534-729-3 

関連項目

外部リンク