松山市立新玉小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松山市立新玉小学校
地図北緯33度50分12秒 東経132度45分14秒 / 北緯33.836667度 東経132.753917度 / 33.836667; 132.753917座標: 北緯33度50分12秒 東経132度45分14秒 / 北緯33.836667度 東経132.753917度 / 33.836667; 132.753917
過去の名称 松山第五尋常小学校
松山市新玉尋常小学校
松山市新玉国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 松山市
設立年月日 1911年4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B138220100059 ウィキデータを編集
所在地 790-0011
愛媛県松山市千舟町八丁目89
外部リンク

公式サイト

2017/12/07現在の新玉公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

松山市立新玉小学校(まつやましりつ あらたましょうがっこう)は、愛媛県松山市にある公立小学校である。

概要[編集]

松山市中心部の西南に位置し、東西約2km(千舟町〜生石町)、南北約1km(味酒町〜湊町)を校区としている。校区のほぼ中央にJR四国松山駅があり、予讃線が南北に伸びている。また、伊予鉄道高浜線の大手町駅もあり、校区の東側は交通の便が良い。また、松山市総合コミュニティセンターをはじめ、松山総合公園などの文化施設も充実している。

規模[編集]

  • 児童数:540名
  • 学級数:16

(令和3年度)

教育方針[編集]

  • 考える子・やさしい子・たくましい子

服装[編集]

標準服が存在する。但し、市内の他の小学校で採用している標準服とはデザインが異なる。

沿革[編集]

  • 1874年(明治7年)12月 - 愛媛県温泉郡朝美村で、朝日尋常小学校(のちに新玉小学校に合併)が設置される。
  • 1911年(明治44年)4月 - 第一尋常小学校、第二尋常小学校の児童を分け、松山市新玉町(現在の千舟町7丁目)に、第五尋常小学校として創設される。
  • 1926年(大正15年) - 温泉郡朝美村は、松山市に合併される。
  • 1927年(昭和2年) - 朝日尋常小学校を第五尋常小学校仮校舎とする。
  • 1929年(昭和4年)4月 - 新玉尋常小学校に改称。朝日仮校舎を廃止し統合。
  • 1935年(昭和10年) - 松山市議会で校舎の新築移転(現在地への移転)が決議。
  • 1938年(昭和13年)10月 - 松山市八代町(現在の千舟町8丁目)に新校舎落成。
  • 1939年(昭和14年)4月 - 松山市新玉青年学校を新設。同時に女子青年学校を移設。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 松山市新玉国民学校に改称。
  • 1945年(昭和20年)7月 - 松山空襲。校舎全焼。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 松山市立新玉小学校に改称。
  • 1948年(昭和23年)11月 - 南校舎落成。
  • 1950年(昭和25年)3月 - 北校舎落成。
  • 1954年(昭和29年)8月 - プール(縦20m、横10m)竣工。
  • 1955年(昭和30年)8月 - 特別教室、給食室、保健室、宿直室を増築。
  • 1960年(昭和35年)10月 - 西校舎(鉄筋)落成。50周年式典開催。
  • 1960年(昭和35年)11月 - 現在の校歌を制定。
  • 1962年(昭和37年)3月 - 木造講堂を改築し、鉄筋体育館を落成。
  • 1962年(昭和37年)10月 - 第13回全国学校図書館研究大会を開催。
  • 1965年(昭和40年)6月 - 交通公園、完成。
  • 1967年(昭和42年)7月 - プール(25m)を移築。
  • 1974年(昭和49年)3月 - 木造北校舎を取壊し、鉄筋4階建本館校舎を新築。
  • 1975年(昭和50年)3月 - 木造南校舎を取壊し、鉄筋4階建東校舎を本館に増築。
  • 1985年(昭和60年)3月 - 図書館、体育館、給食室を改築。新玉共同調理場を新設。

アクセス[編集]

ゆかりの偉人[編集]

  • 下村為山 - 俳人。校区内(三番町6丁目)に生まれる。
  • 船田ミサヲ - 済美高校の創設者。新玉小学校南に校舎を新設し、済美女学院を開校する。
  • 森茂雄 - 阪神タイガース初代監督。第五尋常小学校卒業。
  • 景浦将 - 阪神タイガース強打者。野球殿堂入り。第五尋常小学校卒業。
  • らくさぶろう - タレント

関連項目[編集]