中部横貫公路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東西横貫公路から転送)
台湾省道
中部横貫公路
東西横貫公路
省道台8線
一般省道(横貫公路)
地図
路線延長 本線開通時 192.782 km
現道 本線 187.797 km
開通年 1960年
起点 台中市東勢区東勢大橋中国語版東詰)
終点 花蓮県新城郷太魯閣大橋中国語版南詰)
接続する
主な道路
記法
省道台3線
省道台9線
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路

中部横貫公路(ちゅうぶおうかんこうろ〈チョンブ ヘンクアン コンルー〉)あるいは東西横貫公路[1](トンシー ヘンクアン コンルー)は、台湾の中央部を東西に横断する幹線道路である。一般には中横公路: 中橫公路〈チョンヘン コンルー〉)と呼ばれる。北部横貫公路(北横公路)、南部横貫公路(南横公路)とともに台湾三大横貫公路となる最初の公道(公路)であり、1960年5月9日に全線開通し、開通後は省道台8線の呼称が定着している。

1999年9月21日大地震の災害により、谷関から徳基までの区間が長期通行止めとなり、2004年の台風7号により再び崩壊した。その後、迂回路が通され、整備されるとともに、本線の復旧工事が進められている[2][3]

概要[編集]

東勢(1990年)
谷関(2011年)

台中市東勢区東勢大橋中国語版を起点として、谷関: 谷關)・徳基: 德基)・梨山大禹嶺関原: 關原)・天祥中国語版太魯閣を経て花蓮県新城郷につながる省道である。前身は日本統治時代理蕃政策のなかで1914年に設けられた理蕃道路にさかのぼる[4]。中部横貫公路の建設は1956年7月7日に開始され、1960年5月9日に開通した。

路線[編集]

中部横貫公路は、台湾の西海岸と東海岸を隔てる中央山脈を貫き、平地から標高3000メートルを超える合歓山までの変化に富む地形に、トンネルが掘られ、渓谷を開削するなどして通され、途中、1986年に指定された太魯閣国家公園も通過する[5]省道台8線がこの路線系統の本線であり、支線に宜蘭支線(台7甲線)と霧社支線(台14甲線)の2本がある。

本線[編集]

大禹嶺「合歓山隧道」(東口)標高2565m[6]
太魯閣峡(九曲洞)

本線の西側の起点は、台中の北東約26.3キロメートルの東勢[7]大甲渓沿いに白冷、谷関、青山中国語版、徳基、梨山、大禹嶺まで登坂が続き、その後、関原を経て、天祥より立霧渓沿いに太魯閣峡(九曲洞 - 燕子口)、太魯閣(太魯閣牌楼中国語版)に至り[1]花蓮につながる。太魯閣から南の花蓮までは約26キロメートル (26.3km) となる[8]。本線の開通時の全長は192.782キロメートルであったが[9]省道台8線として188.361キロメートルとされた後、路線調整により、2019年民国108年)時点で187.797キロメートルとされる[10]

東勢(トンシー) - 33.8km - 谷関温泉(クークアン ウェンチュエン、標高約800m) - 27.7km - 徳基水庫(トーチー シュイクー〈徳基ダム[11][12]、標高1411m[13]〉) - 20km - 梨山(リーシャン、標高約2000m) - 30.3m - 大禹嶺(ターユィリン、標高2565m) - 4.9km[14] - 関原(クァンユェン、標高2374m[14]) - 52.7km - 天祥(ティエンシアン、標高約450m) - 18.9km - 太魯閣(タールーコー)[15]- 新城(シンチョン)。

支線[編集]

中部横貫公路には支線として、宜蘭支線と霧社支線がある。宜蘭支線は台7甲線の全長74.217キロメートルで、梨山より分岐して北上し、中央山脈にある武陵農場中国語版付近を経て北部横貫公路台7線につながり、宜蘭に向かう[2]。梨山から宜蘭までは111.67キロメートルとなる[16]

霧社支線は全長43キロメートル[17] (43.2km[18])、現在の台14甲線の全長41.719キロメートルで[2]、大禹嶺より武嶺中国語版(標高3275m)、昆陽中国語版、そして清境農場中国語版を経て霧社につながり、台14線と接続する。

歴史[編集]

横貫公路の歴史は、日本統治時代の五箇年理蕃計画中国語版により、1914年の太魯閣戦争中国語版(太魯閣戦役[19])の進攻に際して[20]道路を開削したことに始まる[21]。その後、太魯閣族(タロコ族[22])や賽徳克族(セデック族[23])に対する理蕃道路として[24]1933-1935年、霧社より合歓山を経て、天祥、太魯閣、花蓮を結ぶ「合歓越嶺道路」(合歓越嶺古道)[25]全長約105キロメートルが建設された[24]

霧社から合歓埡口(大禹嶺)までの経路は、現在の霧社支線(台14甲線)に該当し、合歓埡口から太魯閣に向かう経路は、中部横貫公路本線の大禹嶺からの東部区間にあたる。また、中部横貫公路の西部区間の大部分は、1922年に建設された梨山から西に向かう「大甲渓警備道路[25]」(大甲渓古道)全長約62キロメートルと重なる[26]

1937年日中戦争が勃発すると、資源を補うために1940年、立霧渓の水力発電の設営に太魯閣族の狩猟や連絡の小道を開削・拡張した[27][28]。東勢 - 明治(谷関)間は1943年より1945年にかけて補修され、明治 - 達見(徳基)間は1943年に着工、翌1944年に完成している[29]。また、金の採鉱による太魯閣の産金道路の建設に掘削を進め[30]自動車道の一部が合流点まで完成した後、1945年8月に終戦となる[17]

開通[編集]

太魯閣牌楼中国語版

戦後、退役軍人の収容とともに東部の発展促進と山地資源の開発のため東西を結ぶ横貫公路の建設が提起され[31]1955年(民国44年)に「横貫公路開発委員会」が開設された[17]。同年のうちに調査隊が編成され[31]、翌1956年(民国45年)7月初旬に全線の測量が完了すると[17]、同7月7日、横貫公路の建設に着手した[31]。工事は、退役軍人を主力に1万人を超える(約1万1900人[32])人力を要した一大事業であった[17]

建設中、自然災害などの人身事故により殉職した212名[31]を弔うため、1958年(民国47年)、長春祠中国語版が建立された[33]。完成までに225名(226名[5])が亡くなるなか、1960年(民国49年)4月29日に建設が完了し[9]、翌5月9日、3年9か月18日を経て[2]、台湾初の横貫公路が正式に開通した[32][34]

観光バス転落事故中国語版
1986年(民国75年)10月8日、中部横貫公路の谷関において、観光バスが大型トラックとの衝突により渓谷に転落し、42名が死亡、3名が負傷する大事故が発生し、台湾の観光バス事故のうち最大の死者数となる[35][36]

災害[編集]

中部横貫公路の建設以来、豪雨による地すべりが知られるが[37]、1999年(民国88年)9月21日に発生した921大地震の甚大な被害により[38]、谷関 - 徳基の区間が遮断され[1]、さらに2004年(民国93年)の台風7号(蒲公英、ミンドゥル)の影響で修復区間が再び崩壊し[39][40]、梨山に至る谷関(上谷関)から徳基までが長期通行止めとなった[41][42]

2011年(民国100年)[43]、梨山の住民や現地就労者らの通行のための迂回路が設けられ、その後「中横便道」(台8臨37線)として整備されていった[2]。一般車両は通行禁止であったが、2018年(民国107年)11月16日には、台8臨37線を利用したバスの正規運行が開始された[44]。それに伴い、迂回路として武嶺を越える霧社支線を通り、台中の豊原と梨山を結んだ長距離バスは廃止された[45]

交通部公路総局は、台8臨37線の安全性の向上ならびに本線の谷関・梨山間の回復を推進するとともに、2023年(民国112年)、脆弱な区間の路線強化を策定し、国家発展委員会に提出した[46]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 陳進發、錢伯冠、黃金巨、吳瑞龍. “921集集大地震 - 中橫公路谷關 - 德基段 搶修及復建規畫專題報告”. 臺灣公路工程・交通部公路局. 2014年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e 鑿穿中央山脈的 - 條路 - 東西橫貫公路”. 中央通訊社 國家文化記憶計畫. 遷臺黄金十年. 文化部 (2019年8月7日). 2023年6月18日閲覧。
  3. ^ 2023年1月工事による交通規制のお知らせ - 台8線中横公路、台九線。”. 太魯閣國家公園. お知らせ (2022年12月29日). 2023年6月25日閲覧。
  4. ^ 蘇花道今昔”. 太魯閣國家公園 (2020年9月4日). 2023年6月25日閲覧。
  5. ^ a b 台湾の絶景 太魯閣渓谷を行く」『CNN』CNN.co.jp、2016年8月7日、1-2面。2023年6月25日閲覧。
  6. ^ 大禹嶺”. 太魯閣國家公園. 観光スポット (2021年10月17日). 2023年6月25日閲覧。
  7. ^ 日本交通公社 (1989)、260頁
  8. ^ 日本交通公社 (1989)、263・375頁
  9. ^ a b 關興橋、慈航橋、慈恩橋、陽明橋”. safetaiwan.tw. 2020年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月25日閲覧。
  10. ^ 行政院公告: 院臺交字第1080005110A號”. 行政院公報資訊網. 行政院 (2018年2月19日). 2021年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月25日閲覧。
  11. ^ “徳基ダム”, 工事実績 (華熊営造股份有限公司), (2007), http://www.taiwankumagai.com.tw/ezportal/homeweb_en/catalog_detail.php?infoscatid=20&ifid=183 2023年7月14日閲覧。 
  12. ^ 曾輿婷「台湾中部に恵みの雨! 徳基ダム、2日間で水位6.8メートル上昇」『中央廣播電臺』、2021年6月1日。2023年6月25日閲覧。
  13. ^ 鄭昌奇 (2009年9月24日). “德基水庫”. 臺灣大百科全書. 文化部. 2023年7月9日閲覧。
  14. ^ a b 関原”. 太魯閣國家公園. 観光スポット (2021年10月17日). 2023年6月25日閲覧。
  15. ^ 日本交通公社 (1989)、260-263・364・374-375・377頁
  16. ^ 日本交通公社 (1989)、263頁
  17. ^ a b c d e 山徑百年”. 太魯閣國家公園 (2020年9月4日). 2023年6月18日閲覧。
  18. ^ 日本交通公社 (1989)、262-263頁
  19. ^ 莊天賜. “太魯閣戰役的總頭目 - 哈鹿閣納威” (PDF). 臺灣學通訊 (國立臺灣圖書館) 82: 12-13. ISSN 1999-1851. https://www.ntl.edu.tw/public/Attachment/4711954428.pdf 2023年6月25日閲覧。. 
  20. ^ 文化と史跡”. 太魯閣國家公園 (2021年10月27日). 2023年6月25日閲覧。
  21. ^ 前 (2007)、3-4頁
  22. ^ タロコ(太魯閣族)”. 台湾原住民族との交流会. FTIP. 2023年6月25日閲覧。
  23. ^ セデック(賽徳克族)”. 台湾原住民族との交流会. FTIP. 2023年6月25日閲覧。
  24. ^ a b 合歡越嶺古道”. 尋路.循路 臺灣原住民族古道空間資訊網. 古道探尋. 原住民族委員會原住民族文化發展中心 (2021年). 2023年6月25日閲覧。
  25. ^ a b 鄭安睎. “從探險到築路: 側記合歡越嶺道路的開鑿” (PDF). 臺灣學通訊 (國立臺灣圖書館) 82: 20-21. ISSN 1999-1851. https://www.ntl.edu.tw/public/Attachment/47119555539.pdf 2023年6月25日閲覧。. 
  26. ^ 大甲溪古道”. 尋路.循路 臺灣原住民族古道空間資訊網. 古道探尋. 原住民族委員會原住民族文化發展中心 (2021年). 2023年6月18日閲覧。
  27. ^ 歴史文化探索の旅”. 太魯閣國家公園 (2021年10月27日). 2023年6月25日閲覧。
  28. ^ 神秘的砂卡礑”. 臺灣國家公園 數位典藏主題網. 太魯閣國家公園. 內政部營建署. 2023年6月25日閲覧。
  29. ^ 林 (1997)、42頁
  30. ^ 太魯閣產金道路最難關工事難以用言語形容的大斷崖-錐麓間1.7公里由吉村組開鑿”. 國家文化記憶庫. 找素材. 文化部. 2023年6月25日閲覧。
  31. ^ a b c d 檔案瑰寶: 鬼斧神工的中橫公路”. 檔案樂活情報. 國家發展委員會檔案管理局 (2016年3月16日). 2023年6月25日閲覧。
  32. ^ a b “1960年5月9日中橫通車! 台灣首條東西部公路系統就此貫通!”. 中央廣播電臺. 民報. (2019年5月9日). https://www.rti.org.tw/news/view/id/2020204 2023年6月25日閲覧。 
  33. ^ 長春祠”. 太魯閣國家公園. 観光スポット (2021年10月17日). 2023年6月25日閲覧。
  34. ^ 典藏中橫的故事,向老工程司致敬,公路總局守護中橫用路安全”. 交通安全入口網. 交通新聞. 交通部道路交通安全督導委員會 (2020年5月15日). 2023年6月25日閲覧。
  35. ^ “【國五翻車33死】30年前遊覽車在谷關墜河42死、3傷 台灣最嚴重公路事故”. 上報. (2017年2月14日). https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=24&SerialNo=12160 2023年6月25日閲覧。 
  36. ^ “蘇花公路遊覽車撞山壁重大事故 勾起多件傷心往事”. 今日新聞. 中央社. (2021年3月17日). https://www.nownews.com/news/5213745 2023年6月25日閲覧。 
  37. ^ 宜保清一、陳信雄、江頭和彦、林義隆、周亜明「台湾, 中部横貫公路地すべり土の残留および回復強度特性」『地すべり』第34巻第2号、日本地すべり学会、1997年、50-56頁、doi:10.3313/jls1964.34.2_50ISSN 0285-29262024年3月14日閲覧 
  38. ^ 李永展. “中橫的神話 該落幕了”. 環境資訊中心. 2023年6月25日閲覧。
  39. ^ 陳淑娥 (2019年9月19日). “中橫斷路20年 修復或休養拉鋸中”. 工商時報. https://ctee.com.tw/livenews/ch/chinatimes/20190919002247-260405 2023年6月25日閲覧。 
  40. ^ 王文吉 (2020年10月14日). “中橫復建省道拋三方案 梨山人支持長隧道”. 中時新聞網. オリジナルの2023年3月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230507065740/https://www.chinatimes.com/realtimenews/20201014003448-260421 2023年6月25日閲覧。 
  41. ^ 張明慧 (2010年2月7日). “上谷關德基段 梨山人可通行”. 聯合新聞網 地方新聞. オリジナルの2010年2月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100211000538/http://udn.com/NEWS/DOMESTIC/DOM4/5412606.shtml 2023年6月25日閲覧。 
  42. ^ 張明慧 (2010年1月31日). “中橫搶通喊卡 梨山決議抗爭”. 洪水管理監視同盟. 2014年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月25日閲覧。
  43. ^ 陳秋雲 (2011年10月31日). “久違了! 中橫公路「有條件」悄悄通車”. 聯合新聞網 國内要聞. オリジナルの2011年11月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111101181921/http://udn.com/NEWS/NATIONAL/NATS5/6686198.shtml 2023年6月25日閲覧。 
  44. ^ 洪敬浤 (2018年11月16日). “中橫公車通車 上梨山只要1.5小時、最多60元”. 聯合新聞網. オリジナルの2019年4月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181120135959/https://udn.com/news/story/7325/3483859 2023年6月25日閲覧。 
  45. ^ 豊原客運6506路線、標高3,275mを走る迂回ルート廃止」『Taiwan Today』、2018年11月8日。2023年8月23日閲覧。
  46. ^ 楊丞彧 (2023年4月1日). “中斷近24年! 中橫復建更近一步 已送國發會審查”. 自由時報. https://news.ltn.com.tw/news/life/breakingnews/4257997 2023年6月25日閲覧。 

参考文献[編集]

関連資料[編集]

関連項目[編集]