東村 (群馬県)

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  1. 吾妻・東村 (あづま むら)
  2. 佐波・東村 (あずま むら)
  3. 勢多・東村 (あずま むら)

この項目では、群馬県にかつて複数の東村(あずまむら、あづまむら)が存在していたことについて記述する。

ひとつの県に同名の市町村があることは珍しいことだが、群馬県では1889年町村制施行に伴い、5ヶ所の「東村」が新設された。群馬・利根の2郡にあった東村は1950年代昭和の大合併によって廃止されたが、佐波・勢多・吾妻の3郡にあった東村は2005-2006年の平成の大合併で廃止されるまで存続していた。多数の東村が設立されたのは、ヤマトタケルが東征の帰路で「アズマハヤ(わが妻よ)」と亡き妻を偲んだ伝説に由来すると考えられている[1][2]

混同を避けるため、群馬県内では「勢多東」のように郡名を添えて区別していた[1]。勢多郡東村(現みどり市)の富弘美術館を訪れようとした観光客が、誤って吾妻郡東村(現東吾妻町)に来てしまうということもあった[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 日本博学倶楽部 (2008). 意外と知らない日本地図の秘密. PHP研究所. pp. 34-37. ISBN 978-4569670218 
  2. ^ a b “地図から消える群馬名物「東村」、平成の大合併で”. 読売新聞. (2006年3月4日)