心合寺山古墳

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心合寺山古墳
Shionjiyama-Kohun001.JPG
心合寺山古墳(「市立しおんじやま古墳学習館」のあるあたりから撮影)
位置 北緯34度38分20.9秒
東経135度38分27.15秒
所在地 大阪府八尾市大竹
形状 前方後円墳
規模 全長160m
後円部高さ13m
築造年代 5世紀初頭
被葬者 周辺の豪族か?
出土品 埴輪、き鳳鏡、甲冑など
史跡指定 1966年昭和41年)国指定
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心合寺山古墳に並べられた円筒埴輪

心合寺山古墳 (しおんじやまこふん)は、大阪府八尾市大竹にある古墳。墳丘部分は南北に全長約160mあり、八尾市はもちろん、中河内地域を代表する大規模な前方後円墳である。

概要[編集]

全長約160メートルの規模を有する。後円部の直径が約92メートル・高さ約13メートル、前方部の幅が約90メートル・高さ約12メートルの前方後円墳である。前方部が南方、後円部が北方にあり、墳丘は三段築成となっている。 また、生駒山地の麓に等高線に沿うように築かれて、周濠は南側と北側の2か所で堤を造って区切られているため、その東西で水位の異なる珍しいつくりとなっている。

近年、史跡公園として整備され、墳丘の平坦部には円筒埴輪(レプリカ)が並べて立てられている。復元整備にあたって、後円部中腹にある2本のキリの大木を保存する案と伐採する案があったが、結局残すことになった。 これまでの発掘調査で出土した副葬品等は、古墳の脇にある「八尾市立しおんじやま古墳学習館」で展示されている。

なお、心合寺山古墳出土の「囲形埴輪」に類似した構造の跡が奈良県御所市秋津遺跡より発見され、注目されている。

歴史[編集]

  • 古墳時代の中期、5世紀初め頃に作られたといわれる。当時このあたりを支配していた豪族の墓と考えられている。
  • 飛鳥時代、この古墳の西側に心合寺(しんごうじ)とよばれる寺院ができた。この古墳の名の由来といわれる。しかし、この寺はいつしか無くなり、また、名前の言い回しも訛ってしまい、「しおんじ」になってしまったと考えられている。
  • 墳丘は現在までほぼ原形をとどめていた。1966年(昭和41年)2月25日に 国指定史跡 に指定された。
  • 1993年(平成5年)から「史跡整備事業」に伴う本格的な発掘調査を開始。2003年までにかけて10次にわたって実施。
  • 2001年(平成13年)から2005年(平成17年)にかけて整備工事をおこなった。

発掘調査でわかったこと[編集]

  • 墳丘各段の平坦部に約3,000本の円筒埴輪が並べられていた。並べ方には規則性があり、円筒埴輪、器財埴輪、形象埴輪を規則正しく組み合わせて並べられていた。
  • 墳丘部の斜めになった部分は全面に葺石が葺かれていた。
  • 前方部墳頂部の中央に「方形壇」と呼ばれる施設が確認された。その下に埋葬施設1基があった。
  • 後円部墳頂部に長さの異なる粘土槨の埋葬施設3基があり、そのうち西側の「西槨」で木棺が確認された。周囲から、夔鳳(きほう)鏡、甲冑大刀鉄剣などのさまざまな副葬品が発掘された。
  • 西側のくびれ部には「造り出し」と呼ばれる方壇状の部分があり、さまざまな埴輪が置かれていたと考えられている。

交通アクセス[編集]

公共交通機関
自家用車
  • 国道170号(旧道)水越東交差点 と 楽音寺交差点の間の辻(メガネ屋がある)を東へすぐ。隣接の八尾市立しおんじやま古墳学習館に有料駐車場あり。


参考資料[編集]

  • 八尾の文化財「国指定史跡 心合寺山古墳」 (八尾市刊行物番号 H16-119)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]