帯刀舎人

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帯刀舎人(たちはきのとねり)は、律令制で定められた武官春宮坊舎人監に監察される雑務職員である東宮舎人から選ばれ、武器を帯びて警護の任務に当たった下級官人を指す。要するに皇太子護衛者である。略して帯刀(たちはき)とも言う。遅くとも12世紀末までには、俗に「たてわき」とも訓まれた(『色葉字類抄』)。

概要[編集]

奈良時代末の宝亀7年(776年)に、皇太子山部親王(後の桓武天皇)のために10人が置かれたのがその始まりである。その後、大同元年(806年)5月27日に10人、さらに天安元年(857年)5月8日に10人が追加され、計30人になった(『享禄本類聚三代格[1])。

蔭子孫(おんしそん、皇親・五世王の子か孫・貴族(五位以上の人物)の子か孫)もしくは位子(いし、六位から内八位までの下級官人の嫡子)らのうち、帯刀試(たちはきのこころみ)という武芸試験を合格したものが採用された[2]。武芸の腕前は弓術によって評価され、試験には騎射(うまゆみ)と歩射(かちゆみ)があった[3]。採用後、騎射(弓騎兵部隊)と、歩射(弓歩兵部隊)の二部隊に分かれ、それぞれに上官である長(おさ)1人・部領(ことり)2人・副部領(わきことり)が存在したが、後には長が全体で1人となり、騎射・歩射の両方の帯刀を統括することが多かった。

本来は東宮舎人の一種であるから、形式的には春宮坊三監のひとつ舎人監(とねりげん)に監察されるはずだが、舎人監そのものは延喜年間(901–923年)以降に自然消滅した[4]。そのため、実質的には、皇太子(院政期には上皇)に直属する近衛兵である。帯刀舎人に対する禄(官人への給与)は、春夏・秋冬の年二回、春宮坊の予算から出た[2]

平安時代初期には、皇太子近衛の軍事力として目覚ましく活躍した[2]摂関期(10世紀後半から11世紀後半)になって、皇太子の権力が衰えると、帯刀もまた存在感を減らした[2]。しかし、院政期(11世紀後半から12世紀末)には、治天の君である上皇が在地武士に帯刀の身分を与えることで、院の戦力に組み込まれ、一時的に重要度が増した[2]。その後、朝廷の実力が衰退するにつれ、再び名誉職化した。戦国時代から江戸時代には、正式に帯刀舎人の官職を持たない者でも、通称として勝手に「帯刀(たてわき)」と名乗ることがしばしば行われた(百官名)。

かつては源氏平氏の重代の武士が任じられることが多かった(『職原抄』下[5])。たとえば、康和5年(1103年)10月21日には、河内源氏四代目棟梁の源義忠が帯刀長に任じられていて、歩射の試験を受ける人物のリストに入っている[3](なお、長であるはずの義忠が試験を当日欠席しているので、試験は有名無実化していたらしい)。

帯刀は雑務役にすぎない舎人の一種であるから、官位相当は特に無い。副官である部領(ことり)が、衛門府の尉(大尉:従六位下相当、少尉:正七位上)を兼ねた場合の別名を指定されているから、おおよそこのランクと同等と見なされたようである。しかし、皇室の側近であることからか、帯刀の官職を得た場合は、より位階が高い官職よりも通称として好まれる場合があった。たとえば、細川直俊民部少輔従五位下相当)でもあるが「細川帯刀先生」と呼ばれ、楠木正行は河内守(従五位上相当)でもあるが「楠木帯刀」と呼ばれている。

職員[編集]

長(おさ)
帯刀舎人の隊長。正式な官職名は帯刀長(たちはきのおさ)だが、帯刀先生(たちはきのせんじょう)あるいは単に先生(せんじょう)という別名も用いられる[2]。本来は定員2名だが、興国元年/暦応3年(1340年)の頃には1名のみが任じられることが多かった(北畠親房職原抄』下[5])。
部領(ことり)
(弓騎兵部隊の)副隊長。俗に「籠取」「木取」「小鳥」「木鳥」とも書く。定員は左と右の計2名。左衛門尉と兼ねた場合は左部領(左木鳥)、右衛門尉と兼ねた場合は右部領(右木鳥)と呼ばれた(『標註職原抄[5])。
歩射部領(かちことり)
弓歩兵部隊の副隊長。同じく左と右の2人がいた(『山槐記[6])。
副部領(わきことり)
(弓騎兵部隊の)副々隊長[2]。俗に「腋小鳥」「籠取腋」とも書く[2]。略して「副(わき)」(あるいは腋)とも呼ばれる(「腋」は「掖」とも書かれる)。
歩射副部領(かちわきことり)
弓歩兵部隊の副々隊長。略して「歩射副(かちわき)」(あるいは歩射腋)とも呼ばれる[7]
三番(みつがい)
騎射(弓騎兵)を務める平隊員[2]。「三結」とも書く[2]
連(つれ)
歩射(弓歩兵)を務める平隊員[2]。部領を含めて定数は20名(『職原抄』下[5])。

主な任官者一覧[編集]

平安時代

鎌倉時代

建武政権

南北朝時代

戦国時代

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]