山際認

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山際認
生誕 1951年
三重県
国籍 日本の旗 日本
出身校 大阪工業大学
職業 建築家
所属 I.M.A.都市建築研究所

山際 認(やまぎわ みとむ、1951年 - )は、日本の建築家一級建築士)。大阪工業大学建築学科卒業後、カナダ トロントに渡り、日系人建築家のアトリエなどで研修をした。帰国後は、西原清之(建築家、都市計画家)の西原研究所(Nishihara Planning Systems Inc.)に入社、建築意匠設計を担当した。1983年にI.M.A.都市建築研究所を開設。

略歴[編集]

  • 1951年 三重県志摩郡(現志摩市)大王町に生まれる。
  • 1973年 大阪工業大学建築学科 卒業
  • 1975年~1983年 株式会社西原研究所(意匠設計チーフデザイナー)
  • 1983年 I.M.A.都市建築研究所 開設
  • 1985年 株式会社I.M.A.都市建築研究所 設立 代表取締役

主な作品[編集]

  • 1980年 横手平鹿広域圏民体育館・横手市就業改善センター(現横手市横手体育館)/秋田県横手市(西原研究所)[1]
  • 1981年 横手市立朝倉小学校/秋田県横手市「日本建築学会東北建築作品賞 受賞」(西原研究所)[2]
  • 1982年 習志野市秋津球場習志野市秋津サッカー場(秋津総合運動公園内)/千葉県習志野市(西原研究所)
  • 1988年 PAUME VILLE 集合住宅/東京都練馬区 [3]
  • 1988年 竜王バスインフォメーションセンター/長野県山ノ内町
  • 1989年 新宿光ビル/東京都新宿区 [3]
  • 1991年 喜久本プラザビル/神奈川県茅ケ崎市 [3]
  • 1992年 The Vanguard 元麻布ビル/東京都港区 [3]
  • 1992年 TESTAビル/東京都新宿区 [3]
  • 1992年 第21荒井ビル/東京都渋谷区 [3][4]
  • 1992年 SOLD OUT ビル/東京都目黒区 [3]
  • 1993年 MECENATビル/東京都台東区「台東区建築景観賞 受賞」[4]
  • 2003年 大光山善立寺/東京都足立区 [4][5]
  • 2007年 鶴見集合住宅/神奈川県横浜市 [6]
  • 2015年 Quartz Tower ビル/東京都渋谷区 [4][7]
  • 2021年 銀座梅林ビル/東京都中央区
  • 2022年 戸山公園サービスセンター/東京都新宿区 [8]

都市計画への取り組み[編集]

2000年に入って、中国の建築家の招きを受けたのをきっかけに都市計画にも取り組むようになった。その当時中国は著しい高度経済成長を遂げ始めたころで、将来を見据えた大規模な都市整備が急務であった。そこで各省政府は、欧米の建築家を招聘し設計競技を行うようになった。彼もまたそこに参加し、多くの計画案を出し入選している。さらに浙江省杭州市では、伝統的民家群の政府調査研究チームにも加わっている。[5][6]

主な都市計画等[編集]

  • 2001年 楽清市市庁舎および中心区整備計画(浙江省楽清市[4][5]
  • 2001年 温州市電信局計画(浙江省温州市[6]
  • 2001年 楽清市教育地区計画(浙江省楽清市)[5]
  • 2002年 西安市紫薇田園都市居住区整備計画(陝西省西安市[4]
  • 2003年 北京市平谷文化体育中心計画(北京市[6]
  • 2004年 蘇州市世界遺産研究教育中心計画(江蘇省蘇州市[6]
  • 2004年 蘇州市水族館計画(江蘇省蘇州市)[6]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 『新建築55(7)』新建築社、1980年7月。ISSN 1342-5447 
  • 『日経アーキテクチュア』日経BP、1982年9月13日。ISSN 0385-0870 
  • 『建築ジャーナル(828)』建築ジャーナル、1993年2月。ISSN 1343-3849 
  • 登録建築家日本建築家協会http://www.the-japan-institute-of-architects.com/2022年11月5日閲覧 
  • 『「現代日本の建築家 2」優秀建築選2006』日本建築家協会、2007年6月。ISBN 978-4-903378-03-9 
  • 『建築ジャーナル(1120)』建築ジャーナル、2007年4月。ISSN 1343-3849 
  • 『商店建築61(6)762』商店建築社、2016年6月。 
  • 公園へ行こう!東京都公園協会https://www.tokyo-park.or.jp/2022年11月5日閲覧 

外部リンク[編集]