山下勝

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山下 勝 Portal:陸上競技
選手情報
国籍 日本の旗 日本
競技 長距離走
種目 1500m・5000m・10000m
大学 専修大学
生年月日 1917年8月17日
出身地 福島県白河市
没年月日 1942年
死没地 中華民国河北省
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山下 勝(やました まさる、1917年8月17日 - 1942年)は、日本の陸上競技選手。 日中戦争の影響で中止となった1940年東京オリンピックの選手団に選出されていた。

来歴[編集]

福島県立白河高等学校で陸上競技を始め、1935年にインターハイの1500mで3位に入賞するなど活躍。

1936年専修大学に進学。1939年箱根駅伝(20回大会)に出場し、当時のエース区間であった3区で区間賞を獲得し、同校の箱根駅伝初優勝に貢献した[1]

1940年東亜競技大会の5000mにおいて、1936年ベルリンオリンピックで4位入賞を果たした村社講平を破り優勝。また、同年、日本陸上競技選手権大会の5000mと10000mで優勝。10000mでは、村社講平の7連覇を阻み優勝したことで、一躍脚光を浴びた[2]

1940年東京オリンピックの選手団にも選出されていたが、盧溝橋事件を発端に日中関係が悪化。日本への非難が高まり、東京オリンピック出場をボイコットする動きが各国で噴出。政府は、東京市に対して開催権を返上するよう命じ、オリンピックは幻となった。

専修大学卒業後、NHKに入社するものの、招集に応じ、陸軍に入隊。中国戦線に送られるが、1942中華民国河北省にて戦死。享年24歳の若さであった。

エピソード[編集]

  • 2008年に、NHK-BSで「幻の祝祭〜1940東京五輪物語〜」が放送され、山下選手の物語が全国に知れることになった

脚注[編集]

  1. ^ 歴史コラム専大生と専修人 幻のオリンピック選手 山下勝”. 専修大学 (2021年3月30日). 2023年9月13日閲覧。
  2. ^ オンライン特別展示「専大スポーツの軌跡」”. 専修大学 (2021年11月). 2023年9月13日閲覧。

関連項目[編集]