女体化
女体化(にょたいか)は、男性が突然、女性の体になる架空の現象のこと。やおいをはじめとする二次創作で使われる用語の1つ。
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[編集] やおい系二次創作としての女体化
漫画・アニメなどの物語に登場する男性キャラクター同士の関係性に同性愛を読み込んで行われる二次創作(同人誌作成など)をやおいと呼ぶが、広義でのやおい系二次創作には男女の性愛や女性同士の同性愛を描いた作品も含まれるなどの多様性がみられる。そして、その中には定番ネタのひとつとして原作での男性キャラクターを女性に変化させて描く「女の子ネタ」があり、これは日本のアニパロ文化の歴史の中でも初期の頃から存在している。[1]
やおい系二次創作では登場人物に対して「攻め」「受け」と呼ばれる役割分担が与えられるが[注 1]、「女の子ネタ」の作品では(しばしば女性的役割を担うと説明される)受けのキャラクターを女性化させて男性との性関係を描くだけでなく、(しばしば男性的役割を担うと説明される)攻めの男性キャラクターをも女性化させて描いたり、登場キャラクター全員を女性化させる場合もある[2]。受けと攻めの両方が女性化される場合、しばしば受けが身体的に未成熟な女性(少女)として、そして攻めが身体的に成熟した女性として描かれることが多く[3]。やおいに対する分析のひとつとして、それを消費している女性たちに内面化された女性嫌悪・女性性の否定の表れであるとする説があるが[注 2]、西村マリは女の子ネタにおいて女性性についてマイナスイメージでない描き方がされていることが多いことなどを受け(出産・育児を描いたものも定番として存在する)、それらの説に懐疑的な見方を示している[4]。
「女装までを含む女子化(じょしか)といわれるやおいのジャンルで、ブームの終焉に現れる」として阿部川キネコの「辣韮の皮」でも触れられていた。ライターの渡辺由美子は、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公の少年である碇シンジを女性化させて描く「女シンジ本」について、父子相姦などを含む様々な表現を含むシンジの同人誌が出現した後、いわば最終兵器として「女シンジ」が現れたとしている[5]。
[編集] 女体化の二つの流れと再分類
大別すると女体化には二つの流れがある。
- 後天的女体化=何かしらの要因で一方が女性体となり、元来男性同士の受と攻が一般男女と同じ様に愛を交わす。
- 先天的女体化=受は当初より女性として描かれ、基本設定以外は生来の女性に属するものとして描かれる。特にパラレルと呼ばれることもある。
この女体化の1と2はともに女体化というものに属さないのではとして、再分類しようとする動きがある。
目下のところ同人誌のジャンル分けを見る限り、この1の意味合いで女体化は語られていることが多いわけだが、女体化の1において、フィクション上の性転換を扱うと言う点ではTSFと共通するとして、女体化の1をTSFに含めようと言う動きがある。
実際、1999年から2002年辺りにかけTSFの始祖的な存在である、少年少女文庫において、幾度か女体化ジャンルと提携しようという動きがあった。もっとも、女体化側が少年少女文庫はオリジナル分が多いためやりにくいとしてこれに応じず、話はその度ごとに立ち消えとなっている。これにはTSF側が性別変化の現象自体に比重を置いているのに対し、女体化側は性転換後の恋愛模様(特に男性を相手にしたもの)に比重を置いているという客層のズレもあったようだ。
女体化の2においては、以前より捉える立場に争いがあるが、明確な結論はまだ出ていない。
- 「~が人間の(少)女だったら」という萌え系擬人化の隆盛が背景として存在している点から、これは擬人化の一環であり女体化ではないと捉える立場。
- 曲亭馬琴による水滸伝の翻案『傾城水滸伝』のように擬人化の隆盛以前より存在するためこれこそが女体化だと捉える立場。
- 物語の一部を他のものと見立て、それを置き換え物語を再構成する手法は物語の本歌取りとして見るべきであって、定義されていない新たなジャンルと考える立場。
- この見立て自体が、若衆女郎のように陰である女のケガレを陽である男の力で払うという類感呪術的な思考から来るもので、女体化ではなく人類が前歴史的に持つ元来別のものの何かと捉える立場。
[編集] 考察
女体化を行う要因としては女体化がいわゆるドリーム小説と同様、女性化した男性に自身を仮託し、作品内の男性と疑似恋愛を行なっているとの意見がある。
他の意見としては、感情移入が深まったことでやおい及びBLに出てくる自己を仮託している男性に女性である自分が体験してきたことを体験させ、さらに感情移入を深化させたいと考えたから女体化を行うのではないかというものがある。
確かに、後天的女体化においては女体化した男性の恋愛対象は男性になることがほとんどであり「男性を異性として意識していなかった男性が自らの女性性を受け入れることで男性を異性として認識するようになる」という女体化の話の構造は「男性を異性として意識していなかった未成熟な少女達が二次性徴を経て女性として成熟した自己を受け入れ男性を異性として認識するようになる」という成長期の女性の典型的な心理動向を踏襲していると考えることもできる。
ただ、作品中のメインヒロインが女性から見て魅力的ではない場合、若しくは魅力的な女性キャラが少ない場合に良く起こるので、単純に作品中の恋愛要素の少なさに対する読者の不満がこういった形で表れていたり、同性愛の性行為描写が、生理的に苦手な人がこのケースに走ったりすることもある。また、女装をさせる際に女性特有の体型がなければ華やかにならないとして、深く考えずに女体化する作家もいるので、現在その要因は千差万別であると言える。
女体化によって生まれる効果としては、作品世界をなるべく壊さずにオリジナルな展開を続けられると言う点があげられる。
[編集] 脚注
[編集] 注釈
- ^ やおい#カップリングやカップリング (同人)を参照。
- ^ やおい#なぜやおいになるのかを参照。
[編集] 出典
[編集] 参考文献
- 西村マリ 『アニパロとヤオイ』 太田出版、2001年。ISBN 978-4872336436。
- 渡辺由美子 「ショタの研究」『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』 光文社、1998年。ISBN 978-4334971823。
[編集] 関連文献
- 植島啓司 『男が女になる病気』 集英社、1998年。ISBN 978-4087487862。