夜は巴里で

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夜は巴里で
Gold Diggers in Paris
夜は巴里で
監督 レイ・エンライト
バスビー・バークレー
脚本 アール・ボールドウィン
ウォレン・ダフ
クレジット無し:
フェリックス・フェリー
シグ・ハージグ
ピーター・ミルン
原案 Story idea:
ジェリー・ホーウィン
ジェイムス・シーモア
Story:
ジェリー・ウォルド
リチャード・マコーレイ
モーリス・リオ
製作 ハル・B・ウォリス (エグゼクティブ・プロデューサー)
サミュエル・ビスコフ
(共にクレジット無し)
出演者 ルディ・ヴァリー
ローズマリー・レイン
ヒュー・ハーバート
アレン・ジェンキンス
音楽 クレジット無し:
レイ・ハインドフ
ハインツ・ローメルド
Songs:
ハリー・ウォレン (作曲)
アル・ダビン (作詞)
ジョニー・マーサー (作詞)
フレディ・フィッシャー
撮影 ソル・ポリト
ジョージ・バーンズ
(ミュージカル・シーン)
編集 ジョージ・エイミー
配給 ワーナー・ブラザース
公開
  • 1938年6月11日 (1938-06-11) (U.S.)
上映時間 97分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
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夜は巴里で』(よるはパリで、Gold Diggers in Paris) は、1938年のアメリカ合衆国ワーナー・ブラザースによるミュージカル映画

レイ・エンライトが監督し、バスビー・バークレーがミュージカル・シーンの振付および監督を務めた。ルディ・ヴァリー、ローズマリー・レイン、ヒュー・ハーバート、アレン・ジェンキンスが主演した。

あらすじ[編集]

モーリス・ジロード(ヒュー・ハーバート)はパリで開催される国際ダンス・コンクールへの申し込みのためニューヨークにあるアカデミー・バレエ・オブ・アメリカに行く予定であったが、タクシーが誤って倒産目前のナイトクラブであるクラブ・バレエに連れていく。クラブのオーナーのテリー・ムーア(ルディ・ヴァリー)とデューク・デニス(アレン・ジェンキンス)は気落ちしていたが、モーリスの持つ書類を見て誤りに気付き金策を思いつく。大西洋を航行する船上のナイトクラブのショーにバレエを取り入れるため、バレエ講師のルイ・レオニ(フリッツ・フェルド)とその優秀な唯一の教え子であるケイ・モロウ(ローズマリー・レイン)を雇う。テリーはケイに魅了されるが、元妻モナ(グロリア・ディクソン)がやってきてケイと同室になり事態は複雑になる。

一方、本物のバレエ・カンパニーの校長であるパドリンスキー(クルト・ボウワ)は事情を把握し、船上のモーリスに電報を打ち、バレエ好きのパトロンでギャングであるマイク・クーガン(エドワード・ブロフィ)と共にパリに向かい、テリーとデュークを抹消しようとする。モーリスはテリーとデュークに騙されていたことを知り落胆する。腹話術師演じる犬がパドリンスキーこそが嘘をついていると語り、モーリスは自分を納得させる。

パリに到着し、コンテストの担当者のピエール・ルブレック(メルヴィル・クーパー)はクラブのショーのリハーサルの見学を申し入れ、デュークは友人となったギャングのクーガンにルブレックが諸悪の根源だと吹聴する。クーガンは後始末をしようとするが、誤ってレオニをやっつける。パドリンスキーがやってきて、クラブ関係者たちをコンテストから排除しようとするが、モナがクーガンとパドリンスキーを船に乗せて追い出し、クラブのカンパニーが優勝する[1][2]

キャスト[編集]

  • テリー・ムーア:ルディ・ヴァリー
  • ケイ・モロウ:ローズマリー・レイン
  • モーリス・ジロード:ヒュー・ハーバート
  • デューク・デニス:アレン・ジェンキンス
  • モナ:グロリア・ディクソン
  • ピエール・ルブレック:メルヴィル・クーパー
  • ルティシア:メイベル・トッド
  • ルイ・レオニ:フリッツ・フェルド
  • パドリンスキー:クルト・ボウワ
  • マイク・クーガン:エドワード・ブロフィ
  • ドアマン:エディ・ロチェスター・アンダーソン
  • 本人役:シュニッケルフリッツ・バンド

特記:

制作[編集]

1923年の失われたサイレント映画『百花笑えば英語版』、1929年の部分的に失われた映画『ブロードウェイ黄金時代英語版』、バークレーの豪華なミュージカル・シーンが話題となった1933年の『ゴールド・ディガース』、1935年の『ゴールド・ディガース36年』、1937年の『踊る三十七年』に続き、ワーナー・ブラザースの『ゴールド・ディガース』シリーズ6作目で最後の作品となった[3]。マジェスティック・ピクチャーズは「ゴールド・ディガース」のコンセプトを利用しようとしたが、ワーナー・ブラザースはこれを法的に阻止し、『夜は巴里で』の撮影および公開によって「ゴールド・ディガース」シリーズをワーナー・ブラザースのトレードマークとしたとされる。

1938年1月から3月、カリフォルニア州バーバンクにあるワーナー・ブラザースのスタジオで制作された[4][5]。6月1日、ニューヨークでプレミア公開された[6]

楽曲[編集]

この頃のワーナー・ブラザースのミュージカルの定番通り、豪華なミュージカル・シーンがバークレーにより構想、制作、演出、監督された。

本作の楽曲の多くは、「ゴールド・ディガース」シリーズおよびワーナー・ブラザースの他のミュージカルの多くの楽曲を手がけたハリー・ウォレンとアル・ダビンのチームにより作詞作曲された。「I Wanna Go Back to Bal」、のちにペペ・ル・ピューをメインとしたワーナー・ブラザースのアニメで度々使用された「Latin Quarter」、「Let's Drink to a Dream」、「Put That Down in Writing」、「Stranger in Paree」、「Waltz of the Flowers」がこの2人によって本作のために作曲された。さらにウォレンはジョニー・マーサーの作詞で「My Adventure」、「Daydreaming All Night Long」を作曲した[7][8]

シュニッケルフリッツ・バンド[編集]

コメディ・ミュージックのシュニッケルフリッツ・バンド(「Schnickelfritz」はドイツ語のスラングで「ばかな仲間」を意味する)が本作でコミックソングを演奏した。木管奏者のフレディ・フィッシャーの歌唱をメインに、「Colonel Corn」がこのバンドのために作曲された。スタンリー・フリッツ(トロンボーン、ドラム、ジャグウォッシュボード)、ネルズ・ラークソ(コルネット、トランペット)、ポール・クーパー(ピアノ、編曲)、ケネス・トリクソ(ドラム)、チャールズ・コーニグ(ウッドベース、チューバ)で構成されていた。トランペット奏者のネルズ・ラークソは脱退してコーン・コブラーズに加入し、のちにスパイク・ジョーンズのシティ・スリッカーズで活躍することとなるジョージ・ロックが加入した。デッカ・レコードに所属して「全米で最も品のないバンド」と謳われ、ミネソタ州セントポールにてルディ・ヴァリーのエージェントが演奏を見たことによりハリウッドに進出した。

ハリウッドに到着する頃には映画はほぼ完成しており、バンドの出演シーンは後から挿入された。撮影直後にバンドは解散し、フリッツが数名のメンバーと共にコーン・コブラーズを結成して東に向かい、フィッシャーはハリウッドに留まり、本作の曲名を基にした「The Original Colonel of Corn」と謳うナイトクラブを開業した。以降、シュニッケルフリッツ・バンドとして他の映画作品に出演することはなかったが、フィッシャーはバンド・リーダー役でいくつかの映画に出演した[7][9][10][11][12][13]

脚注[編集]

  1. ^ Arthur Hausner IMDB Plot Summary
  2. ^ TCM Full Synopsis
  3. ^ Warners also released a silent film, The Gold Diggers, in 1923, based on the same play that was used as source material for Gold Diggers of Broadway and Gold Diggers of 1933.
  4. ^ IMDB Filming Locations
  5. ^ IMDB Business Data
  6. ^ IMDB Release dates
  7. ^ a b TCM Music
  8. ^ Allmovie Overview
  9. ^ "Schnickelfritz" Time (September 6, 1937)
  10. ^ Hoosier Hot Spots Museum
  11. ^ "Freddie Fisher: The Colonel of Corn and the Schnickelfritz Band"
  12. ^ IMDB The Schnickelfritz Band
  13. ^ IMDB Freddie Fisher

外部リンク[編集]